当時の安部球場の風景。
ひょっとしたらmytochigiotokoさんの背中も写っているかも知れません。
(*^_^*)
たくさんのファンが見学しているのが写真からお分かりいただけると思いますが、実は観客席はコンクリートむき出し。
鉄骨が一部顔を出している箇所もありましたから、観客席というよりも、観客席の土台部分という感じでした。
安部球場は、地域に根付いた存在でした。
野球部の練習以外にも、体育の授業に利用されたり、地元の子供たちの遊び場にもなっていました。
そう考えると、今の東伏見の状況は、一ファンにとって少し寂しいものがあります。
安部球場は、現在の図書館あたりにありました。
図書館とキャンパスを区切る坂道が、今でも『グラウンド坂』と呼ばれています。
ひょっとしたらmytochigiotokoさんの背中も写っているかも知れません。
(*^_^*)
たくさんのファンが見学しているのが写真からお分かりいただけると思いますが、実は観客席はコンクリートむき出し。
鉄骨が一部顔を出している箇所もありましたから、観客席というよりも、観客席の土台部分という感じでした。
安部球場は、地域に根付いた存在でした。
野球部の練習以外にも、体育の授業に利用されたり、地元の子供たちの遊び場にもなっていました。
そう考えると、今の東伏見の状況は、一ファンにとって少し寂しいものがあります。
安部球場は、現在の図書館あたりにありました。
図書館とキャンパスを区切る坂道が、今でも『グラウンド坂』と呼ばれています。
中村主将時のオープン戦を観戦しました対戦相手は関西の大学だったと記憶しています
鉄骨のむき出しになっていた観客席を思いだしました
練習のシーンやオープン戦などもかなり
覚えていてここに書けないこともありました。また忘れてしまったこともありました。それが数年前あるオフ会の帰りNさんの車に乗せてもらい馬場に向かう途中、Nさんが「昔、中大の4番打者矢野に大ホームランを打たれえらく石山監督に怒られた」と述べて、実は私も見ていたのですがあまりの凄い本塁打で早稲田の投手が誰だったか忘れてしまったのがはっきりしたのです。こんどあのころの思い出でもどこかに書いておこうかと思っています。
「石井連蔵監督の時、チームの成績が不振で安部球場に早稲田界隈の熱狂的なファンが来て監督をスタンドから非難した、その非難に対してシートノック中の監督がファンめがけて怒りのノックした」地域との繋がりは安部球場時代が強かったですね
安部球場で自主休講された方も多いのでは
体育(軟式野球)の授業で安部球場でプレーしたときはとても感動しました。
発掘のバイトでグランドの土を掘り返しているときは寂しかったです。
そんなバイトがあったんですね。
大学に関係するバイトというと、私は入試のお手伝いしか経験がありません。
いつも刑法の西原先生に、申込書へのサインをお願いしていました。
一文、二文、教育の入試は女子の受験生が多くて、それなりの励みがありました。
(^^)v
しかし、その他の学部、特に理工学部の入試監督は、男ばかりで、味も素っ気もありませんでしたね。
当時の校舎はスチーム暖房。
銀色の暖房器具の前に座ると、極端にポカポカとなり、試験監督にも関わらず熟睡してしまったこともあります。
大学院生の試験監督に『君、もう終わるよ』と起こされ、その時の受験生たちの冷たい視線は忘れられません…。
この場を借りて、四半世紀前の理工学部受験生の皆さんにお詫びします。