現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

藤田のぼる「「始めに・「現代児童文学史」へのモチーフ」日本児童文学2013年1-2月号

2017-09-30 09:32:11 | 参考文献
 現代児童文学史ノートと銘打った連載のその1です。
 冒頭から自己弁明で始まり、「自分が児童文学史を書くとして、きちんと資料を読み込んで時系列的に記述を積み上げていくという方法は、時間的にも僕の体質的にも無理だろうと思った。そこで考えたのは、ある程度時間軸に沿いつつも、テーマというか、観点を立てて、それによって記述していく方法である。」と述べています。
 ここで藤田がモデルとしているのは、安藤美紀夫の「世界児童文学ノート」なのですが、この本は時間的にも分野的にも膨大な「世界児童文学」を安藤の観点で切り取るのに有効な手段ではありましたが、時間的にも分野的にも狭い現代(日本)児童文学史を記述するならば、やはりきちんと資料を読み込み、現代児童文学の始まりから終焉までをきちんと時系列に述べるべきでしょう。
 管見では、現代児童文学を論じた優れた論文としては、石井直人の「現代児童文学の条件」(その記事を参照してください)、佐藤宗子の「現代児童文学をふり返って」(その記事を参照してください)、宮川健郎の「現代児童文学の語るもの(これは彼の複数の論文を一冊にしたもので、全体として一つの現代児童文学論としてまとまっているわけではありません)などがありますが、これらをふまえた上でさらに藤田独自の論考を加えたものを期待したいところですが、どうでしょうか?
 18枚×6回という紙数の制限も言い訳にしていますが、合計百八枚あれば、かなりまとまったものがかけるはずです。
 その貴重な一回分を、前ふりと思い出話に費やしてしまったのは、非常にもったいない感じがします。
 二回目以降は、もう少しアカデミックな書き方にしてもらいたいと思います。
 もっとも、「日本児童文学」は日本児童文学者協会の機関誌なので、研究者ではない大半の読者(現役の児童文学作家や編集者とその予備軍が主体でしょう)は現代児童文学史に疎いので、このようなエッセイ風な書き方の方が適当なのかもしれません。

日本児童文学 2013年 02月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店
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森忠明「さまよう人」少年時代の画集所収

2017-09-30 09:28:51 | 作品論
 男の子には高飛車で、女の子や保護者(当時はほぼ母親を意味していました)には甘い男性の担任(そんな低俗な教師は、昔はいっぱいいました)に反発して、六年生の一学期と二学期をまるまる登校拒否して親戚の家に行っていた森少年の周辺を描いています。
 母親は日野駅のホームで、発作的に森少年の手を引いて、電車に飛び込んで無理心中を図ろうとします。
 森少年は、母親が自殺したい本当の理由は自分の登校拒否などではなく、若い女性と浮気している父親のせいだということを知っているので、母親を振り払って難を逃れます。
 その後、父親は、若い恋人に振られて、毎晩飲んだくれています。
 担任の教師は、家庭訪問先(きれいな母親のいる家には何度も行っていた)の保護者宅で問題を起こして依願退職になり、妻にも逃げられます。
 森少年は、その教師が退職して、担任が変わった後の10月30日から登校を再開します。
 本当は出席日数が足りないのですが、校長が親戚なので、森少年は無事に卒業できます(当時はこんなコネの話なんかざらでした)。
 タイトルの「さまよう人」は、森少年だけでなく、父親、母親、担任の教師も含めてつけられています。
 低俗な教師に反発する森少年には共感できる(私自身も同じような目に合わされたことがあります)のですが、全体的に書き方が断片的で、物語としての完成度は低いと思います。
 また、森少年の実際の時代(1960年ごろ)と出版時(1985年)の風俗(銀行のキャッシュカードなど)が入り混じっていて、未整理な印象を受けました。


少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ)
クリエーター情報なし
講談社
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