教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

男子校でディズニーランドにいった思い出

2009-01-16 00:16:20 | シューティング
わたしが高校生のころの話なので、もうすげー前の話になる。
出身高校は男子校だったが、なぜか修学旅行でディズニーランドに行った。

過去の記事(2008.12.29)にあるように、その当時のわたしはけっこうロジカルに生きていたので、ディズニーランドなんかアホかと思っていた。

そして男子校でディズニーランドにいってどーすんだと思っていたので、まあ共学でも事態は変わらなかったに違いないとかいう諸事情はおいといてだ、アトラクションで遊ぶのはそこそこで置いておいて、ディズニーランド内のゲーセンへ急行した。
とうぶん行ってないからまだあるのかどうか知らんが、当時はみやげもの屋のとなりにあった。

そこにはファイナルスターフォース(1992年)というアーケードのシューティングがおいてあった。コンシューマーには移植されていないうえにシューターのうちでも評判は良いとは言いがたいようなので、けっこうマイナーな存在ではある。
当時は格ゲー黄金期でありシューティングは凋落の一途をたどっている時代だったが、過去の記事(2008.12.20)にあるように、それでもなおわたしはシューティングばかりやっていた。

わたしはここで生まれて初めてシューティングをワンコインクリアできた。

わたしにとってのディズニーランドは
「生まれて初めてシューティングをワンコインクリアできた思い出の地」
なのだ。

ディズニーには甘く切ない思い出は一切ない。
しかし、熱き血潮の煮えたぎる男のロマンを実現した思い出を、だれにも気づかれずひっそりとそこに置いてきたのだ。



(次回もシューティングネタを予定)

「ゲェム右翼」なるサイト

2009-01-15 00:32:19 | オタネタ全般
かつてゲェム右翼というwebサイトがあった。(”翼右ムェゲ” とも書いた)

そのサイトでは・・・
ゲームの本質とは闘争にあると説いた。
そして萌えとは堕落した忌むべき存在と説いた。
かれらの説くゲームのことを漢ゲーと呼んだ。
サイトを運営する者は、とあるゲーム会社にて漢ゲーを作る社員の1人であると語った。

ようするに二次元の萌えを生きる糧とするわたしのような存在は忌むべき存在なわけだ(笑)。
しかしわたしでも彼らの言わんとしていることは解る。
ようするに
「『萌え萌え~』なんていっている現代人はたるんどる!!」
と。
つまるところゲームに限ることではないのだ。

むかし、死んだじっちゃんの旧制中学校卒業アルバムを見たことがある。その最後のほうには同級生の寄せ書きが丸く書かれており、たとえばこう書いてあった。
「いま国難の時」
「滅私奉公」
などと。
例外なくみなの書き込みがそうだった。

当時は世界最強のアメリカとガチで戦争して負けてドカ貧になって日本が滅びるか、それともアメリカのいいなりになってジリ貧になって日本が滅びるか、どれかを選べという考えうるかぎり最悪の状態だった。
だからハタチにも満たない若者であっても国の行く末を憂い、ほとんど全員が「自分がなんとかしなければ国が滅びる」という危機感を共有していた。

どちらの運命も悲惨だった。
日本はドカ貧の道を選択し、やはり悲惨な結果を招いた。

自らの行いによって招いた結果だという意見もあるし、結果的にはドカ貧はジリ貧よりマシな未来を切り開いたという意見もあるが、まあ二度と起こってほしくない悲惨なことだったのに異論は無いはずだ。

いまはどうだろう。

数年先の未来において、日本国政府が崩壊して自分や家族が奴隷のような扱いをうける可能性があるかというと、まあまずない。
しかし日本の国際的な競争力が落ちていき、長期的に日本が没落する運命がありうるかというと、無視できない確率でありうると皆が答えるだろう。

わたしが高校生のときにそんな日本の体たらくをみて「自分がなんとかしなければ国が滅びる」という危機感をもち、国をせおって闘争する用意ができていたかというと、とてもそんなんじゃなくプラプラして遊んでいた。いまもそうだからアレなんだが(笑)。
本当に国が滅びることになったら海外に脱走するなどと公言するほうがむしろ多いのではなかろうか。

ゲェム右翼では、おおくの人の娯楽として定評のあるゲームにおいて、そして自分が得意な分野であるゲームにおいて「現代人はたるんどる!!」という問題提起をおこない、失われた古い道徳をみなにわけあたえようとしたのだろうと思う。
いくらか拡大解釈気味な気もしないでもないが、すくなくともわたしはそう思った。

風のウワサによると、すごいところからクレームが来てしまい即座に閉鎖したというのを聞いたのだが、極論すぎるところは多々あったにせよ有害なものではなかったと記憶している。(むしろ悪乗りして極論すぎる雰囲気をみなで楽しもうというところもあったなあ。)

ねがわくば復活してほしいものだが叶わぬものか・・・。
当時のこのサイトを知るひとは忘れないでいてほしいと思う。
言っとくけど、わたしは関係者じゃないよ(笑)。

あなたは、そこにいますか?

