もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
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高島市戦争犠牲者を追悼し、平和を誓う市民の集い ~ 2018.8.18

2018年08月19日 | 日記

昨日の午後から戦没者遺族会の追悼式に参加してきました。

まずは、地元の「戦没者追悼式」です。

私は、戦後73年で平成最後となるこの式典ですが、初めての参加です。

まずは町内代表の方の式辞。

そのあと、焼香がありました。

ここには、町内の戦没者の方の名前があります。

もちろん、私のおじいさんの名前もありました。

そのあとは、高島市民会館で高島市主催の「戦争犠牲者を追悼し平和を誓う市民の集い」に参加しました。

高島市長の式辞、市議会議長・県会議員の方の追悼の言葉があり、発表の場へと移ります。

発表というのは、「次世代戦跡訪問研修参加者」の中学生・高校生の方、4名の発表でした。

主に、鹿児島県知覧特攻記念館に行かれた話などが中心です。

今回の発表者は、ひ孫にあたる方だと思います。

それにしても、この子たちはスゴイ。

続いて、献奏というのがありまして、ピアノ演奏とソプラノで「庭の千草」「からたちの花」「ふるさと」が演じられました。

これまた、いい歌です。

庭の千草なんか、情景が浮かぶほどです。

そして、高島市内の若者による詩の朗読「私が一番きれいだったとき」がありました。

それから、参加者全員で献花をしました。

私も、壇上に上がり、菊の花を一輪、献花しました。

最後に、平和都市宣言の朗読があり終了。

今回、このような式典に初めて参加したのは、今年から遺族会の地区の係を仰せつかったからです。

最初は、孫なのに・・・。と思いましたが、遺児である子供さんたちと言いましても73以上の方ばかりとなり、高齢化が著しく、成りて不足からの理由もあり、不詳私が引き受けた次第です。

実のところ、配りもの等の役目は、おばあさんがしてくれており、助かってます。

とにかく、全国の武道館の場合もそうですが、戦没者の妻もほんとに少なくなり、子供さんも高齢となってきていて、なかなか出席が難しくなってきてます。

そこで、孫の代へとなるわけです。

我が家では、長男だったおじいさんが昭和12年12月に満州で、戦死。

早い時期での戦死のため、村葬で大変なお葬式が執り行われて、すでにそれも80年以上前になります。

私の父親も3歳の時でしたので父親の記憶はなかったと思います。

大変な時代です。

それにしても、あいさつ等でもありましたが、「先の大戦」と言われてます。

忘れてはならないことですが、さすがに古くなってきた感はあります。

ましてや、孫となると・・・。

家に帰り、仏壇に手を合わせて、飾ってあるおじいさんの軍服姿の遺影を眺めました。

私よりはるかに若いです。

無念だっただろうな・・・。

もう戦争はあきまへん。

この孫の代も平和であって欲しいです。

今回は、義理か役目で参加しましたが、式典の最中、いろいろと考えさせられました。

いい機会でした。

 

 

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