Word の「デザイン」タブの解説にあった「自分好みに整える」ことができるという記事を見て思ったのは、Word に限らず、パソコンで文書を作るとき、目的とデザインが釣り合っているかどうか、それがデザインの適否の決め手ではないかということでした。
文書を見る人読む人には、作った人の好みなどどうでもよいことなのです。
自分好みを優先させるのは、見せるため、読ませるための文書ではなく、いつかまた自分が見るための文書づくりの場合でしょう。
文書のデザインだけでなく、評論家、大学教授、ジャーナリストと呼ばれる人の書き方、語り口にも、自分好みの強く表れたものが目立ちます。
文学や小説の場合には、作者の好みと読者の好みが合えばよいのですが、資料や報道の場合は違います。
予想される読者視聴者に等しく正確にものごとを伝えることが望ましい文書では、作る人の好みはずっと後回しということになるはずです。
ところが、実態はそうでもなさそうなのが、いまの情報流通の現状のように思います。