アブリル - どこにでもあり、どこにもない

岡崎平野を中心とする 植物 と カメラの対話

南九州ドライブ旅 (3) 開聞岳

2021-12-24 10:04:56 | 小旅行

旅行最後の4日目は あいにくの空模様。
これは 長崎鼻(後述)から見た開聞岳です。



指宿海岸

3日目は桜島、鹿児島をドライブして指宿につきました。
左:鹿児島側
中:噴煙を上げる桜島
右:大隅半島




上の画像のつづきです。





指宿いわさきホテルでは 砂むし風呂を楽しんで…
翌朝、部屋の窓から外を見ると、トンビが気持ちよさそうに飛んでいました。





長崎鼻より開聞岳を見る

長崎鼻は指宿を代表する観光地のひとつ。
約10万年前に噴火した阿多カルデラ(後述)より、さらに古い火山噴火の名残なんだそうです。



位置関係map(Google Earthより作成)




開聞岳
「山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、見事な円錐形の山容から別名薩摩富士とも言う。」(ウィキ「開聞岳」)



開聞岳は,市の南西部に位置する標高924mの活火山。今から約3,700年前の縄文時代に誕生した。複数回の噴火で溶岩や火山砕屑物などが積み重なって形成された円錐状の成層火山の頂上部に,粘性の強いマグマが盛り上がりできた溶岩円頂丘がのっている。(指宿まるごと博物館> スポットを探す > 自然 > 火山銀座探検隊 > 開聞岳 より)



海に突き出ている成層火山なので、とてもよく目立ちます。
沖縄からフェリーで帰るとき、一晩海の上で寝て、翌朝デッキから見える開聞岳は素晴らしかったです (^_-)-☆



付図・阿多カルデラ

(前掲「火山銀座探検隊」よりお借りしました)

阿多カルデラ(あたカルデラ)は、鹿児島湾南端にあるカルデラ。姶良カルデラと鬼界カルデラの中間に位置する。

薩摩半島南部と大隅半島南部に広く分布する阿多テフラと呼ばれる火山噴出物の起源として、池田湖の北西部に延びる鬼門平(おんかどびら、おんかびら)断層を西北端、大隅半島西岸を東南端とする南北約14km、東西約24kmの楕円形領域に広がるカルデラを1940年代に松本唯一が提案し、西側の指宿カルデラと東側の肝属カルデラが複合したものと考えられていた。その後1980年代にかけて調査が進み、阿多テフラはこのカルデラより約20km北側の鹿児島湾内にある別のカルデラから噴出したと考えられるようになった。南側のカルデラは阿多南部カルデラ、北側のカルデラは阿多北部カルデラと呼ばれる。(wiki「阿多カルデラ」)

南九州ドライブ旅 (2) 桜島八景

2021-12-23 10:55:53 | 小旅行

旅行2日目、霧島連山巡り(もちろんドライブで)した後、チェックインした霧島観光ホテルの窓から見えた桜島です。
Exif 情報によれば撮影時刻は 17:17 でした。



霧島神宮

この目も覚めるような紅葉はどこでしょう?!
9年も前のことなので、すっかり忘れていました。
2日目の霧島連山ドライブの最後に行った霧島神宮の紅葉だったのです。



カミさんが写ってますが、モミジの葉で顔を隠してもらいました(画像修正しました)。




宮浦宮(福山のイチョウ)

ここからようやく3日目です。
最初に訪れたのは 霧島市福山町の大イチョウです。



樹齢1000年ともいわれる大イチョウが2本あります。夫婦イチョウともいわれ、県の天然記念物に指定されています。



桜島

国道220号を南下していくといよいよ桜島が大きくなってきました。
(電線が邪魔なので画像修正して消してます)



「道の駅たるみず」で 足湯につかりながら、桜島の噴煙を見上げます。




桜島はしょっちゅう噴火しています。
たとえばこの年(2012年)の年間爆発回数は885回、その前年は996回、その翌年は835回です。
私が頻繁に鹿児島空港から鹿屋まで通っていた前世紀末も、噴煙で1m先が見えなくなって車の運転ができなくなってしまったことがあります。




