アブリル - どこにでもあり、どこにもない

岡崎平野を中心とする 植物 と カメラの対話

シクラメン - 安城デンパーク

2023-11-30 15:00:00 | みんなの花図鑑

シクラメンの花は独特の咲き方をしています。



上に向かって伸びてきた花茎がフックのようにUターンして下を向いているのです。



下を向いて咲いているから、シベを観察するには下から覗きこまないと見えません。







独特なのは やはりこの反り返った花弁のほうです。
樹木でいうと、モクゲンジの花(▼)もこのように折れたように花弁を反り返らせます。






シクラメンはどのような目的で、花弁を反り返らせるのでしょうか?




シクラメンの花が下を向いているのは、雨で花粉を濡らさないためだと言われてますが、それならば、花弁をこんなに反り返らす必要はないのではないか?とも思います。



このようにシベが下を向いていると、蜜は落ちてしまわないか、心配になります。
シクラメンの原種は スミレに似た葉をもちますが、スミレは 距という蜜を入れる袋をもっていました。



シクラメンはそういう器官をもちませんので、どのようにして蜜を生産し保持しているのか、機会があれば知りたいものです。





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キラリ! 青蓮寺ダム

2023-11-29 15:00:00 | みんなの花図鑑

青蓮寺ダムは、淀川総合開発計画の一環として、名張川支川青蓮寺川に建設された多目的ダムです(洪水調節、かんがい、都市用水、農業用水、発電)。



ダムの形式は典型的なアーチダムです。


アーチダムはダム形状を湾曲させることで、貯水位の水圧を左右岩盤(アバット)に分散させて支える仕組みなので、岩盤の良好なところにしか造れません。



「ダムサイトの基盤はすべて領家変成岩帯に属し、縞状構造を示す花崗片麻岩よりなり、(中略)全般的に良好な岩盤である。」(04-1jgyougaiyou.pdf)




イロハモミジ





ナンキンハゼ幼木


水鳥は「カイツブリやカワウ、マガモが経年的に確認されている」そうです。






浮かんでいるブイは 網場(あば)と言い、ダム湖に流れ込んできた木やゴミがダムの取水設備に入らないように、ダム上流側でキャッチする網です。



ダムサイトの豆柿?






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キラリ! 赤目四十八滝

2023-11-28 15:00:00 | みんなの花図鑑

赤目渓谷は両側が切り立っていて日が差し込まないので、歩き始めはとても寒かったです "(-""-)"
赤目四十八滝の『赤目』の由来は、役の小角(えんのおづぬ)が滝に向かって行を修めていると、不動明王が赤い目の牛に乗って出現したという伝説から来ています。(サイト「忍者修行の里 赤目四十八滝」)



八畳岩や千手滝のあたりまで来るとようやく日が差し込んできます。



『四十八滝』といいますが、主要な滝は「赤目五瀑」と呼ばれる不動滝、千手滝、布曳滝、荷担滝、琵琶滝の5つのようです。


観光ガイドの説明に「秋の紅葉ではイロハモミジ、カエデ、ヤマザクラなどを楽しむことができ・・・」とあります。

わざわざ「モミジ」と区別して「カエデ」を挙げています。

歩いて見ると分かるのですが「カエデ」と言っているのは このイタヤカエデのことのようです。
紅葉の葉のように切れ込みが深くなく、また黄葉がきれいです。



渓谷入り口



たぶんイロハモミジ



名前が判りません (ToT)



上と同じか? やはり分かりません((´;ω;`)



つる性植物の黄葉がきれいです

トリミングするとこんな粗い鋸歯の葉です。
Google Lensに尋ねてもラチあかないので
このきなんの木掲示板にお伺いしてみました。
「アジサイ科のツルアジサイかイワガラミを思いました。
イワガラミかなぁ・・。」
とのご回答をいただき、検索してみたところ
「丸く大きな鋸歯のイワガラミ、細かいギザギザの鋸歯のツルアジサイ」
との見分け方がありましたので、大きな鋸歯の「イワガラミ」としました\(^o^)/





