もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

天台宗 比叡山 延暦寺 一隅を照らす

2022年01月09日 | 御朱印巡り

1/8  厄除け祈願のため、京都 石清水八幡宮をお詣りしてきました。

その後、ご飯を食べて、時間があるので、比叡山へ行きました。

まずは、比叡山ドライブウェイへ。

ドライブウェイを登っていくと、展望駐車場があり、しばし下界を眺めます。

こちらは、大津プリンスホテル・近江大橋方面です。

次男一家が暮らすマンションも見えます。

そして、こちらは、京都市街。

残念ですが、霞んでいて、京都御所くらいしか判別できず。

それでは、東塔地域です。

いい天気でポカポカ陽気でしたが、こちらまで登ってくると3℃。

雪も解けていません。

駐車場からです。

まずは、大講堂。

奥さんは、娘のために「数珠」を買いました。

女性用は、いろいろと種類があり、おしゃれです。

隣にある鐘楼。

絶えず「ゴ~~ン」と鳴り響いています。

一突き50円です。

私と奥さんも突きました。

いい響きです。

坂を下りていきますと、根本中堂(国宝)です。

現在は、改修工事中。

10年工期であと4年ほどかかる予定です。

それでは、中へ。

もちろん中は撮影禁止。

こちらは、ネットから借用。

1200年以上、灯し続けられている「不滅の法灯」

薄暗いお堂の中で、しばし眺めていました。

眺めていると、心に震える何かを感じました。

重みがある灯りです。

比叡山延暦寺の東塔巡り!心震える根本中堂「不滅の法灯」の魅力 ...

そして、御朱印をいただきました。

それから、大黒堂へ。

伝教大師最澄が比叡山へ登った折、この地において大黒天を感見したところであり、

日本の大黒天信仰の発祥の地と言われています。

本尊の大黒天は、「三面出世大黒天」と言われ、大黒天と毘沙門と弁財天が一体になった姿をしています。

そして、文殊楼。

文殊楼は高い石段を隔て根本中堂の東側にあります。

延暦寺の山門にあたり、徒歩で本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになります。

慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建したものですが、

寛文8年(1668)に焼け、その後建てられたのが現建築です。

根本中堂の正面から眺めるとこんな感じ。

それでは、延暦寺参拝はここまで。

今回は、東塔地域だけでしたが、西塔・横川などもっともっとあります。

ちなみに西塔地域は、私の宗派 浄土真宗を開かれた親鸞さんも修行されたところです。

また、あの弁慶もこの地域で暴れていました。

興味がありますが、また次の機会とします。

ドライブウェイを進み、白鬚神社方向を眺めます。

それでは、今年の「比叡山から発信する言葉」を紹介します。

だいひまんぎょう  すべての行いは大悲から

大悲とは、仏さまが常に人々を見守り、苦しみを取り除き安心を与えて下さる御心のこと。
 私たちにも具わる仏心に目覚め、利他の行ないに努めましょう。

ということです。

 

そこで、私が機会があると紹介する言葉があります。

以前に「ぼちもち」でも載せていました。

それは、「忘己利他  もうこりた」です。

くわしくはこちら。

忘己利他(もうこりた)

 
「悪事を己に向え 好事を他に与え 己を忘れて 他を利するは 慈悲の極みなり」

 悪事というのは「わるいこと」というのではなくて、人の嫌がる仕事、手間暇のかかる仕事などであります。好事というのはその反対で、やりやすい仕事、苦労のいらぬ楽な仕事、誰にでもすぐにできる仕事であります。この言葉は「しやすい仕事を他の人にまわし、自分は骨の折れる仕事を、自ら進んで引き受けてやる心がけを持って他人のことを思いやること」の出来る人、相手を喜ばすことの出来る人を仏教では「菩薩」というのです。
 宮沢賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」のようなへりくだった態度、常にやわらかな心で、自分を勘定に入れないで世のため人のために、自分のことよりもまず相手のことを思いやる心を持っている人、相手の幸福を願わずにはおれないとという菩薩のような心を持っている人、「先度他身自度」の教えであります。人を幸せにしたい、自分は最後でいいんだ、他人の幸福を願わずにはおれない、これを菩薩の行願といいます。菩薩の生き方は、「上は菩提を求め、下は衆生を教化す」ともいわれますが、利他行に励む人です。

 「人の身を渡し渡して 己が身は 岸にあがらぬ 渡しもりかな」

 仏の教えは慈悲と智慧です。慈とはいつくしみの心であり、人々の幸せを願う心です。悲というのは、人々の声にならないうめき声を聞きとり、救わずにはおれないという心であります。会社や地域の為に笑顔を忘れず、生き甲斐をもって混沌とした世相を「もうこりた」と言わずに、少しでも自分の周りが明るくなるように一人ひとりが努力精進して社会に奉仕して行くことが、己を忘れて他を利する菩薩行になるのではないでしょうか?
 また布施を行うに当たって、施者・受者・施物すべてが自分を忘れて他の為になるように心がけることができたとき、はじめて功徳が生じるという教え(三輪清浄)もあります。つまりしてやるのではなく、させていただくという清らかな心が大切なのではないでしょうか。

 「施そう 真心こめて 惜しみなく」
 

難しいですが、忘己利他(もうこりた)の精神を少しでも心がけていければと思います。

最澄さん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 


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