桜島は大正3年の大噴火により、大隅半島と陸続きになりました。
裾野台地を走ります。





鹿児島行きフェリー乗り場近くより



桜島大根









桜島俯瞰図 (Google Earthで作成)



フェリーのうえから桜島を望む







仙厳園

鹿児島市では旧集成館反射炉跡などを見学しながら、仙厳園(せんがんえん)を訪れます。
仙厳園は島津家19代光久によって1658年に築かれた島津家の別邸です。
28代島津斉彬は西洋式の反射炉や溶鉱炉・鑚開台を建設し、鉄製大砲を製造しました。
その砲台にジョウビタキが止まっていました。



ジョビタ君ですね




仙厳園は 桜島が築山で、錦江湾が池なんだそうです \(^o^)/
(電線が邪魔なので消しています💦)



水力発電用のダム跡です。
実際に、ダムから落ちる水で水車を回して、29代藩主島津忠義が建てた就成所(しゅうせいじょ)に、送電してました。




仙巌園の磯山にある切り立った岩(巌)肌に刻まれている「千尋巌(せんじんがん)」3文字は、27代島津斉興が失業者救済の公共事業として、3ヶ月の日数と人員延べ3,900人を要して彫らせたものだそうです。




ここからも 築山?桜島が見えます。

以上、桜島八景でした。

南九州ドライブ旅 (1) 霧島連山

2021-12-22 11:01:51 | 小旅行
gooブログフォロワーのひとり shuさんのブログ記事「鹿児島県の日本百名山ツアー」を読んでいたら、私たちもむかし南九州をドライブして旅したことを思い出しました。
マイアルバムを調べてみたら もう9年も前のことでした。
あまりに懐かしかったので、ここにアップし追体験したいと思います。
時期は 11月の26日から4日間のことです。


韓国岳

1日目は宮崎空港に降りて 青島などに行ったのですが、それは割愛します。
2日目、宮崎から仕事でよく使った青井岳荘の横を走る自動車道に乗って都城経由で霧島連山をドライブします。
これは 小林市を過ぎたあたり、山のふもとで撮った韓国(からくに)岳です。


ところで旅行先を「鹿児島県」でなく「南九州」とまとめたのにはいちおう理由があります。
廃藩置県以前、この地域は薩摩藩と都城藩が置かれてました。
今でも国の行政区分では上の2つの藩をまとめて「南九」とすることが多いのです。


位置関係がよくわからないので、Google Earth を使って3Dビューを作ってみました。
地図と反対に 北側から南を俯瞰してます。
手前が霧島連山 (きょうのドライブ地)
そのむこうの錦江湾のなかに 桜島(あすのドライブ地)
さらにその向こうに 開聞岳(あさっての訪問地)
が見えます。



途中小さな滝や紅葉を楽しんで、目の前に韓国岳が眺望できるえびの高原駐車場で小休止。




陽に照らされた韓国岳の山肌がなんとなく白っぽいです。




それもそのはず、昨夜の冷え込みで 山に雪が降っていました。



不動池

振り返ると足元には真っ青な湖面の不動池がありました。



ICE (Image Composite Editor) で上の写真ともう1枚を合成。便利な時代になったものです。




韓国岳(つづき)

えびの高原から少し南に移動した地点からの遠望。



爆発的噴火によって 会津磐梯山のように山が2つに割れたのでしょうか?







