速度を犠牲にしても圧倒的な重武装をすべきか?
いや、
武装を犠牲にしても圧倒的な機動力をもって戦いの主導権を握るべきか?
これは実に難しい問題である。
たとえば重武装でいうと・・・
ドイツ軍ならティガー戦車。
サーキットの狼ならフェラーリ。
ガンダムなら連邦軍の白い悪魔。
怒首領蜂ならCタイプ。
たとえば機動力でいうと・・・
ドイツ軍なら電撃作戦。
サーキットの狼ならロータスヨーロッパ。
ガンダムなら赤いひと専用ザク。
怒首領蜂ならAタイプ。
そしてどちらにも華がある。
当然だがどちらが良いとも言い難い。
ところが!
物語においては常に一定の法則がある。
それは・・・
主人公は機動力タイプであること。
主人公は火力でライバルに圧倒されること。
主人公は腕前によってハンデを克服すること。
これは日本製の作品だけの性質ではないだろうか。
実はこれはアメリカ製の作品には当てはまらないのだ。
たとえばスタローンやシュワルツネッガー主演のハリウッド映画を見てみるといい。
主人公は肉体美や超人的身体能力を売りにしている。
主人公が撃ち負けるなんてことはありえない。
これは日本製のソレとはビミョーに違う気がする。
日本の文化の根底には、判官贔屓という性質が横たわっている。
つまり、無意識のうちに弱いほうに同情的になり肩入れしてしまうのだ。
対してアメリカは、ナンバーワンでなければならないという性質がある。
中国もナンバーワンを重視する。
そして韓国は強いほうの味方であろうとする性質がある(←これは日本人から見るとかなり意地汚く利己的に見える)。
さっきのハリウッド映画の件と日本製のマンガを比較してみよう。
主人公は始めはどこか頼りなさげで、最初はタダの人というところから始まる。
主人公よりマッチョだったり重武装だったり巨大だったりという敵キャラが必ず現れる、というかそんな敵キャラが主流である。
主人公は武力に圧倒される。
そして主人公は葛藤し、研鑽をつみ、知恵をしぼり、たった1つの冴えてやりかたにより力で圧倒する敵を倒す。
そう、ヒーローは重武装していてはならないのだ。
サーキットの狼だってそうだ。
泣きたくなるような非力なエンジンのロータスヨーロッパで運転技術を駆使して戦うからおもしろい。
怒首領蜂だってそうだ。
狂気の弾幕のなかを紙一重で避けて戦う、蝶のように舞い蜂のように刺すAタイプのほうがおもしろい。
(このへんのことは2009.05.05記事を参照ねがう)
ガンダムも実はそうだ。
実はアムロは主人公ではあるがヒーローとは言い難い。
だからアムロは頑丈さがとりえの白い悪魔に乗る。
人はアムロには憧れない。
ヒーローとは敵キャラたる赤い人のことである。
彼は機動力を極めて重視しており、そして非力というハンデを自らの腕前でカバーして戦い続ける。
その姿勢に人はヒーロー像を見るのである。
フシギなことに、ガンダムの世界では常に(というほどでもないかもしれんが)主人公側の一味のほうが重武装しているようにも見える。
もちろん連邦軍の白い悪魔のことだけではない。
たとえばクスィーガンダムやペーネロペーなどは、もうちょっとしたら縦横比が1:1になりそうなほど重武装している。
そして、シャアやグラハムなど、ガンダムに戦いを挑む側のほうがかっこいい。
だから判官贔屓のヒーロー像としては矛盾していない。
この日本人だけが持つ判官贔屓の美学、ガンダムのヒーロー像を、はたしてアメリカ人が理解できるだろうか?
おそらく理解できる人は少ない。
なぜなら、ハリウッド製の実写ガンダムではシャアはデブキャラだったから。orz…
いや、
武装を犠牲にしても圧倒的な機動力をもって戦いの主導権を握るべきか?
これは実に難しい問題である。
たとえば重武装でいうと・・・
ドイツ軍ならティガー戦車。
サーキットの狼ならフェラーリ。
ガンダムなら連邦軍の白い悪魔。
怒首領蜂ならCタイプ。
たとえば機動力でいうと・・・
ドイツ軍なら電撃作戦。
サーキットの狼ならロータスヨーロッパ。
ガンダムなら赤いひと専用ザク。
怒首領蜂ならAタイプ。
そしてどちらにも華がある。
当然だがどちらが良いとも言い難い。
ところが!
物語においては常に一定の法則がある。
それは・・・
主人公は機動力タイプであること。
主人公は火力でライバルに圧倒されること。
主人公は腕前によってハンデを克服すること。
これは日本製の作品だけの性質ではないだろうか。
実はこれはアメリカ製の作品には当てはまらないのだ。
たとえばスタローンやシュワルツネッガー主演のハリウッド映画を見てみるといい。
主人公は肉体美や超人的身体能力を売りにしている。
主人公が撃ち負けるなんてことはありえない。
これは日本製のソレとはビミョーに違う気がする。
日本の文化の根底には、判官贔屓という性質が横たわっている。
つまり、無意識のうちに弱いほうに同情的になり肩入れしてしまうのだ。
対してアメリカは、ナンバーワンでなければならないという性質がある。
中国もナンバーワンを重視する。
そして韓国は強いほうの味方であろうとする性質がある(←これは日本人から見るとかなり意地汚く利己的に見える)。
さっきのハリウッド映画の件と日本製のマンガを比較してみよう。
主人公は始めはどこか頼りなさげで、最初はタダの人というところから始まる。
主人公よりマッチョだったり重武装だったり巨大だったりという敵キャラが必ず現れる、というかそんな敵キャラが主流である。
主人公は武力に圧倒される。
そして主人公は葛藤し、研鑽をつみ、知恵をしぼり、たった1つの冴えてやりかたにより力で圧倒する敵を倒す。
そう、ヒーローは重武装していてはならないのだ。
サーキットの狼だってそうだ。
泣きたくなるような非力なエンジンのロータスヨーロッパで運転技術を駆使して戦うからおもしろい。
怒首領蜂だってそうだ。
狂気の弾幕のなかを紙一重で避けて戦う、蝶のように舞い蜂のように刺すAタイプのほうがおもしろい。
(このへんのことは2009.05.05記事を参照ねがう)
ガンダムも実はそうだ。
実はアムロは主人公ではあるがヒーローとは言い難い。
だからアムロは頑丈さがとりえの白い悪魔に乗る。
人はアムロには憧れない。
ヒーローとは敵キャラたる赤い人のことである。
彼は機動力を極めて重視しており、そして非力というハンデを自らの腕前でカバーして戦い続ける。
その姿勢に人はヒーロー像を見るのである。
フシギなことに、ガンダムの世界では常に(というほどでもないかもしれんが)主人公側の一味のほうが重武装しているようにも見える。
もちろん連邦軍の白い悪魔のことだけではない。
たとえばクスィーガンダムやペーネロペーなどは、もうちょっとしたら縦横比が1:1になりそうなほど重武装している。
そして、シャアやグラハムなど、ガンダムに戦いを挑む側のほうがかっこいい。
だから判官贔屓のヒーロー像としては矛盾していない。
この日本人だけが持つ判官贔屓の美学、ガンダムのヒーロー像を、はたしてアメリカ人が理解できるだろうか?
おそらく理解できる人は少ない。
なぜなら、ハリウッド製の実写ガンダムではシャアはデブキャラだったから。orz…