乃南アサの「地のはてから」という本を読んだ。
戦前から戦後にかけて、知床に入植した人々の話だ。
当時、日本の農民はひどく貧乏だった。
食べるものもなく、時には飢餓にも苦しんだ。
天災や虫害によって穀物が取れず、山野の恵みで飢えをしのいだりしていた。
この本のストーリーの中で、一貫して流れている怒りがある。
『とわの中にはおがちゃのひと言が、今もしっかり残っていた。お国を信じ切ってはいけない。結局は馬鹿を見ることになるのだ。』
3.11の震災以降、一連の不始末を見るにつけて、この思いを強くする。
確かに、これらのことは氷山の一角なのだ。
おそらく日常的に繰り返されてきた隠ぺいやごまかしが、たまたま現れているのに過ぎないのだろう。
声高に自己の正当性を主張する人には、強い言葉と同じくらいの深い原罪があるのだろう。
組織を守るためにデータや資料の改竄は日常茶飯事だろうし、歴史を塗り替えることくらい普通にやっている。
そんな社会の矛盾や虚飾の陰で、実に多くの人々が犠牲になってきた。
行政の表と裏を見てきて、この思いを強く感じる。
政権が交代したときには、行政の主要なスタッフを入れ替えるくらいの仕組みが必要なのではないだろうか。
そうしないと、本当にこの国は沈んでいく気がしてならない。