教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

古代民族メガドライバー興亡史 (上巻)

2009-01-29 00:04:37 | オタネタ全般
この話はメガドライブの数奇な運命に自ら望んで翻弄されていった人たちの話である。

古代のコンシューマー業界はファミコンのみに席巻されていた。
だが、ゲーセンで遊ぶコアな男たちにはファミコンでは不足だった。なぜならファミコンでは移植に限界があったからだ。
彼らは待ち望んでいた。
ゲーセンのゲームをまともに移植できるハードを。彼らの渇望を満たす高性能なハードを。

1988年、永遠の問題作メガドライブは発売された。
スペックは彼らの待ち望んでいたものに極めて近かった。
メガドライブは当時そしてそれ以降しばらくの間においてゲーセンで主流であった68000を搭載した。
彼らはメガドライブとそのスペックを狂喜して歓迎した。それが彼らの歩んでいく数奇な運命とも知らずに・・・。

はじめはソフトの本数があまりにも少なかった。
彼らは待った。栄光の時代が来るのを信じて疑わなかったから。

少しずつソフトは増えていった。
サードパーティー製のゲームも発売されるようになってきた。
とりわけ魂を熱くする硬派なゲームの出来がすばらしかった。
ファミコンを考えれば驚くほど出来のすばらしいアーケードからの移植も続々となされていった。
彼らはファミコンユーザーに対してメガドライブのハード性能の高さを自慢した。
彼らは誇らしかった。彼らの信ずるものが正しかったと証明されたからだ。

ファミコンとメガドライブのハードの性能差のほかに、このような潮流を生んだ理由は諸説ある。
たとえば任天堂の要求するロイヤリティーが非常に高く、それをボッタクリと嫌気したソフトハウスは任天堂以外にシフトしたがったという説。
たとえばファミコンはユーザー数も多いがライトユーザーが多くソフトのリリース数も半端じゃないから目立たない。メガドライブはコアなユーザーの割合が極めて高いため、良質の硬派なゲームを作れば必ずユーザーが答えてくれ、確実に一定割合の収益を上げられたからだという説。
ゲーム開発者のなかには、ファミコンのようなショボいCPUではなく、高性能ハードで腕をふるって凝ったものを作ってみたいという者もいたはずだという説。
どれが正しいのかまではわたしにはわからない。いまとなってはただ歴史に刻まれた時を思い出すだけだ。

それにファミコンはすぐに壊れていったがメガドライブはとにかく頑丈で壊れなかった。
それにファミコンならばハードのちょっとした不具合で画面が固まることもあったが、メガドライブにはそんな不具合は聞いた事もなかった。
メガドライバーたちは、ファミコンはチャチなオモチャだとあざ笑った。

歴史が示すものは、このときが彼らの最も栄光ある時代だったということだ。
この後の歴史を語ろう。



(明日の記事につづく)