2009-01-14 00:53:08 | オタネタ全般
前回(2009.01.13)同様にファフナーの名言からはいる。

「あなたは、そこにいますか?」
個体としての意思をもたない外宇宙の生命体にこう問われる。
さて、どう答えたものか。

もはや「職業選択の自由」なんてセリフを言う必要がなくなった現代。
しかし選択したものが招いた結果を生み出したものは紛れもなく自分が選択したもの。
ふと思う。
自分は選択したのだろうか、それとも選択させられたことに気づかないだけなのだろうか。

つごうが良いことに、現代社会では選択に困ることはない。
なぜならば、たいがいの人にとってはレールは敷かれているから、そのままレールのとおりにやっていればレールの先に見えるような未来が実現するから。

たとえば強い意志と裏づけのあるリスク管理をおこなっていれば、高校には進学しないという人生の選択も正しい。しかし、ふつうはそうはしない。なぜなら、そこにレールはないから。

政治論争だってそうだ。
マスコミが言っていることをそのまま鵜呑みにして、マスコミが悪者あつかいしている連中をいっしょに批判すれば事足りる。
靖国問題なんてその典型だ。
靖国批判をおこなっている日本人のなかで、いったいどれだけの者が靖国神社にいったことがあるだろうか。靖国批判をおこなっているK国のやつらを注意深く観察し、やつらの真の言い分が何であるか気づいたものがいったいどれだけいるだろうか。
あまねく知識を吸収し、見聞をひろげ、自分で事の顛末を考え、それでも靖国批判を行う選択も正しい。しかしマスコミが非難しているからといって ”何となく悪いことのような気がする” という気分的なものを発端に、マスコミの理論を引用して悪い理由の後付けをするのはまちがいだ。(いや、”まちがいだ” というより “脳無しだ” だな)

スィーツ脳な人にはさらにこの質問は手厳しい。
もはや「あなたは、どこにもいないではないか!」と宣言されているに等しいからだ。

わたし自身もこの問いかけに自問自答している。
「わたしは、ここにいるか?」
と。

さきの変態毎日新聞問題(※1)なども経験し、わたしはまともに新聞を読むのをやめた。
世論誘導くさい記事に辟易したし、ウソにはならないが自分の意見に都合がわるいことは報道せず故意に誤解させるという姿勢が気持ち悪くかんじたからだ。このままでは、わたしはここにいるのではなく新聞社の活字のなかにでもいることになってしまうからだ。
(いまは個人的にはロイターのwebサイトがおきにいり)

「あなたは、そこにいますか?」
と外宇宙の生命体に問われたのをきっかけに、たまにはわたしがここにいるのかどうかを自問自答しようかと思う。



【※1 変態毎日新聞問題】
11年にわたり、毎日新聞いわく「明らかに事実とは思えない」日本人に対する誤解を招くような記事を英語で全世界に向けて配信していた、という事件。
iチャネルが毎日新聞による配信だったため、わたしは即座に解約した。

くわしくは↓こちら。
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/

人の命かファフナーか

2009-01-13 00:44:54 | オタネタ全般
「ファフナーと俺たち、お前にとってどっちが大切なんだ?」
「・・・ファフナーだ」

蒼穹のファフナーに見る名言である。
あたりまえだが、人の命よりもタダの乗り物のほうが重要だという意味ではない。

いまから70年近く前、バトル・オブ・ブリテン(※1)という英独の航空戦があった。
イギリス空軍はドイツによって本土防衛が危ぶまれるほど大きな被害を受けていた。
ロンドンも空爆された。
その間、イギリスは民間人の防災よりも防衛拠点の維持回復を最優先させた。
イギリスの防衛能力は強化され、最終的にはドイツ空軍を圧倒し制空権を確保するにいたった。

仮にイギリス空軍がその日その日の人命救助や市街の防災を最優先していたとすると、きっとイギリスは負けていた。
イギリスは防衛能力を叩き潰されないようにすることを最優先し、それにより、より多くの人命と国土を守ったのだった。

しかしそれを語るのは難しい。

仮にどこぞの閣僚が1人の人命よりレーダーサイトの防衛のほうが重要だなどと発言したとしよう。そうしたら最後、プロ市民や左翼系新聞紙がオニの首をとったかのように嬉々として閣僚の人格攻撃をはじめるのは目に見えている。きっとかわいそうな閣僚は辞任に追い込まれるだろう。

奇麗事ではなく、ひとの命の重さを語るのはほんとうに難しいのだ。
それを蒼穹のファフナーはやってのけた。

ファフナーのほうが大切だというセリフ、
2000人いる島を防衛するためにはファフナーが不可欠であり、全員そろって生き延びる手立てがなく、どうしても全員を守ることができないのだから、1人の人命につき1機のファフナーを失うわけにはいかない、そういった悲壮な決意の表れである。
アニメにおいて、かつてこれほど心身寒からしめる言葉があっただろうか。

