大阪都構想が否定された。
民意とはこのようなものだろう。
人は、将来に不安があり、相手を信用できないときに、現状維持を望む。
特に、指導者が上から目線の時には、この傾向が強い。
政治家なり官僚なりが信頼されていない場合には、民衆は改革を望まない。
これまでうまくやれてきたのだから、変えなくても良いのではないのか、と思う。
そこを変えるためには、目線を下げて、丁寧に説明することだ。
これは、大阪でも、国政でも同じだろう。
憲法改正にしてもそうだ。
多くの人は、今の憲法が現実と乖離していることを知っている。
しかし、変えようとしている人々、政治家や官僚を信用していない。
何が飛び出すかわからないからだ。
だから、変えなくても良いと思う。
変えることのリスクを嫌う。
「少しでも不安を感じるのなら反対を」というキャンペーンは効果的だ。
同じフレーズが、これからも繰り返されることになるだろう。
橋本徹という、指導力のある政治家が去る。
仕方のないことだ。
共通幻想を持ち得なかったことに、最大の敗因がある。
「大阪が沈まないために大阪都が必要」という論理は、不安を掻き立てて何かを実現しようとする。
しかし、実現しようとする「大阪都」の将来が見えない限り、それは不安の拡大でしかない。
新しい世界へジャンプするには、着地点を明確に示す必要がある。
そうでない限り、弱者はジャンプしない。
奇しくも橋本さんが語っていたように、「民主主義はすばらしい」の言葉に尽きる。
良い意味でも、悪い意味でも、そうだ。
否定した以上、何が起こっても、納得するしかない。
それが民意だ。
橋本さん、長い間ご苦労様でした。