紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

怒りの不動

2007-12-15 00:08:42 | テレビ
 今週の私的『ちりとてちん』の見所は、師匠(の弟子、草原、四草、若狭へ)の導き方の絶妙さと、草原のブレイクスルーだった。

 もちろん本筋は、主人公・若狭が失恋と嫉妬とどん底の自己嫌悪からいかにして立ち直るか、というのが眼目なのだ。

 密かに(けれど周囲の人達は全員知っている。いままでなぜか気付かなかった人達も、隣人たちに教えられて知る所となる。本人以外は・笑)愛している草々兄さんが、彼女の幼なじみでずっと目の上のタンコブだったA子ちゃんと付き合う間の七転八唐フ末、師匠に摧jり(内弟子修行中に恋愛感情を持ってしまう)を号泣しながらカミングアウトする場面は出色で、何回見ても(計4回みた!)、もらい泣きである。

 で、これを「まず、その涙と鼻水、なんとかせい!」とティッシュの箱をすべらす草若師匠の、気の抜き方が素晴らしい。そのあと、破門してくれなんて、口にするなどもってのほか、いますぐたたき出されてもおかしくない!と一喝。 そこで(たぶん)猛省してまた号泣しそうになる彼女に「泣くな!」と一喝し、興奮状態の若狭を鎮め、そして諄々(じゅんじゅん)と、この苦境と折り合いをつける方法を指し示す。「こうすればいいよ」ではなく、「ここがちょっとちがうんじゃない?(だからこういう方法があるんじゃないかな?)」。師匠が語るのは、あくまでヒントに留まる。答はきっと弟子の中にあるからだ。

 だからここでもまた、(向き合うことがかなり苦しい)自分と向き合わなければならない。そして今回はもうワンステップ。十分に自分と向き合ったら、次は向き合うべき他人と向き合うこと。これはすでに上級者レベルなので、私にはたぶんできそうもないが、若狭はさすが主人公だけあり、師匠の言うことを理解して、実行する。

 一方、熱愛する落語『算段の平兵衛』を高座にかけたい弟子・四草は、師匠に「お稽古つけてください」とお願いするが、今回も断られ、「それよりもっと若狭の面唐ンたれ」とヒントをもらうが、その言葉の意味をスルーしてしまう。そのためテープで練習したのみの『算段の平兵衛』を勝手に高座にかけてしまい、大失敗を喫するはめになる。

 その後、彼は師匠から「落語はひとからひとに伝えて行くもの」であることを諭され、やっと「妹弟子の面唐ゥる」というのが、それこそ「お稽古」だったのだと気付くのだ。

 で、筆頭弟子の草原は、今回の高座で、師匠に「弟子が飛躍的に成長する場面に直面する」というプレゼントをもたらす。

 彼は長年修行を積み、太鼓も三味線も器用にこなし、古典の造詣も落語の解釈も深いのに、人前で話すのが苦手であがり症、大事なところで「かんで」しまうという、落語家としては致命的な欠点を持っている。たぶん自意識が大きすぎるのだ。

 普段の草原は、温厚で思いやりにあふれ、面東ゥも良い。自分でも天才的に面東ゥがいい、といってるくらいだ。

 それが、自己嫌悪で心千々にみだれて稽古どころでない若狭を、ぎりぎりまでは面唐ンたが、ついに「もう寄席には出るな!台無しにされたないからな!」と怒る。出番前に楽屋でとっくみあいの喧嘩をする草々と小草若にも、「そんなことしてるやつ、出るな!」と、さらに怒りは高まり、挙げ句の果てに勝手に演目を変えて大失敗する四草が戻るやいなや、怒りは頂点に! 

 ピークの怒りにまかせたまま舞台に上がり、怒りのあまり、「あがる」ことを忘れつづける草原は、いつになく滑らかに口が動き、枕の段階で笑いをとり、絶好調で実に楽しそうに演じ続け、弟弟子たちを呆然と驚かせ、師匠を喜びで満たす。

 舞台袖で草原を迎えた師匠は、かつて草原がお客を「凍らせてしまった」ことをうなだれて伝えたとき師匠が温かくバトンタッチしたときと、同じ比喩をもって褒めたたえる。このときの草原の表情が、かつてと同様に師匠への愛と尊敬に満ちあふれたものだった。

 私もめったに激怒することはないけれど、そのぶん純粋に激怒するときには「自分を超えた」ようなものがあることは、体験上知っている。なんかこう、なにかが「乗り移った」みたいなね。「『あれ』やんか『あれ』~」、と深く草原に共感してニヤニヤ。非難や不公平感から感じる怒りではなく、うまくいえないけど、完全燃焼みたいな空っぽみたいな「怒り」ね。ま、めったにないことだけど。

 「怒り」ってネガティブなだけではなくて、ャWティブなパワーもあることを、改めて知る。そういえば、社会運動とかも、「怒り」からはじまるよね。