わたしはこれを描ききった製作者側にエールを送りたい。

(次回の記事もファフナーネタを予定)



【※1 バトル・オブ・ブリテン】

ほんとうはドイツ軍は海を越えて攻撃するための兵器開発を後回しにしていたとか、攻撃目標をとつぜんロンドン市街に変更したとか、いろんな複合要因があってこんな単純じゃあないようで。
あんま詳しくないので語りすぎるとボロがでかねないので、詳しくはwikipediaでも参照してね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3

夢で2次元に入る方法

2009-01-12 00:54:27 | オタネタ全般
ある程度なら見る夢をコントロールする方法があるらしい。
もちろんお気に入りの2次元の世界にも入ることができるようだ。

むかしの記事(2008.12.23)のおり、水銀党の項目で引用した水銀党本部の方に紹介してもらった方法である。
その要点は以下のとおり。

・電気をつけて寝るなど、浅い眠りにする
・眠る直前までパソコンでアニメやゲームを観る

そうすると夢の中でそのキャラクターなどと出会えたり、自分が作中の登場人物になれる場合があるとのこと。
ここでさっそく実験を試みたわけだ。

その結果、以下のことがわかった。

・疲れているときはどうせ爆睡するのでムダ
・わざと昼寝しておいて眠りづらくすると良い
・微灯をつけるくらいの寝にくさでも成功することがある
・必ずしも寝る直前まで観る必要はないが、
・布団に入ってウトウトしている最中ずっと該当のアニメのことを悶々と考える事
・夢で自分が作中の登場人物になるのは難しく、
・アニメを見ている感覚に近いような、作中の登場人物が物語を展開していくのをはたから傍観してる感じの夢になる
・次の日の朝はやや疲れ気味になるので、予定が入っているときは注意が必要
・夢のなかでのストーリーは起きた瞬間にすごい勢いで忘れていく

おかげさまで、わたしの2009年の初夢はロザリオとバンパイアの赤夜モカと青野ツクネたちがオリジナルのシリアスストーリーを展開するものとなった。
わたしが夢の登場人物とならないのは唯一の残念なところではあるが、大勢からいって大成功といえよう。
このへんはアニメという受身主体のメディアだったからこそそうなったかもしれないわけで、ゲームでやるとまた違った結果になるかもしれない。(ゲームでは実験していないのでどうなるか不明)

これ以外にも似たようなものとして、過去の記事(2008.12.20)に現実感を失わせる方法を書いたので、興味があったらそちらも見てほしい。

ぜひ一度おためしあれ。

こんな主人公はイヤだー!

2009-01-11 00:17:59 | オタネタ全般
前回(2008.01.10)は「主人公に対して望むもの」という視点で書いた。今回は「主人公として排除すべきもの」について述べたい。
すなわちタイトルにあるように「こんな主人公はイヤだー!」という話。

まずリアルワールドで腐った例をあげる。

むかしむかし、あるところに一人の男がいました。
その男はお上の運営方針が気に入りませんでした。
男の不満はつもりにつもり、ついにある事を実行しました。
男は非合法ルートで拳銃を手にいれ、要職の政治家を暗殺しました。
そう、彼はテロリストだったのです!

ただの物語であればただのクレイジーな登場人物で終わる。
ところが本当に人を私刑で暗殺するようなことがあったら、どんなことがあっても正当化されるはずがないのは周知のとおりだ。
先進国ならば法令遵守はあたりまえなので、とうぜんながら逮捕されて裁判で死刑になり、刑は執行された。

ところが!

とある自称先進国では、この男は英雄あつかいされており、現在も崇め奉られている。(※1)
なぜならば、彼が暗殺した相手は、英雄あつかいしているやつらが大嫌いな国の人物だったからである。

すなわち彼らの主張を要約するとこうだ。
殺した相手の国が悪党なのだから、彼をテロリストとして評価するのはまちがっていると。彼を暗殺に走らせるような行為をしてきた相手の国のほうが悪いのだから、彼は正義の味方なのだと。

こんな主張が通ると思うか!? 通るはずねえだろ!! おまえら本当に現代人なのか?? と思うのだが・・・。

わたしは何だかんだ理由つけてテロリストが英雄あつかいされているのを見ると反吐がでる。

つまりこの問題をもっと一般化すると、主人公が人間として倫理的に受けつけけがたい行為をしているにもかかわらず、主人公が正義の味方や良い人だという調子で書かれている場合。
(まあ、ダーティーハリーのように最初っからダークヒーローとして書かれていたり、遠藤臭作のように最初っから悪党として書かれていたりすれば、別にそんなふうには思わないんだけどさ。)


じつは、ピュアな恋愛モノにもこういった倫理的に受けつけけがたいような主人公が稀に出てきやがる。(しかも良い人として書かれて)

たとえばだ、ちょいむかしだが、元は小説なんだがバカ売れしてドラマやマンガにもなったアレ、なんとかの中心で愛を叫ぶってやつ。
たとえばラストで、主人公は死んだヒロインの墓参りするのに別の女(新しい彼女)連れていきやがった。「きさま鬼畜か? きさまは人間として最低だ!」とマジで思った。

