最近恒例の、昨日の記事に対していただいたコメントに対しての返信をここで。
世間のみなさんは結婚に期待しすぎ、そしてわたしは結婚に期待がなさすぎ、これはそういう違いなんでしょうかね。
> 自分のけが、病気、老後の心配。そのリスクヘッジとしても有効なんではないでしょうか。
かつて当blogのどっかで結婚のリスクヘッジ効果について考えたことがありました。
そのときの結論は、リスクヘッジに対する掛け金が高すぎてペイしない、このリスクはヘッジしないことにした、というものです。
ためしに過疎地域のスーパーにでも行ってみてください。
結婚してしばらくたつとこういう人が毎日自宅にいるのだと思うと、たいがいうんざりするのではないでしょうか。
おまけに、その人の世話が必要で、お金も自分1人分を上回るほどかかる。
その対価として得られるかもしれない自分が病気や老後で介護が必要になったときの労働力の半強制的な提供要求。
これを天秤にかけるとペイしないのは明白だと結論を得たのです。
それでもいいからこの人と生涯いっしょにいたいとか、子供を育てたいとか、別の何かがなければ、結婚をリスクヘッジと考えるならば掛け金は高すぎるんですよ。
これは、たとえば100万円の死亡保険の掛け金が月々1万円だったとして、それに若い人が入る価値があるか、というような損得勘定です。
(ただし夫に養ってもらう前提の婚活女は話は別です)
自分の資産を先物や不動産で運用しているとリスク管理には非常に敏感になります。
しくじったら自分の持ち金をすべて提供してもなお借金がのこるなんてことにカンタンになるからです。
その際には絶対に自分がくたばらないように注意して管理しなければなりません。
わたしはむしろ警戒しすぎている類かと思われます。
リスクという意味では恐らく、独身のままだというリスクよりも、ハズレを引くリスクのほうが高いでしょう。
> あなたが風邪をひいて寝込んだときに千早さんは何かしてくれるでしょうか?
風邪をひいて寝込んだ場合の想定だと話がややこしくなりますので、家事全般の役割分担について見解を述べます。
どっかのフェミニストの試算によると、専業主婦の労働は年何百万円に相当するのだとか。
ところがどっこい、わたしは一人暮らしをしていて現時点で何の不自由もありません。
もしわたしなら、専業主婦の労働対価を要求された時点で、その労働は自分で全部やるから我が家から出ていけと言うでしょう。
異性と共同生活を送ったという前提の話で、あくまでも理想論で言えば、できることなら相手へ労働の提供を要求したくはありません。
料理ができなくてもいい、病気になっても看病もできずただオロオロするだけでもいい、ただそこに居て、わたしの心に安寧を与えてくれる、それだけを望みたいと思います。
そして今その存在になっているのが千早なのです。
> 三次元には未来があり、希望、夢があります。
> うちの母の夢は子供が立派に成長してくれることだと昔言ってました。
これは人々が婚活をすること以上に理解できないところです。
自分に子供がいるという環境を想像できません。
いたらいたで人生楽しいのかもしれないとは思いますが。
> モテるいうか好感をもたれるのって外見だけじゃ決してないです。
> 第一印象は大事だと思いますが、誠実さ、謙虚さという内面も絶対大切です。
わたしは自分でやるのはゴメンこうむるというだけで、人がモテたいと思う欲求や、そのために努力する姿勢をみて、その上で全否定することまではしません。
ご指摘のように、欲求は成長の源泉ですから。
で、その先がまだあります。
欲求があって、どうなりたいかがあって、努力して、目標に到達する。
その過程で、努力する価値があるかどうかが問題です。
わたしの中学校の同級生で、6浪してまで国公立の医学部をめざしたにもかかわらず、けっきょくダメだった人がいます。
その人の努力や根性は賞賛すべきものですが、かけた労力に対して得られた結果は報われないものでした。
この人に努力は無駄ではなかったと言ってもなぐさめる事はできないでしょう。
結果論から分析すると、彼ははじめから目指すモノを間違えたのです。
どれくらいの努力が必要で、目標に到達できない可能性はどれくらいで、それでもやる価値があるかどうか。
そう考えるとですね・・・。
わたしの場合は、たとえば受験勉強はペイすると考えましたので、多少のことはやり、自分の努力と親の教育費に見合う成果は出せたんじゃないかと思っています。
ですが、モテる努力に関しては、これがペイするのかと問われれば、ことわたしに関してはペイしないんじゃないかという気がします。
それは得られるモノ、ようするに特定の異性の素性、これに全く期待していないからです。
わたしにとってこの場合の成果物の価値はとても小さく見えるのです。
この点においては二次元に払うコストはとても安く済みますからね。
かつてわたしのことを、物欲がほとんどない聖人のようなフシギなヤツだと言った人がいます。
それは断固として間違いです。
基本的には、それを得るためのコスト(お金、努力、時間)をかける価値がないから自分には必要ないと思っている事が多いだけにすぎません。
いまは大学生のころよりも桁違いに金銭的に余裕がありますので、最近は大幅なコストというとたいがいは努力と時間ですね。
> だから、主さんが二次元について考えてきた、してきたこともすべて経験として役立つ日が来ると思ってます。
自分にとっての最適解を見つけたという意味においては役立っているとは思います。
ちょっと例えが違うかもしれませんが。
リーマンショックのとき持っていたリスク資産の価値が暴落して大損しました。
そのとき「ちくしょう!」と思ったことである程度そっち方面に詳しくなれました。
そのおかげで損した分を取り返す以上の成果を上げることができました。