大浪池

韓国岳のあとは霧島連山の東端 高千穂峰のほうに向かうのですが、どこにも登らないのはつまらないということで、韓国岳と新燃岳の間にある大浪池まで上がってみることにしました。
といっても普段山歩きなんてしてない彼女にはきつかったようです。途中下山する人から枝で作った杖をもらって、一歩一歩あえぎながら歩くことになりました。



ようやく湖の標高までたどり着きました。




これが大浪池です。
大浪池は 約6万年前の噴火によって出来たカルデラ湖です。
湖の向こうが韓国岳です。




先ほど、上の画像ともう1枚とをICE を使って合成した画像です。

伝説があります。(↓ 最後だけ)
お浪は、この池にすむ竜王の化身でした。庄屋夫婦の熱心な願いに感じて、しばらくの間庄屋の娘となっていたのでした。それから、この池を「お浪の池」と呼びました。それがいつのまにか「大浪の池」となってしまったのです。





岩の下には 高さ5cmくらいの霜柱がありました!




新燃岳方面への道です。
新燃岳(しんもえだけ)はこの1年前大規模な噴火をしていて、当時はライブカメラなどを覗いたりして注目の山でした。




高千穂峰

高千穂河原鳥居です。



高千穂峰は都城盆地などの平野部から望むことができ、「都城盆地にしばしば発生する雲海に対し山頂部が島に見えることから霧島の名の由来ともなったと」いわれてます。


十勝平野 - 北海道 (7)

2019-03-02 11:33:12 | 小旅行

ここに掲載する画像は 最後から2枚目を除き、すべて、バスの窓越しに撮った十勝平野の風景です。
最初の 似たアングルの5枚は すべて「幕別町」で撮ったものです。
(マクベス ではなく マクベツ です。)
町名の由来は、アイヌ語の「マクンベツ」(山ぎわを流れる川)から。(wiki 「幕別町」)
若いころ、ここに作るダムの材料を試験したことがあり、面白い名前なので印象に残っていました。今回、名前と場所が一致してよかったです^^




十勝平野と言っていますが、台地性の平野です。
太平洋岸から 道東自動車道へ向かうバスが 台地のヘリを 上がったり 下ったりしながら 走ります。
画像の太陽の周りに 雪のようなものが舞ってますが、窓ガラスについた 水滴 (の乾燥した跡)です。




黒い雲が空を覆っていましたが、マクベツの大地を走るころは いいアングルに太陽が出てきたので、電池消耗するのも構わず、連写しました )^o^(
(くどくてすみません)




wiki の「十勝平野」の記事には 「「日本のウクライナ」と形容されるほど畑作が盛んである。」とあります。




十勝平野の段丘地形は、日高山脈の急激な上昇運動や、氷期の寒冷気候を背景に形成されたようです。





土地は火山灰を多く含み、カラマツやシラカバの防風林が景観上の特色を成している。(wiki)





道東自動車道が出来たおかげで、一気に 千歳まで行けることになりました。
途中の PA で 背伸びをします。




道東自動車道で日高山地を抜けるときは また雪になりました。
旅最後の雪景色です。





「氷の宝石」 - 北海道 (6)

2019-03-02 10:59:42 | 小旅行

今日は 十勝川水系の話題を2つ。
最初は 凍てついた十勝川河口付近の海岸に打ち上げられた ジュエリーアイス (Jewelry Ice) の話題です。




十勝川は、北海道の屋根大雪連峰十勝岳を源に、音更川・札内川・利別川など多くの支流を合流しながら広大な十勝平野を南下し、太平洋に注いでいる一級河川です。
アイヌ語でトカプウシイ(乳房・ある・処)。河川が東西二口に分れ、乳が出る如く流れが途絶えることがなかったため。(Wiki より)
十勝川は 豊頃町の大津海岸で太平洋に流れ込みます。




ジュエリーアイス のまえに 飛び入り前座で、別の話題を。
海岸には モニュメントみたいに 流木が積んであります。
2016年8月、北海道に台風が相次いで上陸・接近したほか、北海道付近に停滞していた前線の活動が活発化した影響で、十勝川水系でも既往最高水位を超える出水となりました。この影響により、十勝川河口付近には 20,000 m3を超える流木が漂着しました。




ジュエリーアイスとは?
十勝川を覆いつくす氷が太平洋に流れ出し、河口の大津海岸に打ち上げられる氷の塊が太陽の光を受け美しく輝く自然現象です。十勝の厳しい寒さと、母なる大河「十勝川」が生み出す自然の神秘です。(ジュエリーアイス豊頃町 より)