本当ににこういうのを主人公にするのはやめてほしい。
本当に倫理的に問題があるような主人公を良い人として描くのは吐き気がするからやめてほしい。



【※1 英雄となったテロリスト】

たとえば伊藤博文を暗殺した安重根。彼はお隣のK国では英雄である。

わたしは
「テロリストを英雄として崇め奉っているやつらの事を、刃物を持ったキ○ガイが恐ろしいのと同じ意味で恐ろしい」
と感じるが、どうやら彼らはそれを誤解し
「日本人は安重根が恐ろしいらしい」
と短絡的に解釈したらしく、さらには
「日本人を怖がらせ、我が国の偉大さを知らしめるため、北京オリンピックに安重根Tシャツを着ていこう!」
などとやっている。

ちょい話は変わるが、ドラキュラが十字架がキライなのは
「キリスト教の倫理観が吐き気がするほどキライで、十字架なんか見たくもないわ!」
というところから来ているという説もあるようだが、それが今日では
「ドラキュラは十字架がキライらしい」
と短絡的に解釈され、
「ドラキュラに遭ったら十字架を見せろ!」
となった可能性もある。

両方とも妄信的に最後のところだけ実行しても
「またこいつもキ○ガイの仲間かよ、ヤレヤレ」
と思われるか
「何かアピールしたいらしいのは分るんだが、こいつはいったい何をやりたいんだ?」
と思われるかでしかなく、目的とした効果は全く期待できないな。

ギャルゲーや萌えアニメの主人公がヘタレすぎる件

2009-01-10 00:16:08 | オタネタ全般
何とは言わないがギャルゲーや萌えアニメの主人公はヘタレすぎる!

かれら主人公はとにかく優しい。
とにかく優しいが、ただそれだけ。

特技があるとかないとか能力があるとかないとかいう以前に、自分で意思決定をしようとする意識がない。
延々とまわりの女の子が起こした騒動に追従して、そして川の流れのように生きていくヘタレ。
とにかく優しい以外の特徴はなく、あらゆる意味で凡人。

なんでこれでヒロインが惚れるんだ!?

まさに今回わたしが訴えたいところはこれである。

わたしは思う。
主人公はヒロインが惚れてしかるべき男であるべきだと。

一説によると、女性向けのは男×女にすると読者(女)がヒロインに嫉妬するから男×男にするのだというトンデモ説もあるようだが、わたしは男なのでそのへんの事情は理解するすべがない。
わたしは主人公がヒロインに惚れられてしかるべき男であることを歓迎するし、逆にスーパーヘタレ凡人だと不満に思う。

まあ、大概のギャルゲーや萌えアニメはヒロインのドタバタにより話が進行していくわけだから、いきおい主人公の意思による変化を差し込む余地は少なくなるし、したがって主人公の存在感が希薄になるのはしかたがない。
しかし、それと主人公がスーパーヘタレ凡人な件とは別問題だ。

ちゃんとそれを両立している例を出そう。
ネギま!で有名な赤松健の "AIが止まらない" の主人公だ。

知っている人も多いと思うが、この話は(大概のギャルゲーや萌えアニメと同じく)とつぜんやってきたヒロインとの日常を描く王道的なラブコメだ。

主人公は学校に行っても同級生にからかわれるだけの空気のような存在で、一件するとただの凡人にみえる。

しかしPCの前に座らせると真価を発揮する。

実体化プログラムの開発こそ偶然の産物ということにはなっているが、自分で自分を書き換えるような超絶Debugしづらいコードをbugなしで稼動させ、人間と会話できるレベルのAIを試行錯誤しながら一人で造り、ウイルスの検出ソフトも自前でつくり、(以下略)というキレモノだ。

ふだんはちょっとエッチな普通の高校生だけど、ここぞというときには自分のスキルをフル活用させてヒロインを救出する。

かっこいいじゃないか!
ヒロイン(のサーティーたち)が惚れるにふさわしい、いい男じゃないか!
ギャルゲーや萌えアニメにはぜひともこんな主人公を出して欲しい!

(いま入手可能な再販本では省略されたようだが)この単行本のあまったページに作者のOSの環境設定なんかも掲載されていてオタ心をくすぐられる。
主人公が秀才プログラマであることからしても、きっとこの作品自体が作者のあるべき理想の姿を投影したものなのだろうと思う。
きっとそんなふうにすれば、世間のももうちっとましな主人公になるんじゃないかな。
いくらなんでも商用にのるレベルのものが書けるシナリオライターが、自分のあるべき姿も描けないようなスーパーヘタレ凡人の粒揃いだとも思えないし。

えらそうなことを書いて申し訳ないのですが、わたしは商用にのるレベルのものは到底かけやしないので、シナリオライターのみなさんの事は尊敬していますです。m(__)m
まあ事情を知らん消費者の戯言ということでよろしく(笑)。

