質問は何をよりなぜを感知しないと望む答えを返せない。
Yahoo知恵袋にあった問答。
Q「日本語教育での読解と聴解の指導方法、どうされてますか?
日本語学校の授業で、時々初級の読解トピックと聴解をしています。
それぞれどのような指導方法が効果的、またはどうされているか教えてください。」
A「日本語教育の専門家との交流ができる“○○○の会”という場があります」
Q補足 「私は大学で勉強しただけで、養成講座で詳しく勉強してきたわけではないので、毎回どうすべきか悩んでしまいます。
たとえば時間制限をする、根拠をみつけださせるには...というやり方で、」
A「これはこれは失礼しました。
具体的な技法を直接開陳しているサイトはおそらくないでしょう。
物品のメーカーであれば製造技術のこと、また商店であれば販売技法のことなどは、いわゆるノウハウの問題ですから、簡単にネット上に示されるはずはありません。
どうぞ頑張ってください。」
Aは、Qの意図を知識を広げたいのだと読んだが、Qは、ポカンとしている生徒の顔を思い浮かべながら、何か巧い手がお手軽に見つからないかと思いついただけかもしれず、これでは望む答えは出ないだろう。
相談会などでも、何を聞きたいのかわからない質問には、なぜを探り出せば望む答えは早く出そうなのだが、質問者はなぜを言いたがらないから、言葉が行ったり来たりしているだけに終わることが多い。
回答者に質問のなぜがわかるのには時間がかかる。
なかには半年ぐらい経って、ああそうだったのかと気づくこともある。
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