教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

古代民族メガドライバー興亡史 (中巻)

2009-01-30 00:01:21 | オタネタ全般
(昨日の記事からのつづき)



メガドライブの誕生と1年という近い期間にNECによりPCエンジンというハードも投入されていた。
これもまた高性能ハードという位置づけだった。
反任天堂という連合を組むわけではなくシェアの食い合いになり、任天堂以外というニッチな市場を取り合うという双方にとって思わしくない、任天堂にとって思わしい状態になった。

PCエンジン陣営はさらなるシェア拡大の秘策として、CD-ROMを搭載した増設ハードを投入した。
かなりの高額ハードだったが、こいつのすばらしさはメガドライバーだけではなく全ゲーマーが度肝をぬかされた。
ゲームなのに全画面のアニメーションが走り、しかもキャラがフルボイスでしゃべる。
あのときはオーバーテクノロジーだとあっけに取られるくらいに凄かった。

無論、メガドライバーの間にも激震が走った。
セガはどうするのか、それに話題が集中した。

後々になってセガもPCエンジンの戦略を踏襲することになるが、結果的はそうせずともメガドライバーはPCエンジンから袂を分かつことになった。
CD-ROMの大容量を生かせるアプリケーションはアニメーションや声であり、その能力を最大限生かせるジャンルというとギャルゲーだった。必然的にハード全体が少しずつギャルゲーに傾注していくことになる。
メガドライバーはメガドライブの硬派なゲームを信奉していた。
だからギャルゲーであふれかえるPCエンジン陣営は許せなかったのだ。

恐らくこの頃からであろう。
メガドライバーが孤高で清い道徳規範を理想としていたのに対し、排他的で末世思想的になっていったのは。
任天堂を揶揄するときに暗喩でつかう花札屋という言葉も流行りだした。

いつのまにか
「セガはすばらしい!
 だからセガ大好き!
 セガ様バンザイ!」
ではなくて、
「セガはダメな会社だ、だけど時たま素晴らしい事をする!
 だからどんなに評判が悪くてもオレはセガが好きだ!
 それでもセガを選んだオレ様バンザイ!」
になってきたような感じだった。

なんとなくそれなりに良いものを右にならえで選ぶのではなく、糞溜めに輝く1粒の宝石に価値を見出すような悲壮で険しい選択、そしてそれをあえて選ぶ自分自身の生き方に誇りを見出していたのだった。
極論すればインテルはいってる状態になる前のMACユーザーの排他的言動と同じようなものだ。

メガドライバーはあいからわずハード性能の高さを誇らしげに語っていたが、それはソフトが充実していないことの表れであり、自ら強がりであることを半ば意識していた。

PCエンジン陣営のCD-ROM化から遅れること3年、セガもCD-ROM化を決断した。
セガ陣営はPCエンジン陣営とは異なる切り口で大容量を使ってみせ、3DCGなどを駆使したすばらしい硬派なゲームも作って見せた。
メガドライバーはセガの全てを受け入れた。PCエンジンの二の舞にならなかったことが心底嬉しかった。

メガドライバーは鼻息を荒くした。
PCエンジン陣営のCD-ROM化の誤った進化に対し、我々が正しい使い方を示してやるのだと。ゆくゆくはPCエンジン陣営のシェアを食いつくし、任天堂のシェアに食い込むことも夢ではないと。

しかし時は遅きに徹していた。
PCエンジン陣営でさえ任天堂をひっくり返すほどの成果を上げられていなかったにもかかわらず、後追いハードではなおの事であった。大容量のバッファや追加の68000を搭載してはいたが趨勢への影響は与えられなかった。

この間に発売された任天堂のスーパーファミコンに対し、実は海外ではメガドライブは意外と善戦していた。
スーファミより少しだけ安かったからだとか、日本で絶大な人気を誇る日本製のロープレは海外ではまったく売れないから海外ではスーファミのソフトの優位性が損なわれたのだとか諸説あるが、実際問題としてなぜなのかまではよく知らない。
とにかくそのときのセガは海外でのシェアを維持しなければならなかった。その思惑に沿いSuper32X, ワンダーメガ, テラドライブ, メガCD2なども発売されたがメガドライバー自身忘れたくなるほど燦々たる結果に終わり、はたしてハード寿命の延長にわずかでも寄与できたかどうかすら疑わしかった。

この失敗はセガだけではない。PCエンジン側もハード延命商品を多数投入し、日本に住んでいながら商品を売っているのを1度も見たことがないというほど低調な商品ものこして同じような運命をたどっていった。
ちなみにわたしの仲間内では
「(PCエンジンの)スーパーグラフィックスなみに売れそうだ」とか
「(PCエンジンの)LTなみに見たことがない」とか
「(PCエンジンの)アーケードカードなみに心配だ」とか
よく言ったものだ。

そして時はハードの寿命を終え、次世代ゲーム機論争へと移ってゆく。



(明日の記事につづく)