ふたたびウチワカエデ

歩いているとき見慣れない岩肌だなと思いましたが、赤目渓谷の地質は「溶結凝灰岩(welded tuff)」なんですね。
溶結凝灰岩は火山の火口から噴出した火山ガラスや細かい岩片の入り混じった高温の火砕物質が、高温と自重のため、水飴のようになって流動したあと冷えて固まってできた岩石です。
ということは火山があってそれが噴火してできたわけで、何でも1,450万年前ころ、近畿地方南部を覆いつくすようなとてつもない噴火があったそうな。


溶結凝灰岩の地質とウチワカエデの植生とは関係あるのかしらん?(^^♪



渓谷入り口の山裾に咲いていました。アキチョウジ?


「「滝川」は,水平距離約3300mの間に,約200mもの高度を下げる,という激しい「下刻侵食」を行っています。
このため,滝の上流部では50m程しか無い尾根までの比高が,滝の下流部では200mを超す程になっています。」(日本の地形千景プラス「三重県:溶結凝灰岩に懸かる赤目四十八滝」)
それで渓谷の登り口では陽も差し込まなかったわけですね (^^ゞ




とある土産物屋の立て看板の屋根に生えていた菌類です。
Google Lensで検索したら、一発回答で「コアカミゴケ」と出て来ました\(^o^)/
あるブログ記事に
「コアカミゴケは、ハナゴケ科ハナゴケ属で地衣植物の一種です。」
とありましたが、最近は、菌類は 植物でも動物でもない第3の生物と考えられているんですよね。 きのこは、菌類の一種の「カビ」の仲間だ!なんて (´・ω・)
別の検索記事にいわく
「地衣類の中でもはじめの方で気が付く
盃状のの先端部に赤色の子器をつける。子器であって花ではないのである。」
(「子器」とは? ・・・って、検索しだすとキリがありません (笑))






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キラリ! 長谷寺

2023-11-27 15:00:00 | みんなの花図鑑

長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派の総本山の寺院。(wiki「長谷寺」)
長谷寺にお参りというと、入り口(仁王門)から本堂まで長~いなが~い階段を上がらねばなりません。その段数は 399 にもおよびます!屋根付きの登り階段なので 登廊(のぼりろう)と呼んでいます。



大和国と伊勢国を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。(同上)



本堂と登廊の間にある十月桜



立派な五重塔が建立されたのはつい最近のことで、1954(S29)年のことだそうです。



初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬から5月上旬は150種類以上、7,000株といわれる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。(同上)




モクレン


ナンテン


ドウダンツツジ







イロハモミジ




〔欄外コラム〕
 長谷寺のある初瀬渓谷を大和川(当時は初瀬川)が流れています。大和川(初瀬川)は桜井から奈良盆地に流れ込み、その後他の河川と合流して亀の瀬の切れ間から大阪湾に流れ出ていました。
初代大和政権(纏向遺跡)がなぜ海上交通の便の良い難波でなく奥まった奈良盆地に、それも西側ではなく東側の山麓に作られたのかについては、諸説ありますが、私は宇陀地方で水銀が採れたためという説に賛成です。
 水銀といえば猛毒で物理の実験室でしかお目にかかったことがない(最高最低温度計にも使われてはいましたが)存在ですが、その昔「水銀は不老不死の薬」として求められていたのです。
 水銀は自然界では硫黄と結びついた硫化水銀化合物「辰砂(しんしゃ)」鉱石として存在していました。

From Wikimedia Commons, the free media repository File:Cinnabar on Dolomite.jpg
辰砂は当時は「朱」と呼ばれ 赤く神聖な色として土器や埋葬品の着色に用いられてきました。
朱が採れる地域は「丹生(にう)」と呼ばれ、丹とは赤い土の意です。
宇陀で朱が採れ、中国から水銀を求めて買い付けに来たのです。製錬した水銀を初代大和政権が桜井の大和川沿い「海柘榴市(つばいち)」で高い値で売ったのだと思われます。