あとほかの原因を推測するに、主人公が特定の技能に秀でていたり特殊な才能を秘めていたりすると個性が強すぎてしまい、読者側(男)が主人公視点になって主人公の感情と表裏一体となって読みすすめるのが難しくなるかも、なんて問題があるかもしれないし、そんなリスクを背負って商品化するような冒険をしたくはないというのはギャルゲー開発メーカーの理由としては十分妥当だ。つまり主人公は空気のようなヤツであるべきだという方針をとっているから必然的にそうなったわけで。

ここまで主人公のヘタレさに疑問を投げかけてきたが、締めとしてはそれも主人公の個性の1つとして認めたいと思う。したがってけなしているわけではない。できればこの手の主人公だらけの現状を打破してほしいとは願っているが。

(今回は「主人公に対して望むもの」という視点で書いた。次回は「主人公として排除すべきもの」について述べたい)

GONZOは滅びぬ、何度でもよみがえるさ!

2009-01-09 00:08:19 | オタネタ全般
「GONZOは滅びぬ、何度でもよみがえるさ!
 GONZOの力こそオタの夢だからだ!!」 @ムスカ大佐

今回はGONZOという会社について。
GONZOのうえにはGDH(証券コード:3755)という親会社があり、持ち株会社かなんかだと思われる。

まずYahooか何かで会社の状態をチェックしてみよう。
http://quote.yahoo.co.jp/q?d=t&s=3755.t

・ 株価はひところの100分の1
・ 希望退職募集している
・ 総資産利益率(連結)がマイナス37%
・ 現時点で債務超過になってそう

というかなりピンチな状態になっている。

こりゃ、潰れるんじゃね? と思いきや、
http://animeanime.jp/biz/archives/2008/09/gdh_19.html
をみてみると、いわかぜキャピタルなる投資法人(いわかぜ1号投資事業有限責任組合)が増資を引きうけたもよう。したがって速攻潰れることはないようだ。

で、このいわかぜキャピタルとはなんぞ? ということだが、
http://iwakaze.com/
この公式webサイトを見ても情報が少なすぎてよくわからん。

どうやら新生銀行をたてなおしたリップルウッドの日本法人出身の男(植田兼司)がやっているらしい。
リップルウッドは評判よくないけど、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89
wikipediaによると買った会社をバラ売りしたり安易に解雇を急いだりするわけでもないようだし、GONZOはしばらく存在しそうな気がする。

http://g2s.biz/tool/fiverule/3755.html
によると、すでに80%以上のGDHの株式を保有しているらしい。マザーズって1人が80%も持っても上場廃止にならないんだ・・・。
てっきりこの手のバイアウトファンドはいったん上場廃止にしてから再上場するのがいつもの手口だと思っていたけど、80%以上もってから3ヶ月してもまだ上場しているし、当の本人も上場廃止にするつもりはないようだな。

それから無視できんことで、GDH株を1株でも持っていると株主優待でGONZOのDVDが選択で1枚もらえるらしい。なんとGONZOが2年ちょっと潰れなければ元がとれてしまう。株主優待による実質利回りだけで40%くらいのインカムゲインがありそうだ、おそるべし。
しかもいまの株価は、ひところの高値にくらべて100分の1まで値下がりしていてタダ同然だ(増資しているから単純比較はできないけど)。

ということで、まとめるとこうだ。

 ・ 会社建て直しのプロが参入
 ・ 会社は当面存続する
 ・ すでに株価はタダ同然
 ・ 株主優待による実質利回りだけで40%くらいありそう

PBR(株価純資産倍率)やPER(株価収益率)から判断したら検討する価値もないような会社だけど、わたしは「宝くじを買う」ようなものだと思って買いだと判断した。(※1)
わたしは8000円弱の金をドブに捨てるのも辞さずという覚悟で夢を買ったのだ。

GONZOのつくったサムライ7では単なる勧善懲悪でこんなに胸が熱くなるとは思わなかったほど面白かったし、ロザリオとバンパイアの女の子の素敵さはとても書き表せないほど素晴らしいし、Hellsingも原作の魂がにじみ出るように傑作な移植だったし、青の6号をはじめて見たときには度肝をぬかれた。

ネットではGONZO批判ができるようになればいっぱしのアニオタだとかいう意見もあるが、わたしはGONZOが大好きだ。

さあ、あなたも宝くじを買おうではないか!!