ジュエリーアイスは、太平洋に流れ出た十勝川の氷が海岸に打ち上げられたものです。波にもまれるうちに角が取れて、透き通ったクリスタルのような氷になります。(同上)




似たようなものに流氷がありますが、流氷は大きな氷の塊が層になって押し寄せたもの。流氷は白い色をしていますが、ジュエリーアイスは透明さが特徴です。(豊頃町環境協会HP「ジュエリーアイス 豊頃町」より)
でも、暖冬で、正午過ぎに行ったのでは ポスターにあるような氷のかたまりには出会えませんでした(◞‸◟)




同町出身者が2015年に「ジュエリーアイス」と名付けて以来、全国の写真家から注目されるようになりました。
最近のことなんですね




下ばっかり見てると、首が痛くなります(T_T)
見上げると、CM のように JALが \(^o^)/



最後に、時間が 前後しますが、ひとつだけ 釧路湿原の話題を。
写真は バスの車窓から撮った 谷地坊主(やちぼうず)です。
ヤチボウズとは 何かというと、(バスガイドさんの説明によると)谷地は 谷地、湿原のことで、谷地のアシやスゲの根っこが未分解物とともに成長を重ね、さらに冬の凍上現象が加わって長い歳月をかけて盛り上がってできたものらしい。
盛り上がって出来たものがあれば、窪んでできた穴ぼこのようなものもあり、それを ヤチマナコ(谷地眼)というそうです。ヤチマナコとは、要するに水が溜まった落ち窪みのことで、底なし沼というほどではないが、マンホールほどの大きさの穴の深さが3〜4メートルにも達するという。
お~~ 怖い。






阿寒湖 - 北海道 (5)

2019-03-02 09:40:01 | 小旅行

前日の夕方、阿寒湖についたときは 氷の上でスノーモビルをやっていました。私たちも乗ってみようとしましたが、午後5時までということだったので、あきらめました。ところが、午後5時を過ぎても、小学校6年生の子たちが たくさん駆けつけて、スノーモビルの練習をしています。部屋からみると、遠くから スノーモビルが ライトを照らしながら帰ってきます。夜の 8時ごろには 花火も ドン、ドンと上がりました。

朝、起きてみてびっくり。昨夜の喧騒がウソのように しんと静まり返っています。




Google Earthで この付近の俯瞰図を作ってみました。
左手の 水色で輪郭したところが 阿寒湖です。その東側の火山が 雄阿寒岳 です。
(画像では見にくいですが、雄阿寒岳の周囲に 3つの湖があります。)
右手(東側)には 摩周湖があります。
中央にある大きな湖は 屈斜路湖 です。




池の周囲には 木肌の白い木がいっぱい。いかにも ホッカイドー といった感じです。




湖の上に立ってみました。
阿寒湖でも 氷上ワカサギ釣り が楽しめるようです。




山水画のような風景。
左の雑木林は 島で、名前は (たぶん)小島。
なお、阿寒湖には 4つの島があります。
大島、小島、チュウルイ島、ヤイタイ島の4つで、チュウルイ島にマリモ展示観察センターがあります。




スノーモビルの駐車スペース。昨夜は 大賑わいでした。




湖を見下ろす 雄阿寒岳。
雄阿寒岳の 約17.5万年前の噴火、約15.8万年前の噴火により 古阿寒湖がカルデラ湖として誕生した。
古阿寒湖は、いったんは外輪山である雌阿寒岳の噴火などによって埋め立てられた。
今から1万年程前に雄阿寒岳(中央火口丘にあたる)の噴火活動によって堰止湖がつくられた。
しかし雄阿寒岳は成長を続け湖面を埋めてしまい、古阿寒湖は分断され、現在の阿寒湖、そして東にあるペンケトー、パンケトーが誕生した。(wiki を編集)
最上流の湖ペンケトー は アイヌ語のペンケ・トー(=上の・湖)に由来し、
つぎの堰止湖 パンケトー は アイヌ語のパンケ・トー(=下の・湖)に由来する。




