海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

名護市の平和祈願祭

2009-06-19 19:27:33 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 沖縄では6月23日の慰霊の日を前に、各地で慰霊の行事が行われている。6月23日には摩文仁の平和の礎や魂魄の塔、県主催の全戦没者追悼式典などに行く人もいるので、その前に慰霊祭や平和祈願祭を行う地域もある(それだけが理由とは限らないが)。  名護市の平和祈願祭は昨日18日に名護、屋部、久志で行われ、今日19日には屋我地と羽地で行われた。昨日は米軍がキャンプ・シュワブ沖でパラシュート降下訓練を行うと発 . . . 本文を読む

サイパン熱帯植物園とタッポーチョ山

2009-06-19 01:05:06 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 バスは途中、スーパーに寄ってトイレを借りたり水を買ったりしてから、サイパン熱帯植物園に向かった。植物園はタッポーチョ山東側の麓にあった。園の職員から説明を受けつつ園内の植物を見て回り、用意された熱帯果実を味わった。  写真は植物園内からの眺め。鉄塔が建っている山はタッポーチョ山。植物園の近くには「死の谷」と呼ばれた谷があり、タッポーチョ山一帯は日米両軍の激戦地であった。その戦闘の様子を三ヶ野大典 . . . 本文を読む

南興桟橋跡

2009-06-18 17:06:18 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 ススペ・キャンプ跡の近くの海岸には、南洋興発が使った南興桟橋が残っている。現在は途中で壊れて陥没し、利用されていない。地元の人たちが釣りをしていて、海や浜の眺めは美しいのだが、生活排水がそのまま流れ込んでいるのか、桟橋周辺には異臭が漂っていた。ススペ・キャンプからこの浜に来て泳いだ、と話している参加者がいた。 . . . 本文を読む

キャンプ・ススペの跡

2009-06-18 16:56:06 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 写真はキャンプ・ススペの跡。南洋興発の製糖工場があった場所でもあり、サイパン戦のあと建物後方のススペ湖畔に民間人の収容所が作られた。今回の墓参団には衆議院議員の照屋寛徳氏も参加されていて、照屋氏はここで生まれたとのこと。ホームページには今回の旅のことや製糖工場で働いていた亡き父のことなどが記されている。  収容所について記された説明版を囲んで、当時のことを話していた。 . . . 本文を読む

軽便鉄道と博物館

2009-06-18 16:42:18 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 砂糖王公園内には南洋興発の軽便鉄道で使われた機関車が展示されていた。サトウキビの運搬に使われたもので、煙突の先端部が広がっているのはドイツ製とのこと。他に煙突が先端部まで真っ直ぐの日本製の機関車もあったとのことで、隣の博物館に写真が飾られていた。  道路をはさんで博物館があり、そこも見学した。戦前からの病院の建物を利用していて、庭には一抱えほどあるマンゴーの木があった。小振りの実が沢山なっ . . . 本文を読む
コメント (2)

島内観光/彩帆神社跡

2009-06-18 16:34:32 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 サイパンでは午前中の追悼式終了後、昼食をはさんで午後から希望者に島内観光が設定されていた。料金は昼食込みで8000円。申込は前日に行われ、バス2台が出たので80名ほどが参加しただろうか。来年はどうなるか分からないが、参加してみようか、と思っている人もいるかもしれないので、参考までに行った場所を紹介したい。観光といっても墓参団なので関連する場所が主となっている。  写真は島内観光の最初に訪れた彩 . . . 本文を読む

ガジマルの木の上で

2009-06-17 18:41:33 | 沖縄戦/アジア・太平洋戦争
 沖縄は梅雨の雨が続いている。農家やダムの貯水量のことを考えれば、降るべきときに雨が降るのはいいことだ。  沖縄戦慰霊の日が近づいて、新聞やテレビでは沖縄戦に関する特集がシリーズで組まれている。今日のRBCの「ザ・ニュース」では、「シリーズ・慰霊1」として、去る6月11日に亡くなった佐次田秀順氏のことを取り上げていた。沖縄戦のときに伊江島で戦い、敗戦を知らないで米軍の目を逃れるために2年間もガジマ . . . 本文を読む
コメント (5)

