前回につづき今回もシューティングネタを書く。
シューティングとロールプレイングの楽しみかたの違いを考えてみたい。
ロープレは(極論すれば)だれにでもクリアできる。だれでも達成感を楽しむことができる。
シューティングはまずクリアできない。だれも達成できないことを達成したことに対して達成感を感じる。
ロープレは対話やアニメーションによりストーリーを楽しむものが大多数だ。
シューティングにはストーリーは申しわけ程度についているが、あまり意味をなさない。
ロープレは(謎解きの要素もあるが極論すると)単純作業のレベル上げにより先に進む。
シューティングは弾を避ける技能を磨き、言語を絶する弾幕を避けることにより先に進む。
ロープレの主人公は特別な能力を与えられた勇者だったり王子様だったりすることが多い。
シューティングの主人公はなんの変哲もない自分自身。
ロープレは最後になればなるほど主人公が強くなる。
シューティングは最後になればなるほど敵が強くなる。
ロープレではそうやすやすと全滅しない。
シューティングではすぐ全滅する。
ロープレでは死にそうになったら回復魔法を使えばよい。つかえなくなったら街にもどればよい。
シューティングでは死にそうになったら魔法の弾消しボムを使えばよい。つかえなくなったら死を覚悟する。
ロープレは家でおちついて楽しむ。
シューティングは家でおちついてやったら面白くない。やはりアーケードに限る。
ロープレには達人プレーというものがほとんどない。
シューティングでは自分が達人プレーできなければクリアできない。
ロープレで強くなるには金をだして武器防具を買う。
シューティングで強くなるには自分の腕を磨いて奥地まですすみアイテムを得るしかない。
ロープレで死の恐怖を味わうようなら、いったん戻ってレベル上げをする。
シューティングで死の恐怖も味わえないようなら、おもしろくもなんともない。
ロープレでは敵の攻撃は避けられない。
シューティングでは敵の攻撃は避けなければならない。
ロープレの楽しみは家でじっくり本を読む楽しみに似ている。
シューティングの楽しみはスポーツカーをかっ飛ばしてスリルを楽しむのに似ている。
つまるところ、わたしは思う。
ロープレは熟練しなくても誰でも感動を味わえるように作られたのだと。
シューティングは誰も味わえない感動を味わうために熟練して感動するように作られたのだと。
だから、たかがゲームごときに熟練する必要のないロープレは隆盛を極め、シューティングは熟練が必須とするため凋落したのだ。
これはしかたがない。
しかし野球にしろ将棋にしろ、あるていど熟練してはじめて得られる楽しさはあり、それは初心者がちょっとやってみた程度の楽しさとは次元を超えた楽しさである。
だからわたしは言いたい。
ほんとうはもっと多くのひとに熟練してもらい、もっと多くのひととシューティングの面白さを分かち合いたいのだ。
(えっと、エラそうなこと書いていますがわたしは1周ALLがせいぜいで、達人でもなんでもないですよ(笑)。それにロープレも大好きですよ(笑々)。次回はそのわたしが、弾避けとはなんたるかを書いてみようかなあ・・・と。)
シューティングとロールプレイングの楽しみかたの違いを考えてみたい。
ロープレは(極論すれば)だれにでもクリアできる。だれでも達成感を楽しむことができる。
シューティングはまずクリアできない。だれも達成できないことを達成したことに対して達成感を感じる。
ロープレは対話やアニメーションによりストーリーを楽しむものが大多数だ。
シューティングにはストーリーは申しわけ程度についているが、あまり意味をなさない。
ロープレは(謎解きの要素もあるが極論すると)単純作業のレベル上げにより先に進む。
シューティングは弾を避ける技能を磨き、言語を絶する弾幕を避けることにより先に進む。
ロープレの主人公は特別な能力を与えられた勇者だったり王子様だったりすることが多い。
シューティングの主人公はなんの変哲もない自分自身。
ロープレは最後になればなるほど主人公が強くなる。
シューティングは最後になればなるほど敵が強くなる。
ロープレではそうやすやすと全滅しない。
シューティングではすぐ全滅する。
ロープレでは死にそうになったら回復魔法を使えばよい。つかえなくなったら街にもどればよい。
シューティングでは死にそうになったら魔法の弾消しボムを使えばよい。つかえなくなったら死を覚悟する。
ロープレは家でおちついて楽しむ。
シューティングは家でおちついてやったら面白くない。やはりアーケードに限る。
ロープレには達人プレーというものがほとんどない。
シューティングでは自分が達人プレーできなければクリアできない。
ロープレで強くなるには金をだして武器防具を買う。
シューティングで強くなるには自分の腕を磨いて奥地まですすみアイテムを得るしかない。
ロープレで死の恐怖を味わうようなら、いったん戻ってレベル上げをする。
シューティングで死の恐怖も味わえないようなら、おもしろくもなんともない。
ロープレでは敵の攻撃は避けられない。
シューティングでは敵の攻撃は避けなければならない。
ロープレの楽しみは家でじっくり本を読む楽しみに似ている。
シューティングの楽しみはスポーツカーをかっ飛ばしてスリルを楽しむのに似ている。
つまるところ、わたしは思う。
ロープレは熟練しなくても誰でも感動を味わえるように作られたのだと。
シューティングは誰も味わえない感動を味わうために熟練して感動するように作られたのだと。
だから、たかがゲームごときに熟練する必要のないロープレは隆盛を極め、シューティングは熟練が必須とするため凋落したのだ。
これはしかたがない。
しかし野球にしろ将棋にしろ、あるていど熟練してはじめて得られる楽しさはあり、それは初心者がちょっとやってみた程度の楽しさとは次元を超えた楽しさである。
だからわたしは言いたい。
ほんとうはもっと多くのひとに熟練してもらい、もっと多くのひととシューティングの面白さを分かち合いたいのだ。
(えっと、エラそうなこと書いていますがわたしは1周ALLがせいぜいで、達人でもなんでもないですよ(笑)。それにロープレも大好きですよ(笑々)。次回はそのわたしが、弾避けとはなんたるかを書いてみようかなあ・・・と。)