川が流れ込む地点なのでしょうか、一部 氷の張っていないところがあります。
カモが泳いでいます。




カモの種類 が分かりません。

〔追記〕
attsu1さんより、コメントあり 「青い羽をみるとカルガモ?」
とのことでした。
〔追記2〕
なつみかんさんより、スマホからコメントあり 「マガモではないでしょうか。」
とのことでした。
自分でもすこし調べてみて カルガモとマガモの区別は くちばしを見ると分かりやすいことを知りました。
といっても 上の写真では くちばしがハッキリ分かりません。
撮った写真を探して 以下の画像を見つけました。

これをみると くちばしは全体が黄色いから、マガモ ということになりそうです。


あと、根釧原野に入ってから 遠くに 阿寒岳っぽい雪山が見えたので、バスの中から撮った写真を貼っておきます。↓









鶴見台のタンチョウ - 北海道 (4)

2019-03-01 09:03:07 | 小旅行

タンチョウ(丹頂)は ツル目ツル科。 日本の野鳥の中では最大級で、全長は 140cm。

大陸のタンチョウは渡りをし、冬は朝鮮半島や中国南部に移動しますが、現在の日本のタンチョウは渡りをしません。しかし、江戸時代までは、繁殖しているもののほかに、各地に冬鳥として渡来するものが多かったといわれています。





夏期は湿原に分散して営巣・育雛を行い、湖面の凍結する冬は 里近くへ移動し群れで生活をします。

タンチョウの二大給餌場の一つとして知られる、釧路から車で30分の(阿寒郡)鶴居村の鶴見台には、毎年11月頃から3月頃まで約200羽前後のタンチョウが餌を求めにやってきます。





タンチョウは漢字で「丹頂」と書きます。「丹」は赤い、「頂」はてっぺんという意味で、頭のてっぺんが赤いためこの名前が付きました。頭の赤いところには羽がなく、ニワトリのとさかのようになっています。

鑑札を足首に付けているタンチョウがいます(中央)。ボランティアが生態系を調べるために、巣で生まれて直ぐのときに付けたものです。





江戸時代までは北海道各地にたくさんいたようで、関東地方でも見られたようです。しかし明治時代になると乱獲され、さらに生息地である湿原の開発により激減してしまいました。そして全く見られなくなったため、大正時代には絶滅したと思われていました。

しかし大正時代末期の1924年に、釧路湿原で十数羽が再発見されました。





1952年には特別天然記念物に指定され、国や自治体による保護施策が講じられるようになりました。当初は、ドジョウの放流やセリなどの植物の移植などが行われましたが、なかなか数が増えませんでした。

1950年頃の猛吹雪の日、数羽のタンチョウが畑に置かれた冬の保存用トウモロコシを食べにきました。これをきっかけに給餌がうまくいき、各地で給餌活動が行われるようになったことで現在は千羽を超えるまで数が回復しています。





冬の給餌を行わないと生息数は10分の1にまで減るといわれています。
農産物被害も出ているのですが、村の人は タンチョウとの共生を考えているそうです。





冬の給餌のほかに、電線との衝突、交通事故も問題になっています。

バスで走っていると 電線に 黄色のガードがついていることがありますが、これはタンチョウに 電線を知らせるためです。





手持ち望遠のため ブレブレですが、Vの字になって飛行する タンチョウたち。

(コメントを書くために参考にした記事はたくさんあり、再編集してるため出典は載せませんが、感謝してますm(_ _)m)

濤沸湖のハクチョウ - 北海道 (3)

2019-02-28 17:40:36 | 小旅行

2日目は 網走まで流氷を見に行ったのですが、ポスター通りの流氷には出会えませんでした(T_T)
そのあと、濤沸湖(とうふつこ)へ 白鳥を見に行きました。
濤沸湖は北海道東部、網走市と小清水町にまたがる一帯にあります。
オホーツク海の荒波によりできた砂州が発達した細長い砂丘によりできた湖で、湖の北西端でつながっており、汽水湖となっています。




