これまで早稲田学報に何度か掲載されていた早稲田川柳が 一冊の本になりました。
ただいま予約販売中で、さっそく私も注文いたしました。
「青じゃない 我が青春は エンジ色」
秀作ですね。
もっとも青山高校生出身の私の場合は、青とエンジの縞模様です。
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西武 大石達也投手が現役引退します。
大石くんのプロ野球生活は、不本意なものになってしまいました。
大石くんの学生時代を振り返ると、無敵のクローザーとして150km超を連発していた印象が強烈です。
ただ、オープン戦や紅白戦で先発した時の彼はというと、どういうわけか130 km台後半しか出ない、言ってみれば平凡な投手になってしまうのです。
そんな彼が西武からドラフト指名を受けた時、当時の西武 渡辺久信監督が「大石は先発で」とスポーツ紙に語っているのを知り、実に嫌な予感がしました。
もしプロ野球でも慣れ親しんだクローザーとして当初から起用されていたならば、彼のプロ野球人生は 全く違うものになっていたのではないかと思えてなりません。
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慶応でミスコンテストが行われています。
いかにも慶応らしい企画であります。
なお、同様のミスコンは早稲田では行われていないようです。
ところで、私が都立青山高校に入学した1971年、1年生の女子生徒を対象にした人気投票が行われました。
ある日、1年生の8教室につながる階段の踊り場に、人気投票 ベスト10女子を列挙した模造紙が張り出され、黒山の人だかりに。
その時、バスケットボール部のN嬢がトップとなりました。
しばらくの間、「Nさんて、どの子かな?」と教室を覗きこむ男子生徒で休み時間は大騒ぎになりました。
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ちなみに、そのNさんの弟は、国学院久我山から早大ラグビー部に進み、一本目のNo.8として、そしてキッカーとして大活躍しました。
それにしても、現代ならばジェンダー論的な視点から、物議を醸す ミスコン。
1960-70年代の青山高校は政治や社会問題化に敏感で、何かと論争が起きる土壌でしたけれど、この人気投票については 当時 問題になった記憶がなく、 みんな笑って楽しんでいたように思います。
ただ、勝手に人気投票の対象とされてしまった女子生徒の内心は どうだったのやら。
次のクラス会の時にでも聞いてみましょう。
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