外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

わせでん

2017-10-05 18:20:47 | 早稲田大学
農学部のない早稲田大学で、稲刈りが行われます。
https://prw.kyodonews.jp/opn/release/201710056505/

大学当局の考えとしては、学部の学生数は抑制的に、一方、大学院は更に充実させていくというのが長期的な方向性と耳にしました。

それでも、時代をキャッチアップしていくために、新学部創設も有効な方策でしょう。

とはいえ、早稲田に存在しない学部といえば、医学部、歯学部、薬学部、農学部、獣医学部、芸術学部など、どれも巨額の初期投資が必要なものばかり。

もし学部新設となれば、大学から寄付金の依頼状が 毎月送られてくるような気がしますので、この話題はやめた方が良いかも知れません。
(^^;

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突然の衆院選となり、民進党が希望と立憲民主党、そして無所属に分裂するという実質的解党という流れとなりました。

この騒動を見ていて、私は フォークグループ "赤い鳥"の解散劇を思い出しました。

"赤い鳥"は1969年に結成されて、「翼をください」「竹田の子守唄」などで人気を博した後、1974年に解散しました。

解散により、"ハイ・ファイ・セット"、"紙ふうせん"、"ハミング・バード"に分裂しました。

当時、1973年に荒井由実が初アルバム「ひこうき雲」を発表、山下達郎・大貫妙子らが"シュガーベイブ"で活動を始めるなど、日本の音楽シーンは 今でいうところのJ-Popに大きく舵を切っていました。
その意味で、ハイ・ファイ・セットの目指したポップな路線は まさに時流を捉えたもの。

一方、紙ふうせんは、民謡を素材にするなど1960年代から続くフォークソングの路線を踏襲するものでした。

民謡を発掘する"紙ふうせん"のアプローチは、1960年代から、たとえばフォークルが"ソーラン節"や"コキリコの唄"をレコード化するなど、ある程度 煮詰まったもの、出尽くした路線でした。
「それを まだ やるの?」というのが、当時の私の第一印象だったのです。

その後、ハイ・ファイ・セットはメジャーな存在となる一方、紙ふうせんは表舞台にあまり姿を見せなくなりました。
でも、紙ふうせんは 関西を中心に、今も粘り強く活動しているそうです。

小池新党には、自民党に対する牽制機能が大いに期待される一方、ウルトラ右翼と呼ばれる議員も参加していますので、どのような国家観・歴史観が主流派となる政党なのか、まだ良く分かりません。

かたや立憲民主党は、批判するだけでなく、主張を少しでも実現するために工夫を凝らす政党へと脱皮できるのでしょうか。

22日の投票日まで、懸命に見極めたいと思います。
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