後で見るように濤沸湖は 渡り鳥である白鳥の重要な中継地点なので、秋にはたくさんの白鳥を見ることができるのですが、今は 少ないです。それでも、濤沸湖で越冬する白鳥が数百羽はいるので、冬の間でも こうして白鳥を見ることができるのです。





私は 白鳥をいつも見ていないので分からないのですが、くちばしの黄色い部分が 鼻孔の先まであるので オオハクチョウ のほうでしょうか?




オオハクチョウも コハクチョウ も カモ目カモ科に属する長い首を持つ白い鳥です。
オオハクチョウは 全長140cm。
コハクチョウは 全長120cm。




オオハクチョウならば、普段はユーラシア大陸のタイガ(針葉樹林帯)で過ごしていますが、越冬のために約3000km飛んで日本へ南下してくる渡り鳥(冬鳥)です。





オオハクチョウは 秋の10月から11月にかけて南下のため、また3月から4月にかけて北上のため、渡りの中継地に立ち寄ります。
移動ルートはオホーツク海側・太平洋側が多く、秋にはほとんどの個体の道内初飛来地が ここ 濤沸湖 だということです(^^



層雲峡 氷瀑祭り - 北海道 (2)

2019-02-27 23:13:37 | 小旅行

旅行1日目は 旭山動物園へ寄って、夜は 層雲峡に泊まりました。氷瀑祭りを観るためです。
氷瀑祭りは 石狩川の河川敷を舞台にして開催されています。
夜 7時30分ごろ、車道から 会場の河川敷まで下りていくと、いきなり 氷の岩でロッククライミングをしているではありませんか。




これが、氷瀑祭り会場の ほぼ全景です。
鳥居は 氷瀑神社 というらしいです。




氷の造形は 初めに材木で骨格が作ってあって、そこに 石狩川の水をかけ ツララを作って大きくしたものらしいです(バスの中での ガイドさんの説明) どんなやぐらが最初に作ってあるのか、春になったら見てみたいものです。




氷瀑の中は 人が通れるようになっており、氷の鍾乳洞を散策する雰囲気です。




七色でライトアップされていて、とてもキレイです。




ご縁がありますように、と願掛けをする場所も造ってあります。




見上げた天井は 皆このようになっています。どうやって計算するんだろう?




ツララの一本 一本はかなり太いです。




最後に 呼び物の打ち上げ花火を見て、満足して帰ります。




空からの眺め - 北海道 (1)

2019-02-27 02:01:44 | 小旅行
北海道へ 2泊3日の旅をしました。
あらたに<小旅行>カテゴリーを作って 旅の写真を投稿しておきます。


セントレア(中部国際空港)から 北海道・新千歳空港 への JAL の機内から撮った写真です。
これは スマホ で撮ったものです。
まず、雪をかぶった 北アルプス。9:04 撮影




北アルプス最北端。黒部川が富山湾に流れ込みます。
上のほうは 能登半島。
9:07 撮影




佐渡島。北側の山脈に、雪が積もっています。最高峰は 金北山で、標高は 約1,172m。
9:19 の撮影となります。




八郎潟と、寒風山・男鹿半島。
9:35




米代川と能代市。
9:38





そして、岩木山。つまり、津軽富士。
9:41




岩木川が 十三湖に注ぎます。
9:43




9:52
津軽海峡を渡って、北海道です。
左手の奥は 函館です。
手前の雪山は よく知らないのですけど、恵山?ですか。




10:03
左手、雲の上にちょこんと顔を覗かせているのは 羊蹄山でしょうか?
だとしたら、蝦夷富士ですね \(^o^)/


もうすぐ 新千歳空港に着陸です。
今では 機内モードで WiFiが使えるので、1時間半なんて あっという間ですね (´∀`)