【※1 買いだと判断】

こんな感じに、自分が買っているからといって他人も買いたくなるように誘導する発言をすることをポジショントークという。
なので、今回の記事はちょっとだけ色メガネで見てね(笑)。

マンガのモカさんか、アニメのモカさんか

2009-01-08 02:45:41 | オタネタ全般
今回はロザリオとバンパイアのお話。
アニメのcapu2も見終わってしまい、マンガのほうにも手を出しはじめたので。

この手のメディアミックス作品は、どーしても原作と原作以外の差分が目についてしまう。
ロザバン(個人的にはロザパイと略したいとこだが)だと覚醒後のモカさんの絵がずいぶん違いますなあ。
アニメのモカさん(赤夜萌香:覚醒後)はオトナの魅力、マンガのモカさんは妖艶な美しさというか。

もちろんふつうは原作に忠実に再現されたほうが良い場合がほとんどだ。
しかし、この違いはどこから来るのだろう。

さいしょに酷い例からあげたいと思う。

かつて、某マシン用につくられた○×○EYESのアドベンチャーゲーム、これはすごかった。なにがすごいって、最後のほうはゲームオリジナルキャラしか出てこないからぜんぜん萌えない・・・。おれは○×○EYESのゲームをしてるんじゃなかったのか?と自分に問いかけてしまうほどだ。
これ以上に忠実さのかけらもない例をあげるとすれば、「『ファ』をつけるセンスに感服した」とまで言われる伝説の別物ゲーたるファザナドゥをあげるしかない。

もちろんこんなのは論外だ。

じゃあ、マンガのモカさんとアニメのモカさんはどうなのか。
アニメのモカさんはアゴがとんがっている気がする。そのせいか、一見すると萌えアニメのヒロインとしては異例に長いアスペクト比(笑)に見えるような。
あと、目の書きかたが似てて違う気がする。アニメのほうは良くも悪くも無難だが、マンガのほうは書き込みに気合い入ってて美しいけど何となく読者を選びそうな。
髪のかきかたとかも話したくなるが、まあこれくらいにしておこう。

これについての素人考えだが、アニメにするにあたって、より大衆受けしそうなフォルムにデチューンしたり、TV用の解像度まで下げたとしても問題なく表現できる絵柄に簡略化する作戦にでることは大いにありうるんじゃないかと思う。それがこの違いなのかもしれん。(もちろん、本質を失ってはいけない。グラップラー刃牙のように筋肉の描きかたに魂がやどっているマンガなど、そういうところではデチューンするとダメダメだ。)

わたしは好きなんだけど、GONZOやXEBECみたいなオリジナルのシリアスアニメが大得意な会社は、どっちかというと萌え作品のアニメ化は世間の評判いまいちな気がするなあ。
わたしとしては、製作者サイドに強い信念というか確信というか、そんなのがあって、あえて原作をプチカスタマイズするぶんには(たとえコケたとしても)全然かまわんと思うんだけど、そのへんはどうなんだろうか・・・。

ロザバンではというと、マンガのモカさん(覚醒後)の妖艶な美しさが少し損なわれたのは残念だとしても、アニメのモカさん(覚醒後)のオトナの魅力が付加されたのは嬉しい誤算ということで、わたしとしては◎としたい。ようは萌えるから結果オーライということで(笑)。

ロザバンはすばらしいアニメだと思うが、アニメで唯一残念なところはパンチラが多すぎてパンチラの価値が大暴落しているところかな。これでパンチラが多すぎてPTAから苦情がきたら本末転倒だわ。
マンガではパンチラはここぞというときにしか出てこないから、でたら「おおぉ!」と思ってしげしげと見てしまうし、トーンはって影で表現して見えないところなんか「お姉さま今日はましゃかノーパソですか!?」とドキッとする(爆)。これがホンモノのパン「チラ」にあられまする。原作者はよくわかってらっしゃいますなあ。

たぶん無いんだろうけど、続々編(capu3?)に期待したい。

というか、製作元のGONZOヤバイとかウワサで聞くんだけど大丈夫なんかしら・・・。



(次回はGONZOという会社についてを予定)

たまには機械のからだに萌えてみる その3

2009-01-06 01:51:10 | オタネタ全般
今回は前回(2009.01.05)の捕捉を少々。

前回書いたように、メカのデザインは科学的に意味で意味があって付いていると解釈できそうなパーツをもって作られていることは重要だ。

しかし、科学的な意味を重視するあまりストーリーに支障をきたすようでは本末転倒なので、多少は妥協してもいいと思う。
たとえばホワイトベースが大気圏内で低速浮遊していることなど。

SFで科学的根拠をもとにあげ足とりしてからかうのは誰にでもすぐにできるし、それではおもしろくない。

わたしは作中で書かれていることが必ず正しいと仮定して、それが説明できるような科学的根拠をムリヤリ考えてみるほうが遥かにおもしろい。
(しかし、ホワイトベースが大気圏内で低速浮遊していることは説明できんなー、、、ううむ・・・)

エヴァンゲリオンのおもしろさだってそうだ。
ナゾのまま終わってしまったいろんな設定を、われわれオタが何だかんだ議論するのがおもしろかったじゃないか!