砲撃の跡

2009-06-17 18:10:01 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 「おきなわの塔」のすぐそばには「LAST COMAND POST」という表示板の掲げられた旧日本軍の最後の司令部跡がある。巨岩を利用しコンクリートで補強した要塞には、砲弾の直撃を受けたらしく大きな穴があいていた。その穴から木々の緑越しに追悼式の会場が見えた。 . . . 本文を読む

焼香と祈り 3

2009-06-16 01:45:05 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 子や孫と一緒に参加している遺族もあった。  沖縄各地にある慰霊の塔の前で行われていた慰霊祭も、戦後60年の年を最後に公式の催しを終えたのが少なくない。沖縄においてさえそうなのだ。戦争体験のない世代が、それを受け継いでいけるのか。南洋群島帰還者会が抱えている問題は、言うまでもなくすべての遺族(会)が抱えている問題である。  一週間後には、64年目の「6・23沖縄戦慰霊の日」を迎える。 . . . 本文を読む

焼香と祈り 2

2009-06-16 01:40:53 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 老女は祈りを終えたあと、しばらく「おきなわの塔」を見つめていた。 . . . 本文を読む

焼香と祈り 1

2009-06-16 01:26:10 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 沖縄県知事(代行)はじめ各会、遺族、現地などの代表による献花のあと、墓参団参加者全員が焼香を行った。  墓参団という形ではこれが最後…、ということで新聞やテレビ、雑誌などの取材陣、大学の研究者などが数多く同行していて、カメラを向けていた。 . . . 本文を読む

芸能奉納 「加那ーよー天川」

2009-06-16 00:53:35 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 玉城氏の「鎮魂の舞い 平和の祈り」や照喜名氏の「十七八節」を、沖縄から来た墓参団はみな一心に見つめ、感動して聴き入っていた。ただ、地元の人たちには理解しにくかったようで、踊りや演奏の間、少しざわついていた。地元席の近くで録音したり写真を撮っていて、これはちょっとまずいな、と思い、まあ、いきなり琉球古典音楽を聴いてすぐに馴染めるものでもないだろう、と思ったのだが、最後に玉城氏と比嘉凉子氏(玉城流翔 . . . 本文を読む

芸能奉納 「十七八節」

2009-06-16 00:33:01 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 琉球古典音楽の重鎮で人間国宝の照喜名朝一氏は、「十七八節」にのせて自ら創作した琉歌を歌われた。  戦世に命    いくさゆにいぬち  失たる御霊   うしなたるみたま  極楽や永久に  ぐくらくやとぅわに  平和御願    へいわうにげ  司会が琉歌を二度読み上げて照喜名氏を紹介し終えたとき、おきなわの塔のまわりの木々で鳥の鳴き声が響いた。沖縄では亡くなった人の魂は、鳥や蝶に姿を変えてこの世 . . . 本文を読む
コメント (1)

芸能奉納 「鎮魂の舞い 平和の祈り」

2009-06-15 23:57:43 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 マスメディアでも大きく報じられていたように、今回の墓参団には琉球古典音楽の人間国宝・照喜名朝一氏や琉球舞踊の玉城節子氏などが参加していて、追悼の言葉のあとに芸能奉納が行われた。  創作舞踊「鎮魂の舞い 平和の祈り」を踊る玉城節子氏(玉城流翔節会家元)。 . . . 本文を読む

遺族代表・富本裕英氏の「追悼のことば」

2009-06-13 04:49:16 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 写真は「おきなわの塔」に向かって「追悼のことば」を述べる遺族代表・富本裕英氏。  以下に富本氏の「追悼のことば」を紹介したい。録音状態が悪くて聞き取れなかったところは(一部不明)としている。  追悼の言葉。本日は平成21年、第40回南洋群島戦没者追悼式に沖縄県遺族連合会、並びに沖縄県の主催により、ここ沖縄の塔の慰霊碑に、総勢264名という近年にない多数の遺族の方々がご出席のもと、厳かに執り行わ . . . 本文を読む
コメント (1)