From Wikimedia Commons, the free media repository File:海柘榴市の所在地.png
 8世紀に建立された東大寺の金メッキの大仏を作るために、金を大量の水銀に溶かし(アマルガムと呼ばれる)、それを土で囲った隙間に流し込み、最終的に大仏を火であぶって内側から水銀を蒸発させ、金メッキとする工法が採用されました。使用された金の量は 約9ton、金属水銀の量は 約50 ton と言われています。蒸発する水銀のために多くの作業員が水銀中毒にかかり、また周囲は銅で汚染され、都を他に移さなければならなくなったひとつの原因とも言われています。



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キラリ! 唐招提寺

2023-11-26 15:00:00 | みんなの花図鑑

「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。
(唐招提寺トップ > 唐招提寺とは)



さて、ここからは鑑真和上の眼の話題ですが・・・
「742年、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡、普照から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなりましたが、753年、6回目にして遂に日本の地を踏まれました。」(同上> 鑑真大和上)
ということで、日本に着いたときにはほとんど目が見えなかったか すでに失明していたというのが定説のようですが・・・




奈良国立博物館学芸部長の西山厚氏は、「鑑真和上が来日してきた時、完全に目が見えなかったのではなく、ぼんやりとは見えた可能性が高い」との説を述べています。



根拠となったのは、753年に来日した鑑真和上が翌年、東大寺に経典の借用を申し出た際の書状で、鑑真が750年ごろに失明したとされることから、弟子の代筆との見方が定説となっていました。



西山室長は、現存する弟子たちの筆跡がいずれも書状の字と一致しないと指摘。弟子が鑑真の署名を行書体で書くとは考えにくいことなどから、代筆の可能性は低いとしています。



和上の姿を伝える資料で最もよく知られているのが亡くなる直前に弟子たちが制作した像で、禅定印を組んで瞑想する「鑑真和上坐像」です。
その眼は固く閉じられていますが、渡来から入寂まで10年近くあり、渡来時の様子を伝えるものではありません。



失明を記した『唐大和上東征伝』(奈良時代)について、西山部長は「文学的要素が多く、100%事実か考える必要がある」と話されます。



鎌倉時代の伝記絵『東征伝絵巻』には、目をはっきり開いた鑑真和上が描かれています。難破して洋上に漂う姿はもちろん、渡来後の描写にも不自由さは感じられません。




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前 キラリ!薬師寺



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キラリ! 薬師寺

2023-11-25 15:00:00 | みんなの花図鑑

薬師寺は680年に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。


710年、藤原京から平城京へと遷都が行われます。遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。



薬師寺は、日本で初めて東西に二つの塔を建立した双塔式伽藍として有名です。
仏塔(英:Pagoda)と呼んでいますが、古代インドのサンスクリット語で「ストゥーパ」といい、本来は 「お釈迦さまの遺骨を納めた塔のことです。お釈迦さまが入滅すると、遺骨が8つに分けられ、8つの国に遺骨を安置するための塔が建てられたのです。後には、お釈迦さまだけではなく、高僧が亡くなってもストゥーパを建てるようになりました。」(高城石材「第4回 卒塔婆に関する豆知識」)



普段は仏塔の中を見ることはできないのですが、東塔落慶記念ということで、東塔・西塔の初層内が特別公開されています。
創建当時の東塔と西塔の内陣に安置されていたお釈迦様の生涯をあらわした釈迦八相像を復元し安置されています。




塔の先端部の相輪にある青銅製の水煙(すいえん)には飛天像が透かし彫りされています。


現在は東塔(East Pagoda)が裳階部分を白壁としているのに対し、西塔(West Pagoda) は同じ個所に連子窓を設けています。元々は東塔も連子窓だったようですが、度重なる修復の間に白壁となったようです。


薬師寺の2つの塔には、ブッダの生活の様子を描いた8つの像があります。東塔の像は彼の生誕から若き時代のシーンが描かれ、西塔はブッダが35歳の時に悟りを開くところから80歳で亡くなるところまでを描いています。
東塔が「上る」時期を、西塔が「入る」時代を担当しています。





金堂横のサクラ










休ヶ岡八幡宮への途中にある大イチョウ



同上 ハウチワカエデ


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前> キラリ!六甲山



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キラリ! 六甲山

2023-11-24 15:00:00 | みんなの花図鑑
前日は雨模様だったので、六甲山は翌日あさ一番のロープウェイで上がることにしました。



ロープウェイの窓から見た風景です。



山全体では松林が目立ちます。


高木のアカマツが何本も生えていたら、それはアカマツ-モチツツジ群集ということです。





ロープウェイを降り展望デッキのほうへ向かいます。









朝もやの中にそびえているのは大阪のビル街のようです。


山並みは和泉山脈のようです。


西宮浜から甲子園浜さらに淀川河口付近が見渡せます。



Q.1

木の上に付いている白いものは つる性の植物の綿毛だと思うのですが・・・
これ何でしょうか?


