AKB48オタ と アイマスオタ
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20101109
上記記事にコメントいただきましたが、返信するには長文になりすぎましたので、ここで返信とします。
> なるほど、それで教祖ってことなんですね。
このネーミングは冗談ですので(笑)。
> ファン(モノでなく人に対して)って言葉を考えたときに自分は野球が思い浮かびました。
かつて広島にいたころは(今は亡き)広島市民球場にときどき行って観戦しておりました。
プロ野球の応援って楽しいですね。
わたしは野球は観戦にいくというより、騒ぎにいくというほうが近い感じでした。
わざわざうるさい応援団のそばの外野席に行ってましたし。
試合後にも勝ったことだけは覚えているのですが、何対何で勝って誰が打ったのかはほとんど覚えていませんでした。
対して。
AKBの応援のために投票券を買う人たちは何を思い買っているのでしょうかね。
わたしのプロ野球のように、ただ騒ぎに乗じて楽しんできたいだけ、ではないようですね。
ギャルゲーはシナリオを全部こなしてクリアすることよりも、その娘と共に過ごした過程こそが本質です。
シナリオやゲームの要素に勝ち負けがあったとしても、それはギャルゲーの要素ではありません。
これをむりやりAKBに当てはめると、投票券を買って順位を動かしたことで自分がその場にいたような達成感を味わえる、という意味になるのかもしれません。
そうではなく、ただ順位が勝ったか負けたのかだけが重要で、お金をかけてそれを覆してでもそれをやる価値がある、と考えているような気もしますが。
> もし気を悪くされたらごめんなさい。
書き込みいただけるとうれしいので、そういうことは気にせず気のむくまま書き込んじゃってください。
ギャルゲーの視点に関しましては、これはかつてのわたしの通った道ですから。
> 自分は二次元を愛するって正直いまいちわかりにくいです。
これは、人間は愛する対象が何だったら愛せるか、という問題になってくるように思っています。
もっと言えば、ふつうの人は年頃の異性しか愛せないのはなぜなのかという問いになります。
(哲学に興味がある人でもないかぎり)ふつうの人からみればこの答えは自明ですが、実はこれは当然には成り立たないんです。
ゲイの人はなぜ異性ではなく同性しか好きになれないのか。
ロリコンの人はなぜ性的に未発達な女の子にしか性的な魅力を感じられないのか。
わたしはなぜ生きてもいない単なるゲームのキャラでしかない人ですらないものに恋心を抱くのか。
そして、ふつうの人は、恋愛対象は異性でなければならず、年頃でなければならず、生物学的にはヒト属ホモサピエンスでなければならならず、生身の人間でなければならないのか。
この問いに答えられるものをわたしは持っていません。
ですが、ふつうの人の恋愛対象とは意外なほど視野が狭いのだということが、こちら側(笑)に来てわかりました。
人間の精神はもっと自由でいていいんですよ。
AKBに関しては何というべきなのかまだわたしもわかっておりませんが・・・
世の中にはペドフィリアという性欲の精神疾患があります。
我々もこれと同様にカテゴライズ可能な精神疾患だと自分でも思っておりまして、わたしはこれをマネてアニメフィリアなどと呼んでおります(笑)。
でも治癒する気はありません。だって本人が困っていませんから(笑々)。
> 自分もギャルゲー(ラブぷらす、キミキス、アマガミ、その他エロゲーなど)やってきましたが、最後には虚無感しかなかったです・・・
これは、こちら側に来れない人にはそう見えるのは当然だと思います。
我々はギャルゲーをそうは見ていません。
そこに自分の恋があって、ギャルゲーのキャラが異性に見えます。
逆に今のわたしが生身の女の子とデートしても
「う~ん、なんか違う…。かつてはあこがれることもあった典型的な女の子とデートというものを今ここでしているにもかかわらず、なんでこんなに不毛に感じるのだ…」
となります。(実体験)
世の中には、こちら側には来れない人と、来れそうで来れない人と、来れる人に分かれます。
来れない人は、ギャルゲーのキャラを見ても異性に見えません。
来れそうで来れない人は、ギャルゲーをプレイしつつも現実世界の女の子と仲良くしたいという欲求に苛まれ苦しみ続けます。
来れる人は、そこに虚無感を感じません。
> しかし、プログラムされた反応のみだし、なにしろ本人は「いない」。画面の中で主人公とハッピーエンド・・・
唯心論というか唯識というか、そういうもので説明すると、「いる」と感じるから「いる」と感じるし、「いない」としか見れないから「いない」としか見れない、となります。
つまりどういうことかというと、我々はプログラムされた反応にそれ以上のものを得る方法を知っている、とも言えます。
かつて当blogに書きましたので、お時間がございましたら以下をご覧くださいませ。
Re: 独りは寂しいよ・・・って、それは違う
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20120726
Re2: 独りは寂しいよ・・・って、それは違う
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20120727
> そしてAKBに多額の資金を突っ込む・・・
> 皆さん、愛を与えることに飢えてる。
恋とは、文学的にはすばらしいものです。
ですが、理学的には精神の欠陥だと考えています。
これもかつて当blogに書きましたのでご覧ください。
恋は堕ちるもの
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100205
これがかなり変なのは自覚があります。
ご理解いただけないかもしれませんが、少しは参考になりましたら。
