1960年公開の、ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品です。
ヴィスコンティと言えば、「ベニスに死す」や「ルードヴィヒ」などの重厚で耽美的な作風で知られている監督ですが、もとをただせば戦後のイタリアの映画運動であるネオレアリズモ(この運動と現代児童文学の共通性は他の記事に書きました)の一翼を担っていました(その時代の彼の代表作は、1948年公開の「揺れる大地」でしょう)。
この「若者のすべて」は、彼のネオレアリズモ時代の集大成と言われる作品です。
イタリア南部の貧しい農村地帯から、長男の住む北部の大都会ミラノへ、母親と四人の弟たちが列車で移ってくるところから話は始まります。
長男は、ミラノで知り合った女性(チョイ役ですが、後の大女優のクラウディア・カルディナーレが若々しい美しさを見せています)と婚約しますが、駅から直接婚約パーティに乗り込んできた母親が、女性の家族と大喧嘩してぶち壊してしまいます。
その後、その女性と結婚して子どもも生まれますが、三人の生活を支えるのに追われていて、両方の家庭からは距離を置くようになります。
次男は、ボクサーとしての才能を認められますが、魅力的な娼婦(アニー・ジラルドが演じています)におぼれて身を持ち崩し、最後には彼女を殺してしまいます。
主役の三男は、すべてを許してしまうやさしすぎる神のような人間で、二男の借金の肩代わりのために、才能はあるけれど大嫌いなボクシングを続けることになってしまいます。
四男は、一番堅実で、夜学を卒業して自動車会社に勤め、美人のガールフレンドもいます。
五男は、まだ幼いけれど、そんな兄たちを見ながら、みんなを受け入れようとします。
公開当時、極端な貧富の差がある、当時のイタリアの南北問題を批判した映画として高く評価されました。
しかし、ネオレアリズモの代表作(例えば、ロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」や「戦火のかなた」、ヴィットリオ・デ・シーカの「靴みがき」や「自転車泥棒」、フェデリコ・フェリーニの「道」(その記事を参照してください)や「カビリアの夜」(その記事を参照してください)、ピエトロ・ジェルミの「鉄道員」などと比較すると、問題を男女の関係に収斂させすぎていて、その分社会性が弱まっているような気がします。
ただし、主役の三男を演じた若かりし頃のアラン・ドロンの美貌を見るだけでも、この映画を一見する価値はあります。
ヴィスコンティと言えば、「ベニスに死す」や「ルードヴィヒ」などの重厚で耽美的な作風で知られている監督ですが、もとをただせば戦後のイタリアの映画運動であるネオレアリズモ(この運動と現代児童文学の共通性は他の記事に書きました)の一翼を担っていました(その時代の彼の代表作は、1948年公開の「揺れる大地」でしょう)。
この「若者のすべて」は、彼のネオレアリズモ時代の集大成と言われる作品です。
イタリア南部の貧しい農村地帯から、長男の住む北部の大都会ミラノへ、母親と四人の弟たちが列車で移ってくるところから話は始まります。
長男は、ミラノで知り合った女性(チョイ役ですが、後の大女優のクラウディア・カルディナーレが若々しい美しさを見せています)と婚約しますが、駅から直接婚約パーティに乗り込んできた母親が、女性の家族と大喧嘩してぶち壊してしまいます。
その後、その女性と結婚して子どもも生まれますが、三人の生活を支えるのに追われていて、両方の家庭からは距離を置くようになります。
次男は、ボクサーとしての才能を認められますが、魅力的な娼婦(アニー・ジラルドが演じています)におぼれて身を持ち崩し、最後には彼女を殺してしまいます。
主役の三男は、すべてを許してしまうやさしすぎる神のような人間で、二男の借金の肩代わりのために、才能はあるけれど大嫌いなボクシングを続けることになってしまいます。
四男は、一番堅実で、夜学を卒業して自動車会社に勤め、美人のガールフレンドもいます。
五男は、まだ幼いけれど、そんな兄たちを見ながら、みんなを受け入れようとします。
公開当時、極端な貧富の差がある、当時のイタリアの南北問題を批判した映画として高く評価されました。
しかし、ネオレアリズモの代表作(例えば、ロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」や「戦火のかなた」、ヴィットリオ・デ・シーカの「靴みがき」や「自転車泥棒」、フェデリコ・フェリーニの「道」(その記事を参照してください)や「カビリアの夜」(その記事を参照してください)、ピエトロ・ジェルミの「鉄道員」などと比較すると、問題を男女の関係に収斂させすぎていて、その分社会性が弱まっているような気がします。
ただし、主役の三男を演じた若かりし頃のアラン・ドロンの美貌を見るだけでも、この映画を一見する価値はあります。
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