センバツの21世紀枠入りが期待されていた新潟高校ですが、惜しくも出場権を逃しました。
新潟高校は文武両道の伝統校。
昔から東京六大学、中でも東大野球部に選手を送り込んでいます。
有名なところでは、東大初の日米大学野球出場選手である大越健介投手、女性ながらもリーグ戦に登板した竹本恵投手といったところでしょうか。
大越投手は、東大で、あの市川投手(都立国立高校)の二年先輩にあたり、リーグ戦で8勝を記録しています。
東大での8勝は、大変な価値があります。
東大野球部が強かった時代を代表する選手の1人といって良いでしょう。
卒業後はNHKに就職し、政治部あるいは海外での勤務が長かったのですが、春からは夜9時の「ニュースウォッチ・ナイン」でメイン・キャスターを務めると発表されています。
ニュースへのリンク
一方、竹本投手は、在学中は明治の小林千尋投手との女性対決で注目を集め、卒業後は「バイクで各地を回りたい」と海外へ渡航。
三年間ほど海外で生活してから帰国し、現在は東大の大学院で勉強しているそうです。
このようにみると、二人とも国際派で、さすが東大という活躍ぶりです。
それにしても、大越投手の在学中のチョビ髭姿(撮影は二年生の晩秋ごろ)は、ちょっと笑えますねぇ。
正直なところ、あまり格好良いという感じはしません。
ワシントン駐在も務めた腕利き政治記者というよりは、途上国の道ばたで餃子の屋台でも曳いているような…
(*^_^*)
今となっては、ご本人も「写真を撮られる時ぐらい、ちゃんと髭を剃っておけば良かったなあ」と思っていらっしゃるのではないでしょうか。
ともあれ、神宮の星であった大越投手も48歳になりました。
神宮の仲間として、彼のキャスターとしての活躍を、大いに期待いたしましょう。
スポーツ畑出身の青山祐子アナウンサーと、きっと息の合った良いコンビになりますよ!
3月29日(月曜日)からの登場です。
新潟高校は文武両道の伝統校。
昔から東京六大学、中でも東大野球部に選手を送り込んでいます。
有名なところでは、東大初の日米大学野球出場選手である大越健介投手、女性ながらもリーグ戦に登板した竹本恵投手といったところでしょうか。
大越投手は、東大で、あの市川投手(都立国立高校)の二年先輩にあたり、リーグ戦で8勝を記録しています。
東大での8勝は、大変な価値があります。
東大野球部が強かった時代を代表する選手の1人といって良いでしょう。
卒業後はNHKに就職し、政治部あるいは海外での勤務が長かったのですが、春からは夜9時の「ニュースウォッチ・ナイン」でメイン・キャスターを務めると発表されています。
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一方、竹本投手は、在学中は明治の小林千尋投手との女性対決で注目を集め、卒業後は「バイクで各地を回りたい」と海外へ渡航。
三年間ほど海外で生活してから帰国し、現在は東大の大学院で勉強しているそうです。
このようにみると、二人とも国際派で、さすが東大という活躍ぶりです。
それにしても、大越投手の在学中のチョビ髭姿(撮影は二年生の晩秋ごろ)は、ちょっと笑えますねぇ。
正直なところ、あまり格好良いという感じはしません。
ワシントン駐在も務めた腕利き政治記者というよりは、途上国の道ばたで餃子の屋台でも曳いているような…
(*^_^*)
今となっては、ご本人も「写真を撮られる時ぐらい、ちゃんと髭を剃っておけば良かったなあ」と思っていらっしゃるのではないでしょうか。
ともあれ、神宮の星であった大越投手も48歳になりました。
神宮の仲間として、彼のキャスターとしての活躍を、大いに期待いたしましょう。
スポーツ畑出身の青山祐子アナウンサーと、きっと息の合った良いコンビになりますよ!
3月29日(月曜日)からの登場です。
明治に連勝した時のメンバーです
5松田(湘南)
9富田(湘南)
2渋沢(上田)
4伊藤仁(東海)
7平尾(新潟)
8遠藤(都立国立)
7平野(戸山)
6今井(湘南)
1西山(湘南)、中沢(姫路西)
ちなみに75年度主将は高橋(戸山)、控えには古田(早大学院)、積田(都立青山)、藪亀(旭丘)、長尾(武蔵)、野村(湘南)、古久保(大教大付属)らがいました。
当時の東大は、公立高校出身の選手が多く、かなり強かったです。
1970年代後半の東大の強打者、平尾選手も新潟高校ではなかったでしょうか?筋肉質の体で思い切りの良いフルスイング、痛烈な打球が印象に残っています。
竹本さんは大学院を卒業して新聞社勤務ですか。
彼女のことですから、きっと既成の枠にとらわれず、良い仕事をされていることでしょう。
私の勤務する銀行にも、取材に来ていらっしゃるかも知れませんね。
それにしても、新潟高校から東大野球部に進んだお二人が、揃って報道関係で働いていらっしゃるのは、実に面白いです。
いつも楽しく拝見させていただいております。
竹本恵さんは、今、大手町の経団連ビル隣の某新聞社(箱根駅伝の主催でないほう)の記者として活躍されています。男性顔負けの度胸と体力で頑張っていらっしゃいます。
大越さんは、秋のシーズンが終わってしばらくしたころ、明治の府中のグランドにご子息の遼介くんを訪ねていらしていました。いらっしゃるだけで存在感のありオーラをお持ちの方でした。