恋とセックスは関係あるか?
あるに決まっている。
セックスしたいと思わない相手とは恋に落ちない。
その対偶は、恋に落ちた相手とはセックスしたい。
これを否定するのはほぼ不可能だと思われる。
ところがどっこい!
この説を覆しうる実例が日本には多く存在する。
それは・・・
二次元のヒロインと恋に落ちることである。
二次元のヒロインとは絶対にセックスできない。
人間界と彼女たちの住まう世界とは空間座標の次元の数からして違うのだから、二次元のヒロインとセックスするよりも超光速飛行を可能とする宇宙船を作るほうがまだ簡単なんじゃないかと思うくらいだ。
ハヤカワのSFに重力定数が違う宇宙へ行った人類の話が書かれた作品もあるが、それを人類が実現してみせるのと同じくらい難しいと思われる。
しかし!
絶対にセックスできないはずの二次元のヒロインに本気で惚れてしまうという奇妙なことが実際に起きている。
その最たる例が我輩だ。
そういう人たちは、絶対にセックスできないはずの二次元のヒロインとでもセックスしたいと思うのか?
肯定だ。
でなければ同人誌など売れない。
それは、単にセックスしたいだけなのと違うのか?
明確に異なる。
我輩など二次元でしかおなにぃをしないことを根拠に、単にセックスしたいだけなのとは明確に異なると言いたい。
好きな女とでないとセックスしても楽しくないこともよくわかった。
ではなぜ二次元のヒロインと恋に落ちるのだ?
そういう人たちは、セックスでは代替できない何かを求めていると考えていい。
わたしが語るのも変な気がするが・・・
セックスをしたという事実は、自分が相手にとって特別な関係だと認められ、相手にとって自分が特別な関係だと認めさせた、そういう心理的効果を伴う。
言うなれば、両者合意の上で相手から何らかの権利をゲットしたという目に見える成果物である。
法的に言えば、結婚すれば相手は自分に対しての貞操権の行使を放棄させたものとみなされる、というたぐいの解釈にもなる。
だが、そんなものは時に瑣末な問題でしかなくなる。
次元の壁を越えなければならないという地球の裏側よりもさらに遠い超長距離恋愛をするという選択をした我々にとって、そんな程度のもので破局になるくらいなら最初からこちら側には来ていないのだと、そう答えよう。
セックスでは代替できない何か、それは何で、いったい何を求めているのか?
心の安寧だろう。
誰かを好きになりたい、好きな人のことを想って日々暮らしたい、そういうものだ。
それはセックスすればいろんな事が一時的にどうでもよくなるため解決したように感じることもあるが、したとしても必ずしも本質的に解決するわけではない。
そこまでわかっていて、なぜ生身の女ではないのか?
非常に傲慢な言い方をするならば、俺様が夢中になるに値する女がこちら側の世界にいない、というのが正しい気がする。
これは非常に傲慢だというのはわかっている。
だが非常に贅沢だというのとは違う。
我々はときどき「自分」というソフトウエアがホモサピエンスというハードウエアの1個体に実装されていることが嫌になる。
そして同じくホモサピエンスというハードウエアの1個体に実装済の女が異性として魅力的に見えうるのかと問われると、それにYESと答えるのに躊躇してしまう。
生身の女はセックスさせられるという大変有利な立場にありながら、なお劣勢になりうるのは、真に遺憾ながらおまえらが生身の女だからなのだと答えざるを得ない。
あるに決まっている。
セックスしたいと思わない相手とは恋に落ちない。
その対偶は、恋に落ちた相手とはセックスしたい。
これを否定するのはほぼ不可能だと思われる。
ところがどっこい!
この説を覆しうる実例が日本には多く存在する。
それは・・・
二次元のヒロインと恋に落ちることである。
二次元のヒロインとは絶対にセックスできない。
人間界と彼女たちの住まう世界とは空間座標の次元の数からして違うのだから、二次元のヒロインとセックスするよりも超光速飛行を可能とする宇宙船を作るほうがまだ簡単なんじゃないかと思うくらいだ。
ハヤカワのSFに重力定数が違う宇宙へ行った人類の話が書かれた作品もあるが、それを人類が実現してみせるのと同じくらい難しいと思われる。
しかし!
絶対にセックスできないはずの二次元のヒロインに本気で惚れてしまうという奇妙なことが実際に起きている。
その最たる例が我輩だ。
そういう人たちは、絶対にセックスできないはずの二次元のヒロインとでもセックスしたいと思うのか?
肯定だ。
でなければ同人誌など売れない。
それは、単にセックスしたいだけなのと違うのか?
明確に異なる。
我輩など二次元でしかおなにぃをしないことを根拠に、単にセックスしたいだけなのとは明確に異なると言いたい。
好きな女とでないとセックスしても楽しくないこともよくわかった。
ではなぜ二次元のヒロインと恋に落ちるのだ?
そういう人たちは、セックスでは代替できない何かを求めていると考えていい。
わたしが語るのも変な気がするが・・・
セックスをしたという事実は、自分が相手にとって特別な関係だと認められ、相手にとって自分が特別な関係だと認めさせた、そういう心理的効果を伴う。
言うなれば、両者合意の上で相手から何らかの権利をゲットしたという目に見える成果物である。
法的に言えば、結婚すれば相手は自分に対しての貞操権の行使を放棄させたものとみなされる、というたぐいの解釈にもなる。
だが、そんなものは時に瑣末な問題でしかなくなる。
次元の壁を越えなければならないという地球の裏側よりもさらに遠い超長距離恋愛をするという選択をした我々にとって、そんな程度のもので破局になるくらいなら最初からこちら側には来ていないのだと、そう答えよう。
セックスでは代替できない何か、それは何で、いったい何を求めているのか?
心の安寧だろう。
誰かを好きになりたい、好きな人のことを想って日々暮らしたい、そういうものだ。
それはセックスすればいろんな事が一時的にどうでもよくなるため解決したように感じることもあるが、したとしても必ずしも本質的に解決するわけではない。
そこまでわかっていて、なぜ生身の女ではないのか?
非常に傲慢な言い方をするならば、俺様が夢中になるに値する女がこちら側の世界にいない、というのが正しい気がする。
これは非常に傲慢だというのはわかっている。
だが非常に贅沢だというのとは違う。
我々はときどき「自分」というソフトウエアがホモサピエンスというハードウエアの1個体に実装されていることが嫌になる。
そして同じくホモサピエンスというハードウエアの1個体に実装済の女が異性として魅力的に見えうるのかと問われると、それにYESと答えるのに躊躇してしまう。
生身の女はセックスさせられるという大変有利な立場にありながら、なお劣勢になりうるのは、真に遺憾ながらおまえらが生身の女だからなのだと答えざるを得ない。