センニンソウかなとも思いましたが、時期が遅くない?


気になったので、思いっきりトリミングしてみました。やはりセンニンソウでしょうかね




Q.2

ハナノキの葉に似ていますが、よく分かりません。





また、ロープウェイに乗って下山します。



Q.3

特徴的な果実がぶら下がっています。春の雌花ならヤシャブシの仲間ですけど、果実でこんな風に垂れ下がるのは何でしょう?
アカシデとかでしょうか?














駐車場のサザンカ。


このあと、奈良へ向かいます。


キラリ! 薬師寺

キラリ! 宇治平等院




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キラリ! 宇治平等院

2023-11-23 15:00:00 | みんなの花図鑑
関西へ旅に行ってきました。

一日目は伊勢湾岸道~新名神経由で宇治平等院へ

インバウンドの方が多かったですね


平等院鳳凰堂は、創建当初は阿弥陀堂と呼ばれていましたが、お堂を正面から見た姿が、翼を広げた鳥のように見えることと、屋根上に1対の鳳凰が据えられていることから、江戸時代始め頃より「鳳凰堂」と呼ばれるようになったそうです。








鳳凰というのは面白い鳥で
「36種の羽を持つ動物の長であり、聖天子が治める平和な世にのみ姿を現わすとされている。全体はクジャクに似ていて、頭は鶏、あごは燕、頸は蛇、背は亀、尾は魚で、黒、白、赤、青、黄の五色からなり、高さは六尺ほどとされる。」(実用日本語表現辞典 > 鳳凰の意味・解説 )


また「めったに実を結ばないという竹の実を食し、梧桐(あおぎり)の木にのみ止まると言われる。」(同上)










そのあと六甲山に向かいましたが、荒れ模様で山腹で引き返しました。

六甲山中腹より有馬温泉



有馬温泉にて
温泉湯を温める装置でしょうか?面白いのでスマホでパチリしたのですが・・・地元の方も何というのか分からないとのことでした。


明日は六甲有馬ロープウェイに乗り六甲山に上がります。

キラリ! 六甲山



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アズキナシ、ロウヤガキ - 安城デンパーク

2023-11-21 15:00:00 | みんなの花図鑑
安城デンパークの木の実、きょうは一見食べられそうな木の実です。

アズキナシ

果物のナシはバラ科で 学名は Pyrus pyrifolia var. culta
アズキナシはバラ科ですが 学名は Aria alnifolia。Aria というのはナナカマド属のことです。
というわけで 「ナシ」が付くのは見かけだけのようです。




「和名アズキナシの由来は、果実が小さくアズキ(小豆)大ほどの大きさであること、表面にはナシのような白色の皮目があるところから来ている」(wiki「アズキナシ」)


「寒冷地向きの樹木であることから、風通しを良くする程度に枝葉を間引く」(同上)





ロウヤガキ

カキ(柿)の学名は Diospyros kaki (ディオスピロス・カキ)。
で、ロウヤガキ(老鴉柿)の学名は Diospyros rhombifolia
こちらは柿の仲間のようです。


ただし果実は小さく渋柿で、よく見るのは盆栽です。



「普通の柿のように枝に直接できず、ぶら下がってできるのが特徴。(中略)長めの萼(ヘタ)を羽根つきの羽根になぞらえ、ツクバネガキとの別名もある。」(庭木図鑑 植木ペディア「ロウヤガキ」)


「雌雄異株であり、実をならすためには両方の株が必要という説が根強いものの、厳密な雌雄はなく、複数を植えれば結果しやすい。」(同上)





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