海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

南洋群島帰還者会・宜野座会長の「追悼のことば」

2009-06-13 04:31:32 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 写真は南洋群島帰還者会副会長・平良善一氏が、宜野座会長の「追悼のことば」を代読しているところ。  配布された冊子の式次第には「代読」が抜けているが、宜野座会長が体調不良のため、副会長の平良善一氏が代読していた。宜野座会長は「おきなわの塔」の向かって左手、司会のマイクの近くで車椅子に座り、式典の様子を見つめていた。  以下に当日読み上げられた宜野座会長の「追悼のことば」を紹介したい。発言をテープ起 . . . 本文を読む

サイパンの追悼式/開式の言葉

2009-06-13 03:59:08 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 写真は追悼式で開会の言葉を述べる南洋群島帰還者会相談役の伊禮真栄氏。  これが最後の墓参団とは言わないでほしい。これからも形を変えて墓参に訪れると強調し、若い人たちが参加していることに希望を託していたのが印象に残った。  最後に「私事ですが…」と断って「玉砕地の死体片づけ」の話をされた。その最後のところを紹介したい。  ……それから私事ですが、サイパンは7月の7日、こっちから向こうのマタンシャ . . . 本文を読む

おきなわの塔と追悼式

2009-06-13 03:19:22 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 サイパンの「おきなわの塔」は、島の北部マッピー岬の近く、スィーサイド・クリフと呼ばれる断崖の下にある。サイパン戦を体験した人たちが崖を見上げて、ここは岩場だから飛び降りたらとても助からなかった…、木の枝に引っかかって助かった人もいたというさ…、ロープで下りたという人もいるけどね…、そんな人はわずかでしょう…、こんな岩の上に落ちたらね…などと話していた。  すぐそばには巨岩を利用した日本軍の司令部 . . . 本文を読む

宜野座朝憲氏の冥福を祈る

2009-06-12 05:47:39 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
  今朝の県内紙に、南洋群島帰還者会会長・沖縄テニアン会会長の宜野座朝憲氏の訃報が載っている。6月10日に享年80歳で永眠されたとのこと。  6月9日に結団式の写真を載せたが、サイパンの沖縄の塔の前で開かれた第40回の「南洋群島沖縄県出身戦没者並びに開拓殉難者追悼式」にも、宜野座氏は会長として車椅子に乗って参加されていた。そのほかホテルのロビーやレストランで姿をお見かけするくらいだったが、無理をし . . . 本文を読む

プルメリアの花

2009-06-12 02:01:54 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 ハファダイビーチホテルの庭にはプルメリアの花が咲いていた。  ガラパン市内を歩いて感じたのは、樹木の種類の少なさだった。南洋桜(鳳凰木)やプルメリア、ゴールデンシャワー、ハイビスカス、ブーゲンビリアなど沖縄でも園芸品種として植えられている木々以外には、木麻黄やココ椰子、大王椰子、マンゴーが目につくらいだった。  山岳部の森に行けば本来の島の植生が見られるだろうし、わずかな範囲を歩いただけの知見に . . . 本文を読む

ハファダイビーチホテル

2009-06-12 00:50:48 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 サイパンで宿泊したハファダイビーチホテル。 . . . 本文を読む

わんねーウチナンチューるえいびーる。

2009-06-11 23:55:48 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 夕食をとったガラパン市内の軽食店。フィリピン人女性が一人で切り盛りしていて、韓国風ラーメンとバドワイザーを頼んだら、私の顔を見て、Are you Filipino?と訊くので、No,I am Okinawan.と答える。沖縄に帰る前の昼食もこの店でエビチャーハンを食べた。 . . . 本文を読む

えびせんじょーぐーのわらばーたー

2009-06-10 16:34:33 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 スーパーでバドワイザーと韓国製かっぱえびせんを買い、浜辺で海を眺めながら飲んでいたら、近くで遊んでいた女の子が寄ってきた。かっぱえびせんに目をやっていたので袋を差し出すと、手を入れて一つかみ取り離れていった。それから兄と弟も一緒にやってきて、一つかみ取っては食べ、また一つかみのくり返しで、結局ほとんど食べられてしまった。名前は忘れてしまったが、七歳、六歳、五歳のてぃーちみし(一つ違い)の兄姉だっ . . . 本文を読む

