京都・宇治の陶芸教室 朝日焼作陶館 スタッフブログ

登り窯の横にかまえた朝日焼作陶館 「深く楽しい陶芸の魅力」に触れることができる窯元ならではの陶芸教室です

宇治市歴史資料館にて(宇治茶の歴史展)

2023-06-10 10:52:03 | 気になるコト
こんにちは。
先日、歩いて図書館へと行きました。
宇治の図書館のある場所の一階には
「宇治市歴史資料館」さんがあり、
そこにて「宇治茶の歴史」企画展が開催されていて、
とても興味深かったので、そのお話をします。

(宇治茶アピールのポスター)

5月はお茶摘みの季節ですし、
5月6日は宇治地元のお祭り
「県祭り(あがたまつり)」が開催されるので、
これに絡ませて記事にしたい!と思い、
学芸員の方にお願いをして、
画像をお借りしました。

いやぁ、汗をかいて歩いてみるものですね。
(ふだんは車で行くので、2階部分から入り
なかなか資料館まで足を運ばなかったりする・・)
〈小声で告白〉笑

・・『県神社は、永承7年(1052)関白藤原頼通が
平等院を建立するにあたり、
平等院の鎮守の社としました。
祀られている木花開耶姫命
(このはなさくやひめのみこと)は、
良縁・安産の神として信仰されていることから、
縁結びの神社としても信仰されています。』

県祭りは戦前まで、
宇治のお茶摘みがひと段落した折に
茶摘みのため働きに来ていた男女が
県神社から出される梵天(ぼんてん)が出る
夜中まで雑魚寝をして待つ間、夜這いをかけあう
「種貰い祭り」と言う風習があり、
ま~、楽しく過ごした祭りだったそうです。
大人のお祭り!!(笑)

今はそんな風習は無くなり、
500軒以上の屋台が出る賑やかな祭りとなり、
夜中に梵天が出る「奇祭」として
知られるようになりました。

あれ?何が書きたかったんでした?

お茶!お茶の歴史!!
宇治茶の歴史です。
歴史資料館で見た、茶摘みの風景です。


〈宇治の茶摘み乙女〉
宇治市歴史資料館提供

御茶摘み娘は、絣(かすり)の着物を着、
ほおっかむりが定番の格好。
赤いたすきをしてね。
(♪夏も近づく八十八夜~(中略
赤(ね)だすきに菅の傘~♪ってね)
宇治での娘さん達は、手ぬぐいを被っている
写真の方が多い気がします)


お茶の木は、水はけのよい土地を好むそうで、
宇治川畔の砂地が適していたそう。
写真をよく見ると後ろに川らしきものが。
上に書けてあるムシロ(ござ?)は、
新芽が育ちすぎるのを防ぐために掛けられているのと、
そこに雨が降り、地面に伝うと、
お茶が甘くなるそうです。
茶農家の友人が言うていたので、多分本当。


〈製茶荷造り〉
宇治市歴史資料館提供

若い衆が、茶箱にお茶を詰め
藁でくるんで全国に発送する風景。
茶箱の内側は、アルミ?金属板が張り巡らせてあり
湿気や虫が寄りつかないようになっておりました。
(朝日焼にも箱があります)

これらを新芽の出る間、
毎日お茶を摘み、製茶し、
全国津々浦々へと発送されておりました。
その昔は、お茶壺道中を通って
将軍様に「宇治茶」を献上していたとか
写真にもツボが写っていますね。
(ブラタモリでチラリとお茶壺道中の紹介が
あったと記憶しております(三重県を通っていた)

『八十八夜とは、立春から数えて
(立春を1日目として)88日目のことです。
八十八夜に積んだお茶を飲むことは、
不老不死の縁起物といわれ、
八十八夜の文字に末広がりの「八」が
重なっていることを考えると、
いっそう縁起がよさそうです。

そして、八十八夜はお米にも関係しています。
「八十八」という字を組み合わせると、
「米」という字になります。
八十八夜に稲の種まきをすると、
秋にお米がたくさんとれると、
昔はいわれていました。』

八十八夜は茶摘みだけでなく、
稲の種まきに適した時期でもあった・・
そして、県祭りで種を貰って~!(笑)
これから地元に帰り、稲作へと戻る前の
ひと時の休息だったのかもしれませんね。

あれ?資料をお借りしたのに
何だか話がずれちゃっているような・・
ま、お祭りのその背景と
御茶摘みの様子がお伝えできたからいいか。

それではまた明日。
Please stay healthy and stay safe.
コメント
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