この年に中軸を打っていた俊足・松本(左側)と豪打のマックス佐藤の両選手。
現役時代、マックスさんの写真のほとんどが、このように怖い顔ばかり。
日本生命でプレーされた後に早稲田の監督に就任。
東伏見で、おっかなびっくりご挨拶した時に、マックスさんの穏やかでユーモラスな語り口にビックリしました。
実際にお会いしてみないと、人は分かりません。
現在は、城西国際大の監督さんです。
盗塁の六大学記録を更新した松本さんですが、学生時代は左肩の脱臼が癖となってしまい、安定して力を出し切れませんでした。
プロ入り後に肩を手術。
猛練習によってスイッチヒッター転向にも成功し、持ち前の快足で『青い稲妻』あるいは『走る博多人形』などと称されるスター選手になりました。
松本さんは、巨人のスカウトとして、和田、鳥谷、越智らを見に、東伏見に連日おいでになっていました。
松本さんも本当に優しい方です。
なお、松本さんがプロ入りされた時にもらったサインが写真の左側に見えます
\(^O^)/
現役時代、マックスさんの写真のほとんどが、このように怖い顔ばかり。
日本生命でプレーされた後に早稲田の監督に就任。
東伏見で、おっかなびっくりご挨拶した時に、マックスさんの穏やかでユーモラスな語り口にビックリしました。
実際にお会いしてみないと、人は分かりません。
現在は、城西国際大の監督さんです。
盗塁の六大学記録を更新した松本さんですが、学生時代は左肩の脱臼が癖となってしまい、安定して力を出し切れませんでした。
プロ入り後に肩を手術。
猛練習によってスイッチヒッター転向にも成功し、持ち前の快足で『青い稲妻』あるいは『走る博多人形』などと称されるスター選手になりました。
松本さんは、巨人のスカウトとして、和田、鳥谷、越智らを見に、東伏見に連日おいでになっていました。
松本さんも本当に優しい方です。
なお、松本さんがプロ入りされた時にもらったサインが写真の左側に見えます
\(^O^)/
1976年春の早慶戦を前にして六大学記録(明治:高田選手48個)に後1個と迫っていた
早慶1回戦で3盗塁を決め高田選手の記録を破り通算記録を50個とした
この時の慶応の捕手は堀場選手です
松本選手は1975年春の早慶1回戦では卯田投手から満塁本塁打を放っています