「紺碧の空」「栄冠は君に輝く」「六甲おろし」など数多くの応援歌、そして1964東京五輪マーチを作曲された古関裕而さんにまつわる記事です。
ちなみに、この記事に登場する慶大名誉教授 池井優さんは都立青山高校の大先輩。
何度か神宮球場で 並んで観戦させていただきました。
早稲田を応援する者として、もちろんイチオシは「紺碧の空」「光る青雲」なのですが、スポーツ応援の原体験となっているのは東京五輪マーチであります。
1964年(昭和39年)、小学3年生だった私は、日本選手団の堂々の入場に胸を踊らせました。
ただ、今になって思うことは、この開会式は 第二次大戦で日本が 300万人以上の死者を出してから、僅か19年しか経っていなかったのですから驚きです。
焼け野原から懸命に立ち上がり、五輪の開会式にこぎ着けた先人たちの努力には 全く頭が下がります。
2020東京五輪も、開催決定の当初は"復興五輪"と喧伝されていました。
でも、現在の様子を見ていると、単なるお題目に終わってしまいそうで、少し残念であります。
甲子園大会歌作曲 古関さんに栄冠を 野球殿堂入り提唱 | 県内ニュース | 福島民報
ちなみに、この記事に登場する慶大名誉教授 池井優さんは都立青山高校の大先輩。
何度か神宮球場で 並んで観戦させていただきました。
早稲田を応援する者として、もちろんイチオシは「紺碧の空」「光る青雲」なのですが、スポーツ応援の原体験となっているのは東京五輪マーチであります。
"東京オリンピック 選手入場" を YouTube で見る
1964年(昭和39年)、小学3年生だった私は、日本選手団の堂々の入場に胸を踊らせました。
ただ、今になって思うことは、この開会式は 第二次大戦で日本が 300万人以上の死者を出してから、僅か19年しか経っていなかったのですから驚きです。
焼け野原から懸命に立ち上がり、五輪の開会式にこぎ着けた先人たちの努力には 全く頭が下がります。
2020東京五輪も、開催決定の当初は"復興五輪"と喧伝されていました。
でも、現在の様子を見ていると、単なるお題目に終わってしまいそうで、少し残念であります。