久しぶりの御朱印巡りです。
ところは、京都市大原 寂光院。
天台宗の尼寺で、推古2年(594年)聖徳太子の創建です。
暑い暑い夏ですが、ここ寂光院は、静寂さに包まれたところです。
拝観料を払い、趣のある石段を登ります。
山門が見えてきました。
この写真に写っているのは、外人さん。
とてもきれいな女性、一人旅です。
実は、これより前に話しかけられました。
もちろん英語です。
しか~し、まったくわからない。
そこで、「すんません。」とお断り。
女性も、「ソォーリー」と言っておられました。
内容は、「寂光院の入り口はどこですか?」だったのかもしれませんが、まったく英語はダメなもので・・・。
本堂です。
まずはお詣り。
本堂の中に入らせていただき、案内の方が説明をしてくださいました。
とてもよくわかりました。
先ほどの外国人の女性も来られましたが、説明は難しかったと思います。
ここは、平成12年5月9日に不届きものによる放火で焼けてしまい、本尊の「六万体地蔵尊」も焼けました。
ただ、体内仏は無事でした。
今は、焼けた地蔵尊は収蔵庫で保管されています。
小さな庭ですが、とても落ち着いた雰囲気で、心が穏やかになります。
この庭は、平家物語に登場する当時のままです。
そんな庭にある説明書き。
後白河法皇が御幸された時の様子が書かれてます。
この千年姫小松も焼けて、枯れてしまいました。
1186年、本堂正面の山から花を摘み帰った建礼門院が後白河法皇と対面するときに登場するのが姫小松。
枯れたのは残念です。
こちらの南蛮鉄の雪灯籠は、豊臣秀吉の寄進です。
そして、こちらが「諸行無常の鐘」。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。
平家物語の1巻「祇園精舎」より
この章を思い浮かべて、どんなはかない音がするのだろうと・・・。
そして、一旦出て隣にあるのが、建礼門院の御庵室遺跡。
あの平清盛の娘で、安徳天皇を生み、絶頂の日々から壇ノ浦で源氏に敗れ、囚われてしまった。
それから、子 安徳天皇や平家一門の弔いをする日々を送られていたところです。
苔の中にお地蔵様。
それから、石段の途中にあるのが狐雲(茶室)
それでは石段を下ります。
続いては、建礼門院徳子のお墓へお参り。
ということで、寂光院、実に良かったです。
京都大原 寂光院でした。