たまには機械のからだに萌えてみる その2

2009-01-05 01:05:06 | オタネタ全般
前回(2009.01.04)はメカものの萌えの内面について語った。今回はメカものの萌えの外見(つまり見てくれ)について語るとしよう。

リアルワールドに実在するメカのなかでわたしがかっこいいと思うものは、性能を極限まで追求した結果必然的に現れた形状による美しさ、すなわち機能美だ。たとえば零式艦上戦闘機(※1)などがそうだ。たとえモノとして完成していなくても、全体をかたちづくる部品の一部であっても美しいものがある。たとえばロータリーエンジンなど。

それとは正反対のものもある。
性能にはまったく関係ないのにデザインを重視したためにゴテゴテとなんだかんだ付いているもの。たとえば戦隊モノの巨大ロボだ。(※2)

ガンダムのメカは前者にやや近いので美しい。(ガンダム(RX-78)よりもザク系のほうがより前者に近そうだからか、わたしはザク系のほうが好きだ。)

さらに前者に近い萌えるメカでいうと、バトルガレッガ(1996年)にでてくるメカたちや、宇宙のステルヴィア(2003年)にでてくるビアンカ。

これらのマシンは、構成部品のすべてがデザインのうえでつけたのではなく、科学的に意味で意味があって付いていると解釈できそうなパーツをもって作られている(※3)。余分なものは全くついていない。だから美しい。

そして両者とも、その1で述べたような「悲壮感ただようなか、たった一つの希望として作られたメカという背景」がついてくる。

わたしはこのメカたちに萌えを見た。
けっして人型だったり生身だったりする必要はなかったのである。



【※1 零式艦上戦闘機】
もちろんゼロ戦のこと。
これもきっと背景がなかったら萌えていなかったろう。
たとえばゼロ戦に対するものでは正義の味方ステイツ様がつくったグラマンなどあるが、これの萌えはやや劣る。さらに言うと、日本は鬼畜な絶対悪でオレ様は正義の被害者だとかぬかす某国のつくったF-15Kなどは全く萌えない。

【※2 戦隊モノ】
たんにわたし個人の好みを言っているだけで、べつに戦隊モノを貶めようという気はないので、好きな人は黙認よろしくです。m(__)m

【※3 科学的な意味】
次回述べる。

たまには機械のからだに萌えてみる その1

2009-01-04 01:05:39 | オタネタ全般
たまには機械のからだに萌えてみたい。
機械のからだとはいっても、惑星アンドロメダ製の機械のからだ(古い!!)でもないし、怒首領蜂大復活のエレメントドーターのことでもない。

ことの発端はあれだ。オタのダチが
「ガンダムのメカに萌えるやつがギャルゲーの萌えを語るなぞ笑止!」
なぞと言いおったからだ。

いちばんベタにガンダム(RX-78)の魅力を語るには、戦隊モノの巨大ロボの魅力を重ねることだ。
男ならだれしもあこがれたことがある、「最強・勝利・正義」がそこにある。
当然そんなものでは語れない。

そのストーリーはこうだ。

ある国家があった。
この国家は地政学的にかなり不利な状況に追い込まれていた。
もはやにっちもさっちもいかない状況にあった。
国家が相手側に隷従する以外の道を模索したが、話し合いで解決することは無理だと判断するに至った。なぜなら、相手側は自分が絶対的に有利だということを知っており、それにつけこんで絶対にゆずろうとはしないから。
そう、ときは戦争以外の解決策を失っていたのだった。

その国家は地政学的にかなり不利だったため、資源をほとんど持ってはいなかった。
しかし、世界最高の技術力を保有していた。パイロットは世界最強の腕前を保持していた。国民の士気は絶大だった。

かれらはこう考えるに至る。
相手側とおなじような量産機をつくって消耗戦に持ち込まれたら勝てるわけがない。
しかし、われわれには最高の技術力と最強のパイロットがある。
だから我々は一騎当千の至高のマシンをこの手で作り、数で圧倒する敵を質で圧倒するのだ!

かれらの作戦は当たった。
先の戦役で、たった1機で戦艦5隻を沈めるという空前絶後の完全勝利をおさめた。

国民は狂気乱舞した。どうせ負けて相手側に隷従せざるを得ないなら、1撃くらい相手の顔をぶんなぐってから負けたいと思っていたから。ぜったい勝てるわけがないと思っていた国民も、ひょっとするといいところまでいくかもしれないと、少しだけ希望が持てるようになったから。

ここまでは良かった。
惜しむらくは政治だった。
国の指導者は国中で最も頭の切れる男だった。
相手のいいなりになり続けてボロクソにやられていた国家の経済を短期間で立て直した。だれしも彼を天才政治家だと賞賛した。
かれは戦争による勝利により国民から絶大なる支持をかき集めたため、さらに支持を持続させるためには、さらに戦争による勝利を獲得しなければならなかった。
運命はこれより悪い方向へと回っていく・・・。

・・・と、敵側(ジオン側)のストーリーはまあこんな感じだ。
(ちょい脚色しすぎかな? 捕虜を奪還されて内情暴露されたのが入ってないじゃないかとか、その他、反論歓迎です(笑)。)