奉安殿の弾痕

2009-06-10 16:06:15 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 奉安殿の背面には弾痕が生々しく残っていた。  沖縄では戦後ほとんどの奉安殿が壊されたが、石垣市と沖縄市に残っている。 . . . 本文を読む

ガラパン市内に残る国民学校の奉安殿

2009-06-10 15:58:40 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 飲食店の並ぶ通りに残っている国民学校の奉安殿。コンクリート製の建物で、あちこちに砲弾の痕が残り、欄干も一部が壊れていた。後ろ側に竹が植えられていて、戦争遺跡として管理されているのが分かったが、所々に落書きがあった。現在は正面にガラス戸がはめられていて中がのぞけるが、かつては厚い木の板か鉄の扉であったろう。  そばを日本人観光客が何名か通り過ぎていった。しかし、関心を向ける人はいなかった。 . . . 本文を読む

ガラパン市の街角

2009-06-10 15:53:22 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 サイパンについて一日目はホテルにチェック・インしたあと自由行動だったので、ホテル周辺を歩いてガラパン市内の様子を見た。飲食店やマッサージ店、カラオケ店などが集まっている一画には、英語と並んで日本語や韓国語、中国語の看板が目立った。日本人観光客向けのラーメン屋や居酒屋もあるのだが、マッサージ店の前に座っている中国人の女性が「マッサージいかがですか」としきりに客引きしていた。  墓参団に同行して撮影 . . . 本文を読む

盗作問題への小林よしのりの言及

2009-06-09 22:23:33 | ゴーマニズム批判
 小学館発行の雑誌『SAPIO』6月24日号掲載の「ゴーマニズム宣言」に、私が指摘した小林の盗作問題への言及があることを、少し前に本ブログのコメント欄で教えてもらった。沖縄は雑誌の販売が一週間ほど遅れるので、昨日やっと購入して確認することができた。欄外の短い文章だが、小林よしのりはこう書いている。  〈目取真俊が『沖縄論』の「亀次郎の戦い」が盗作だと因縁つけているらしいが、あの章は瀬長や瀬長の妻 . . . 本文を読む

南洋群島墓参団 結団式 2

2009-06-09 16:54:38 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 写真は南洋群島墓参団の結団式で紹介された役員の皆さん。南洋群島帰還者会会長の宜野座朝憲さんは車椅子で参加されていた。関係者でもなければ何かの取材でもなく、ただ様子を見るだけでも…、という思いで参加した私のようなものは、その姿を遠くから眺めるだけだったが、新聞報道やあちこちのブログで宜野座さんをはじめとした役員の皆さんの戦争体験、帰還者会や墓参団を支えてきた思いと努力を知り、つくづく頭が下がった。 . . . 本文を読む

南洋群島墓参団 結団式 1

2009-06-09 16:31:22 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 写真は南洋群島慰霊墓参団の結団式の様子。墓参団という形での訪問は今回が最後、と大きく報道されたので、昨年の約三倍の二六〇名余が参加し、多くのメディアが取材していた。  四十年前、初の墓参団の時はどうだったのだろうと想像する。サイパン・テニアン戦、沖縄戦から二十数年が経ち、生活にもある程度の余裕ができて、やっと念願だった墓参団という形での訪問がかなったのだろう。  四十年前、私は小学校の低学年だっ . . . 本文を読む

ギンネムの林とスーサイドクリフ

2009-06-08 16:27:25 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 沖縄島にはいたる所にギンネムが生えている。開発が進んで都市地区ではギンネム林は少なくなったが、少し郊外に出ればかなりの面積を覆っているギンネム林を目にすることができる。  子どもの頃、ギンネムは戦争で焦土と化した地に米軍が種をまいたのだ、と大人たちから聞かされた。生命力が強く成長も早いギンネムは、確かに手っ取り早く緑化する上では便利な木なのだろう。小さな濃い茶色の種を一晩水に浸けてやわらかくし、 . . . 本文を読む