教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

オタクの誇り と 電車男のハッピーエンド

2009-01-21 00:58:42 | オタネタ全般
電車男がほんとうに実在する人物ならば、ハッピーエンドを迎えられてよかったね、と応援したいところである。

だが、電車男の映画版などをみると、どうも
「オタクなダメなやつが、彼女もできてオタクも卒業して、ハッピーになる物語」
という解釈で作られているところが気に入らない。
わたしの反論したいところはこうだ。

 ・ オタク=ダメなやつなのか
 ・ オタクを卒業しなければハッピーになれないのか

まず、オタクでない、いわゆる普通の人からみたら、オタク=ダメなやつでありオタクだからハッピーではないと、きっと言うだろう。とくに良識派コメンテーター気取りの自称評論家どもは。

この問題を語るには、オタの人種には2種類いることをまず述べなければならない。

ひとつめの人種。これは自らがオタであることを恥じており、アニメなどは一切絶ってカフェでリアルの女と語り合っているような姿が本来のあるべき姿と思っているオタたち。仮に否定派オタとでも言おうか。

ふたつめの人種。これは自らがオタであることに誇りを感じており、家に帰っても漫然とTVをみるとか休みの日にもショッピングにいくとかくらいしか脳のない庶民に対し、人生をかけて打ち込むに値する価値があるものを見つけた自分に満足しているオタたち。仮に肯定派オタとでも言おうか。

フェミニストがいうように、リアルの女に相手にされないからアニメに走った人もいるかもしれない(わたしもリアルの女に相手にされないのだが、それはおいといて)。
良識派コメンテーターがいうように、スポーツなどの趣味がなく、それに手をだすほどの気力もないからアニメに走った人もいるかもしれない(わたしもスポーツの趣味はないのだが、それはおいといて)。

オタはそんなネガティブ思考では語れはしない!

わたしはフェミニストや良識派コメンテーターに言いたいのだ。
あなたたちはいったい何を楽しみに生きているのだ、わたしはとらドラ!の次回放映が楽しみでしかたない、と。
あなたたちはなにか心の底から打ち込んだものがあるのか、わたしはアニメが心の底から大好きだ、と。

だからわれわれオタ(さきの肯定派オタ)たちは、オタク=ダメなやつでありオタクだからハッピーではないという論調を鼻で笑う。

アニメやマンガではないが、わたしは大学時代にとあるオタ趣味の修練に努め、そのおかげで今の会社に勤め、そこそこの評価をもらっている。会社に入ってからはアマチュアな大学生でできる程度のものではプロとしてやっていけない事を痛感させられたが、しかしわたしの大学時代のオタ精神がなかったなら、会社でははじめからやっていけなかったと確信している。(サイトのアドレス名みたら何のことなのかピンとくる人もいるかもね(笑))
キミは大学時代に何をやっていたのだ、と聞かれてちゃんと答えられる男はオタ以外にはほとんどいないだろう。

それに今の日本ではオタ産業は重要な輸出品目と認識されつつある。
ここまでに育てた人たちはいったいだれか。
アニメ製作会社に勤務して、一日中アニメの絵を描いて、クタクタになって家に帰ってもアニメを見て楽しむような気概のあるアニメーターのひとたち。
ゲーム製作会社に勤務して、一日中プログラミングして、クタクタになって家に帰ってもゲームして遊ぶような気概のあるゲームクリエーターのひとたち。
愛すべき、尊敬すべきオタたちだ。イヤイヤながら仕事をして、家に帰ったらダラダラとTVを見て寝るだけの庶民が作ったのではない。

わたしは電車男のハッピーエンドに反論する。
オタを卒業するというハッピーエンドはわたしのあるべき姿と異なる。
わたしはオタの人生は誇り高く実り多きものだと感じているのだ。