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20101109
上記記事にコメントいただきましたが、返信するには長文になりすぎましたので、ここで返信とします。
> なるほど、それで教祖ってことなんですね。
このネーミングは冗談ですので(笑)。
> ファン(モノでなく人に対して)って言葉を考えたときに自分は野球が思い浮かびました。
かつて広島にいたころは(今は亡き)広島市民球場にときどき行って観戦しておりました。
プロ野球の応援って楽しいですね。
わたしは野球は観戦にいくというより、騒ぎにいくというほうが近い感じでした。
わざわざうるさい応援団のそばの外野席に行ってましたし。
試合後にも勝ったことだけは覚えているのですが、何対何で勝って誰が打ったのかはほとんど覚えていませんでした。
対して。
AKBの応援のために投票券を買う人たちは何を思い買っているのでしょうかね。
わたしのプロ野球のように、ただ騒ぎに乗じて楽しんできたいだけ、ではないようですね。
ギャルゲーはシナリオを全部こなしてクリアすることよりも、その娘と共に過ごした過程こそが本質です。
シナリオやゲームの要素に勝ち負けがあったとしても、それはギャルゲーの要素ではありません。
これをむりやりAKBに当てはめると、投票券を買って順位を動かしたことで自分がその場にいたような達成感を味わえる、という意味になるのかもしれません。
そうではなく、ただ順位が勝ったか負けたのかだけが重要で、お金をかけてそれを覆してでもそれをやる価値がある、と考えているような気もしますが。
> もし気を悪くされたらごめんなさい。
書き込みいただけるとうれしいので、そういうことは気にせず気のむくまま書き込んじゃってください。
ギャルゲーの視点に関しましては、これはかつてのわたしの通った道ですから。
> 自分は二次元を愛するって正直いまいちわかりにくいです。
これは、人間は愛する対象が何だったら愛せるか、という問題になってくるように思っています。
もっと言えば、ふつうの人は年頃の異性しか愛せないのはなぜなのかという問いになります。
(哲学に興味がある人でもないかぎり)ふつうの人からみればこの答えは自明ですが、実はこれは当然には成り立たないんです。
ゲイの人はなぜ異性ではなく同性しか好きになれないのか。
ロリコンの人はなぜ性的に未発達な女の子にしか性的な魅力を感じられないのか。
わたしはなぜ生きてもいない単なるゲームのキャラでしかない人ですらないものに恋心を抱くのか。
そして、ふつうの人は、恋愛対象は異性でなければならず、年頃でなければならず、生物学的にはヒト属ホモサピエンスでなければならならず、生身の人間でなければならないのか。
この問いに答えられるものをわたしは持っていません。
ですが、ふつうの人の恋愛対象とは意外なほど視野が狭いのだということが、こちら側(笑)に来てわかりました。
人間の精神はもっと自由でいていいんですよ。
AKBに関しては何というべきなのかまだわたしもわかっておりませんが・・・
世の中にはペドフィリアという性欲の精神疾患があります。
我々もこれと同様にカテゴライズ可能な精神疾患だと自分でも思っておりまして、わたしはこれをマネてアニメフィリアなどと呼んでおります(笑)。
でも治癒する気はありません。だって本人が困っていませんから(笑々)。
> 自分もギャルゲー(ラブぷらす、キミキス、アマガミ、その他エロゲーなど)やってきましたが、最後には虚無感しかなかったです・・・
これは、こちら側に来れない人にはそう見えるのは当然だと思います。
我々はギャルゲーをそうは見ていません。
そこに自分の恋があって、ギャルゲーのキャラが異性に見えます。
逆に今のわたしが生身の女の子とデートしても
「う~ん、なんか違う…。かつてはあこがれることもあった典型的な女の子とデートというものを今ここでしているにもかかわらず、なんでこんなに不毛に感じるのだ…」
となります。(実体験)
世の中には、こちら側には来れない人と、来れそうで来れない人と、来れる人に分かれます。
来れない人は、ギャルゲーのキャラを見ても異性に見えません。
来れそうで来れない人は、ギャルゲーをプレイしつつも現実世界の女の子と仲良くしたいという欲求に苛まれ苦しみ続けます。
来れる人は、そこに虚無感を感じません。
> しかし、プログラムされた反応のみだし、なにしろ本人は「いない」。画面の中で主人公とハッピーエンド・・・
唯心論というか唯識というか、そういうもので説明すると、「いる」と感じるから「いる」と感じるし、「いない」としか見れないから「いない」としか見れない、となります。
つまりどういうことかというと、我々はプログラムされた反応にそれ以上のものを得る方法を知っている、とも言えます。
かつて当blogに書きましたので、お時間がございましたら以下をご覧くださいませ。
Re: 独りは寂しいよ・・・って、それは違う
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20120726
Re2: 独りは寂しいよ・・・って、それは違う
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20120727
> そしてAKBに多額の資金を突っ込む・・・
> 皆さん、愛を与えることに飢えてる。
恋とは、文学的にはすばらしいものです。
ですが、理学的には精神の欠陥だと考えています。
これもかつて当blogに書きましたのでご覧ください。
恋は堕ちるもの
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100205
これがかなり変なのは自覚があります。
ご理解いただけないかもしれませんが、少しは参考になりましたら。