これに男のロマンを感じずに何にロマンを感じるのか!
これにドイツ第三帝国を重ねるのはわたしだけではないはずだ。

えっと、まえおきが長くなりすぎた・・・。
つまるところ、メカものに萌えるには、メカが作られた背景がなければならないと思っている。それも、悲壮感ただようなか、たった一つの希望として作られたメカという背景が。
ニーチェも “ツァラツストラかく語りき” でこう言っているではないか。
「少女たちにこう言わせるようであれ、「何がよいといったって、健気で、しかも悲壮なものに限るわ」と。」(前後の文脈からしてホントはもっと深い意味があるので、興味があるひとはそっちを参照してね(汗))

はなしをふつうの萌えキャラにもどそう。
萌えキャラでもイラスト1枚では萌えることはできない。キャラがどう考え、どう話し、どういう性格なのか、それがわからなければ萌えない。当然だ、ツンデレ属性というのはイラストだけでは表現できないのだから。わたしはメカの萌えはこれに対応するように思う。

だからといっては何だが、わたしはガンダムではガンダム(RX-78)よりもザク系が好きだ。
メカの解釈にも人の心に相当する何かが必要なのである。

(今回はメカものの萌えの内面について語った。つぎはメカものの萌えの外見について語る)

セングラ…ポストときメモになったかもしれないもの

2009-01-03 00:36:35 | オタネタ全般
前々回(2008.12.29)と前回(2008.12.30)に初代ときメモについてふれた。
前々回は興亡史のうちの「興」、前回は「亡」をメインに書いたつもりである。

ときメモ史の影に隠れ、ひょっとするとときメモに代わって次の世代を担ったかもしれないギャルゲーがあった。
センチメンタルグラフティーである。

センチメンタルグラフティーの略称はいくつかある。
ファンの間では「センチ」が用いられた。ファンではないゲーマーの間およびファンとファン以外でのコミュニケーションでは「セングラ」が用いられた。アンチは「チングラ」と呼んでからかった(wikipediaによると「チンティ」というのもあるらしいが、これはよく知らん)。チングラは、アンチ詩織派もしくはファンだったが後でアンチコナミに転向した者が声優の金月真美をひにくって「チ○ゲツマミ」と呼ぶことから派生していると思われる。
とりあえずここではセングラを用いる。

ときメモはグッズを逐次投入して増やしていったのに対し、セングラは相当にマーケティングに力を入れていた。
この戦略は大成功し、ゲームが発売される前からキャラの人気が高まりグッズが飛ぶように売れる状況に発展した。

さて、わたしはというと、ときメモ興亡史のうちの「亡」の時代でダメージを受けていたので一歩身を引いていた。

NECアベニューの血を引くNECインターチャンネルによりゲームが製作されたこともあり、アベニューのころのいつものように発売日は遅延し、ファンはじらされにじらされた。

発売してもいないのに盛り上がりに盛り上がり、ギャルゲーとしては前代未聞の前人気のなか、ついに1998年1月に発売された。

楽しみにして買った者の落ち込みようは酷かった。
発売しばらくして、すぐにチングラという言葉がはやりはじめた。

後日、買ってガッカリした知人から借りてきてやってみた。
ガッカリした理由がよくわかった。

パッケージを見るかぎりキャラの絵もなかなか良い。
オープニングを見るかぎりなかなかおもしろそうだった。(世間では暗黒太極拳・暗黒舞踏・死霊の盆踊りだとかJOJO立ちなどと言われているけどわたしは嫌いじゃないよ)

ゲームをプレイし始めるとすぐにガッカリは発生する。
プレイ中の女の子の絵がパッケージやオープニングの絵と違いすぎて誰だかわからないのだ。しかも、そちらの絵のうまさが際立つために、普通にも増してプレイ中の絵が凡百な感じがしてならなかった。
わたし自身、「こいつだれだっけ、髪の毛の色が何色だから、きっと取説にのっているこいつだろう」とかいった感じで見分けていた。
ときメモの詩織の絵がジャイ子だったらここまでの影響力はなかったろう。ギャルゲーとはそういうものだということだ・・・。

といった感じで、ゲームが発売された直後でブームは終焉した。

ファンの間では、発売前のお祭りさわぎのほうが本当のセングラであり、ゲームそのものはブームのおまけだったのだ、ということで納得したらしい。

マーケティングのうまさ、絵のうまさ、事前の盛り上がりよう、ときメモファンを意識したゲームシステム、あげればきりが無いほどときメモの次の世代を担う実力は備わっていた。しかし、キャラの絵に惚れるという萌えの大前提が成り立たなかったのは、キーパーなしでサッカーをするほど間の抜けた行為であった。わたしはそれが残念でならない。

その後のゆくえをわたしは知らない。

wikipediaを参照すると、セングラよりも続編のほうがさらに酷い目にあっているようなので、そちらも覗いてみるといいかもしれない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%86%E3%82%A3

批判的なレビューでおもしろいのを見つけたのでアドレスを記しておく
http://csx.jp/~setsugetsuka/game/senti.html

暗黒太極拳(JOJO立ち)を見たいひとはこちら
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10113