現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

エミリー・グラヴェット「オオカミ」

2017-09-24 10:17:19 | 作品論
 灰島かり「現代英米絵本はパロディの花ざかりvs日本の絵本はパロディ嫌い?」シンポジウム資料の中で、最近のパロディ絵本として紹介されていましたが、実際にはパロディ絵本ではありませんでした。
 ウサギが図書館で「オオカミ」の本を借りて、いろいろとオオカミについて調べているうちに、だんだん本の世界に入り込んで、…(これ以上は完全なネタバレになってしまうので書けませんが、かなりブラックな作品でした)。
 しかし、優しい読者のために別の結末も用意されてるなど、子どもも大人も楽しめる遊び心にあふれた仕掛けが満載の一読の価値のある絵本です。

オオカミ (世界の絵本コレクション)
クリエーター情報なし
小峰書店
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正道かほる「チカちゃん」

2017-09-24 10:15:16 | 作品論
 小学一年生の女の子を主人公にした幼年文学(?)です。
 主人公の、とうさんやかあさんとの、とりとめのない、でもしゃれた会話の中にいろいろなこと(生活智だったり、人生訓だったり、哲学だったりします)が巧みに隠されているというしかけの短いお話がならんでいます。
 以下に、タイトルと、カッコ内は隠されていると思われる事柄を列挙してみます。

 きりん(レジを通さずに持ってきてしまったチョコレートのお金を返す)
 かえる(出会い、結婚)
 とおく(人生、社会、仕事)
 くらげ(おでかけ、おねだり)
 てんてんがり(喧嘩の仲直りをする方法、外の世界、両親の愛情)
 しごと(とうさんの仕事の正体、みんなの役割り)
 ふうせん(生きていくということ、命のつながり、想い出)
 あな(想い出、生と死)
 ひみつ(想い出、秘密の共有による安心感)
 たしざん(勉強、料理、家族)
 おふろ(生きるということ、みんなの役割り)
 
 こうして種明かししてしまうとみもふたもありませんが、それらを洗練された表現と簡潔な文章でまとめる腕前はそうとうなものがあります。
 児童文学研究者の宮川健郎は、「児童文学 新しい潮流」(その記事を参照してください)で、この作品を、「ソフィストケートされた語りで暗示的に語り、子どもの現実は、「切実に」ではなく、突き放されて、「ふんわりと」書かれる。だから、「チカちゃん」の読者は、子どもをふんわりと、やさしく見る目を与えられることになる。それは、子どもとつきあう大人の読者には効用があると思うけれど、子ども自身にとっては、意味があるのだろうか。」と述べています。
 宮川は遠慮がちに書いていますが、幼年文学の体裁はしていますが、この本の読者(というよりは消費者(本の購入者)と言った方がより適切かもしれません)は若い世代を中心にした大人の女性でしょう。
 こうした作品が売れるようになった1990年代から、しだいに「児童文学」業界は、「子ども読者(男の子も含めて)」よりも「女の子や若い世代を中心とした女性読者」を意識して出版するようにシフトしていきます。
 やさしくて知的で頼もしいとうさん、やさしくて愛情豊かできちんとしているかあさん、少しこまっしゃくれたところもあるけれどすなおでかわいいチカちゃん。
 がさつな舅、姑や男の子などは排除された、このようなきれいでおしゃれできちんとしていて穏やかな家庭は、もしかすると彼女たちの理想像なのかもしれません。
 しかし、あまりに型にはまった父親と母親と子どもの役割り分担には、辟易とする読者もいることでしょう。


 
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谷川俊太郎「ことばあそびうた」

2017-09-24 08:54:31 | 作品論
 わからない。
 ただわからない。
 詩人の持つ言語感覚がわからない。
 とにかく、自分にはこういう「ことばあそび」を楽しむセンスがないのだろうと思いました。
 瀬川康男の絵も、詩に劣らずよくわからない。
 これでは作品論になっていないことは、重々承知していますが、とにかく一度読んでみてください。
 一読、一見の価値があることだけは保証します。

ことばあそびうた (日本傑作絵本シリーズ)
クリエーター情報なし
福音館書店
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長崎夏海「ぴらぴら」

2017-09-24 08:51:07 | 作品論
 小学校低学年の主人公の女の子は、隣のクラスに転校してきた不思議な女の子と友だちになります。
 話したこともないのに、超能力で、主人公の名前も、住んでいる団地の号棟も知っているのです。
 女の子は三回も引越ししていて、仲良くなれる子はすぐわかるので、友だちになろうというのです。
 学校からの帰り道、主人公は女の子と寄り道して、二人のお気に入りの場所へ行きます。
 主人公のお気に入りは、新しいアパートを建てている工事現場です。
 女の子は、そこで紫水晶のような石のかけらを二つ見つけて、「大きい方」を主人公にくれます。
 女の子のお気に入りの場所は、佐藤さんの家です(といっても、知り合いではありません)。
 そこで、女の子は、子猫たちと親猫を、主人公に紹介してくれます。
 次の朝、迎えに来てくれた女の子は、水晶のおかげで見られた夢(草原でライオンやきりんと仲良くなります)を教えてくれます。
 主人公は、休み時間に、校庭で、女の子がクラスの子たちに問い詰められているところに出くわします。
 女の子が嘘をついてばかりいるというのです。
 主人公は、女の子をかばおうとしますが、うまく言えません。
 そして、だんだん女の子の言っていたことも信じられなくなってきます。
 その夜、主人公はおねえちゃんと喧嘩した時に、かんじんなことを言うことの大切さと、女の子と一緒だった時の自分の気持ちは嘘ではなかったことに気づき、女の子のことを信じようと思います。
 その晩、水晶のおかげか、主人公は、海の中を魚になってぐいぐい泳ぐ夢をみます。
 翌朝、女の子の家へ迎えに行って、夢の話をします。
 すると、女の子もその夢の中にいて、サンゴ礁の中から、「ぴらぴらあ」と泳ぐ主人公を見ていたというのです。
 そして、今度は一緒に「ぴらぴらあ」と泳ぐことを約束して、二人は両手をぴらぴらさせながら学校へ向かいます。
 児童文学研究者の宮川健郎は、「児童文学 新しい潮流」(その記事を参照してください)において、「「ぴらぴら」は、子どもたちの「元気」や「自由」を象徴しているように思える。」と書いていますが、全く同感です。
 低学年の女の子たちが仲良くなっていく様子を、上記のような魅力的なエピソードを連発しながら、短い紙数の中で見事にまとめあげています。
 初めは、一人で見た夢を、次は二人で見て、今度は一緒に泳ごうという変化が、二人の仲良し度合の深まりを象徴しています。
 文章も簡潔でリズムがあって、無駄な描写を廃した児童文学(特に幼年文学)の王道を行く、「アクション」と「ダイアローグ」でスピーディなストーリー展開を描いていて、幼い読者でも作品世界に引き込まれるでしょう。
 作者とコンビを組むことが多い、佐藤真紀子の簡潔で力強い挿絵が、作品世界を支えています。 

ぴらぴら
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草土文化
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