ですが、リーマンショックのときに損して良かったとは今なお思っていません。
世間のみなさんは結婚に期待しすぎ、そしてわたしは結婚に期待がなさすぎ、これはそういう違いなんでしょうかね。
> 自分のけが、病気、老後の心配。そのリスクヘッジとしても有効なんではないでしょうか。
かつて当blogのどっかで結婚のリスクヘッジ効果について考えたことがありました。
そのときの結論は、リスクヘッジに対する掛け金が高すぎてペイしない、このリスクはヘッジしないことにした、というものです。
ためしに過疎地域のスーパーにでも行ってみてください。
結婚してしばらくたつとこういう人が毎日自宅にいるのだと思うと、たいがいうんざりするのではないでしょうか。
おまけに、その人の世話が必要で、お金も自分1人分を上回るほどかかる。
その対価として得られるかもしれない自分が病気や老後で介護が必要になったときの労働力の半強制的な提供要求。
これを天秤にかけるとペイしないのは明白だと結論を得たのです。
それでもいいからこの人と生涯いっしょにいたいとか、子供を育てたいとか、別の何かがなければ、結婚をリスクヘッジと考えるならば掛け金は高すぎるんですよ。
これは、たとえば100万円の死亡保険の掛け金が月々1万円だったとして、それに若い人が入る価値があるか、というような損得勘定です。
(ただし夫に養ってもらう前提の婚活女は話は別です)
自分の資産を先物や不動産で運用しているとリスク管理には非常に敏感になります。
しくじったら自分の持ち金をすべて提供してもなお借金がのこるなんてことにカンタンになるからです。
その際には絶対に自分がくたばらないように注意して管理しなければなりません。
わたしはむしろ警戒しすぎている類かと思われます。
リスクという意味では恐らく、独身のままだというリスクよりも、ハズレを引くリスクのほうが高いでしょう。
> あなたが風邪をひいて寝込んだときに千早さんは何かしてくれるでしょうか?
風邪をひいて寝込んだ場合の想定だと話がややこしくなりますので、家事全般の役割分担について見解を述べます。
どっかのフェミニストの試算によると、専業主婦の労働は年何百万円に相当するのだとか。
ところがどっこい、わたしは一人暮らしをしていて現時点で何の不自由もありません。
もしわたしなら、専業主婦の労働対価を要求された時点で、その労働は自分で全部やるから我が家から出ていけと言うでしょう。
異性と共同生活を送ったという前提の話で、あくまでも理想論で言えば、できることなら相手へ労働の提供を要求したくはありません。
料理ができなくてもいい、病気になっても看病もできずただオロオロするだけでもいい、ただそこに居て、わたしの心に安寧を与えてくれる、それだけを望みたいと思います。
そして今その存在になっているのが千早なのです。
> 三次元には未来があり、希望、夢があります。
> うちの母の夢は子供が立派に成長してくれることだと昔言ってました。
これは人々が婚活をすること以上に理解できないところです。
自分に子供がいるという環境を想像できません。
いたらいたで人生楽しいのかもしれないとは思いますが。
> モテるいうか好感をもたれるのって外見だけじゃ決してないです。
> 第一印象は大事だと思いますが、誠実さ、謙虚さという内面も絶対大切です。
わたしは自分でやるのはゴメンこうむるというだけで、人がモテたいと思う欲求や、そのために努力する姿勢をみて、その上で全否定することまではしません。
ご指摘のように、欲求は成長の源泉ですから。
で、その先がまだあります。
欲求があって、どうなりたいかがあって、努力して、目標に到達する。
その過程で、努力する価値があるかどうかが問題です。
わたしの中学校の同級生で、6浪してまで国公立の医学部をめざしたにもかかわらず、けっきょくダメだった人がいます。
その人の努力や根性は賞賛すべきものですが、かけた労力に対して得られた結果は報われないものでした。
この人に努力は無駄ではなかったと言ってもなぐさめる事はできないでしょう。
結果論から分析すると、彼ははじめから目指すモノを間違えたのです。
どれくらいの努力が必要で、目標に到達できない可能性はどれくらいで、それでもやる価値があるかどうか。
そう考えるとですね・・・。
わたしの場合は、たとえば受験勉強はペイすると考えましたので、多少のことはやり、自分の努力と親の教育費に見合う成果は出せたんじゃないかと思っています。
ですが、モテる努力に関しては、これがペイするのかと問われれば、ことわたしに関してはペイしないんじゃないかという気がします。
それは得られるモノ、ようするに特定の異性の素性、これに全く期待していないからです。
わたしにとってこの場合の成果物の価値はとても小さく見えるのです。
この点においては二次元に払うコストはとても安く済みますからね。
かつてわたしのことを、物欲がほとんどない聖人のようなフシギなヤツだと言った人がいます。
それは断固として間違いです。
基本的には、それを得るためのコスト(お金、努力、時間)をかける価値がないから自分には必要ないと思っている事が多いだけにすぎません。
いまは大学生のころよりも桁違いに金銭的に余裕がありますので、最近は大幅なコストというとたいがいは努力と時間ですね。
> だから、主さんが二次元について考えてきた、してきたこともすべて経験として役立つ日が来ると思ってます。
自分にとっての最適解を見つけたという意味においては役立っているとは思います。
ちょっと例えが違うかもしれませんが。
リーマンショックのとき持っていたリスク資産の価値が暴落して大損しました。
そのとき「ちくしょう!」と思ったことである程度そっち方面に詳しくなれました。
そのおかげで損した分を取り返す以上の成果を上げることができました。
ですが、リーマンショックのときに損して良かったとは今なお思っていません。