外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

部活帰りの1本

2013-01-22 19:31:32 | 社会全般
米国において、炭酸飲料の消費が目立って減少しているとの報道がありました。

コカ・コーラ、ペプシ、ドクターペッパーに代表される米国の炭酸飲料
しかし、本家の米国においても、ミネラルウォーターやスポーツドリンクが好まれるようになってきたのだそうです。

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一昔前の日本人にとって、炭酸飲料、ジーンズ、ハンバーガーは、まさにアメリカ文化の象徴でした。

私が物心ついたころ、最も身近な炭酸飲料といえばラムネでした。
そもそもラムネは、1872年(明治5年)に神戸で製造販売が始まり、その後、日本海軍の軍艦の中でも製造されて水兵さんたちにしたしまれるようになって、全国に広まりました

十分に美味しいラムネでしたが、様々な零細業者が製造する駄菓子の範疇でした。

大手メーカーの炭酸飲料といえば、三ツ矢サイダー(1907年(明治40年)発売)、リボンシトロン(1909年(明治42年)発売)、キリンレモン(1928年(昭和3年)発売)が国産御三家といえるでしょう。

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コーラが本格的に日本にやってきたのは、1945年の終戦直後。
米軍の命令で国内6ヵ所にコーラ製造工場が設けられたことに始まります。

そして、1958年に日本コカ・コーラが設立され、1962年に「スカッと爽やか、コカ・コーラ」のCMで一気に大ブレークしたのでした。
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中学や高校の運動部員たちが、部活帰りにアイスクリームや炭酸飲料で一服するのは昔から変わらない風景です。
立ち寄るお店が、酒屋や駄菓子屋からコンビニになったぐらいでしょうか。

どこの学校にも、校門の近くに、下校途中の生徒がたむろう、馴染みの店があると思います。

私たちの世代で、運動部員に最も人気のあった炭酸飲料は「チェリオ」でした。

ファンタ(コカ・コーラ系)やミリンダ(ペプシ系)が1本200mlであったのに対して、チェリオ(セブンアップ系)は298ml!

この98mlの差が、万年金欠病かつ質より量の私たち運動部員たちには本当にありがたかったのです。

チェリオという響きを聞くと、夕暮れの道端でチーム仲間と談笑した、束の間の憩いの時間を懐かしく思い出します。
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