「やっりー! 全員に50のダメージね」
「くそーっ。死んでしまった」
ぼくの手から、ポトッとキラータイガーが落ちた。
「へへん、三連勝ね」
ヨッちゃんは、得意そうにガッツポーズをしている。
今日も学校から帰るとすぐに、弟のヨッちゃんと「バトえん」をやってた。
「バトえん」ってのは、バトル鉛筆のことだ。今、ぼくたちの間で、すごくはやっている。一本一本が人気アニメのヒーローやモンスターになっていて、六角鉛筆のそれぞれの面に、「△に30のダメージ」とか、「ダメージ回復」とか、「ミス(攻撃も防御も失敗)」とか書いてある。そして、それをころがして戦うゲームだ。「バトえん」同士に相性みたいのがあって、単純に強い奴が勝つとは限らないのが面白い。
五本ずつの勝ちぬき戦でやっているんだけど、最近はぼくの方が負けてばかりだ。
「あーあ、ベホマがあればなあ」
思わずため息が出た。
「うーん、ベホマかあ」
ヨッちゃんも、うっとりしたような声を出している。
そう、ベホマは最強の「バトえん」なんだ。
でも、ほとんど世の中には出回っていないので、「幻のバトえん」とも呼ばれてる。「バトル鉛筆公式ガイドブック」に載っているので、知っていただけだった。
「……、58、59、60回」
「ああ、気持ち良かった。ゴウちゃん、肩たたき、すっかりうまくなったねえ」
おばあちゃんはそういうと、大きくひとつ伸びをした。
「十円、十円」
ぼくは、待ち切れずにいった。
「はいはい」
おばあちゃんは、差し出したぼくの手のひらに、十円玉を一枚載せてくれた。
「じゃあ、おじいちゃんも」
「うーん、いいよ、今日は」
「そんなこと、いわないでさあ」
おじいちゃんのうしろにまわると、むりやり肩をたたき始めた。
こんなに熱心にやっているのは、「バトえん」のためだ。「バトえん」は、四本セットで二百九十円もする。おかあさんはすごいケチだから、絶対買ってくれない。だから、肩たたきのおだちんだけが頼りなんだ。
六十回で十円。「バトえん」を買うためには、なんと千七百四十回もたたかなければならないことになる。
初めは喜んでいたおとうさんやおかあさんは、このごろはちっともたたかせてくれない。近所に住んでいるおばあちゃんたちが、最後の頼みの綱だった。
二丁目の横断歩道を渡ったところで、夕方五時の「家に帰りましょう」のチャイムがなってしまった。冬のころとは違って、まだだいぶ明るい。四月に入ってからというもの、すっかり日が長くなっている。
(えい。おかあさんに叱られたって、かまやしないや)
ぼくは、思い切ってショッピングセンターにある若葉書店に寄ることにした。
ポケットには、大事な大事な二百九十円が入っている。やっと二週間ぶりに、「バトえん」を買える。
「こんちわーっ」
「おや、ゴウちゃん、お久しぶり」
本屋のおばさんが、愛想良くいった。
若葉書店は、本屋とは名ばかりで、本は雑誌とコミックスと文庫本をチョコッと並べているだけだ。小さな店の大半は、画用紙やクレヨンやノートといった文房具がしめている。「バトえん」は、その中でも一番目立つ入り口のそばに置かれていた。
(どれにしようかなあ)
外箱を見ただけでは、何が入っているかわからない。
『また、おんなじ奴買わされて。ほんとに、鉛筆会社とアニメ会社が組んで、子ども相手にあこぎな商売やってるんだから』
おかあさんは、いつもプンプンに怒っている。
「どれにするの?」
いろいろ手に取って迷っていると、おばさんが催促するようにいった。
「何が入ってるか、わかればいいのになあ」
思わずため息をついてしまった。
「わかんないのが、いいんじゃない。中身は後のお楽しみってね」
おばさんは、ずるそうな目をして笑っていた。
(えっ?)
その時、一番右の上から二番目の「バトえん」セットが、一瞬光ったような気がしたのだ。
「これ」
反射的にそれをつかむと、おばさんに差し出していた。
家に帰ると、外でヨッちゃんが縄跳びをしていた。
「……、19、20、21、……」
すごいスピードで、前跳びを続けている。いつも練習しているので、メキメキうまくなっていた。一年生のくせして、もう三年生のぼくより上手なくらいだ。
「おにいちゃん、ハア、ハア、買ってきた?」
「えっ、何を?」
ちょっととぼけてみせたけど、嬉しくってつい笑顔がこぼれちゃう。
部屋に行くのを待ち切れずに、玄関で「バトえん」の箱を開けた。
一本目はタイフーンマン。
「あっ、まただ」
ヨッちゃんが、馬鹿にしたようにいった。ぼくもヨッちゃんも持っているし、あまり強くない。
二本目はヘルゲイナス。
「いいなあ」
ヨッちゃんが、うらやましそうにいった。これも一本あるけど、けっこう強いからヨッちゃんのキングスライムと交換できるかもしれない。
三本目はスモールプールだった。これはまあまあだけど、やっぱりもう持っている。
そして、最後の四本目。金色の端っこが見えたとき、急に胸がドキドキしてきた。
(まさか?)
思い切って、箱から抜いてみた。
初めて見る鮮やかなペイントと模様。
そう、あのベホマだったのだ。
「うーん」
急にまわりの風景が、遠のいていくような感じがした。
「うはーっ」
ヨッちゃんも大げさに叫びながら、わざと玄関からころげ落ちてみせている。
ベホマは、まるでそのすごいパワーを表すかのように、ゴールドメッキとライトグリーンで、きれいに塗り分けられている。一番端には、とんがり帽子に白ひげの、闇と悪とを支配する大魔法使い「ベホマ」が描かれていた。
そして、六つの面に書かれた伝説の必殺技の数々。
第一の面はスロイド。これをくらうと、いきなり敵のパワーは半分になってしまう。
第二の面はホメイロ。敵全員に五十のダメージ、そしてさらにもう一回攻撃。
第三の面はグンダ。会心の一撃。好きな敵をアウトにできる。
第四の面はマホータ。今まで敵からうけたダメージを、完全回復できる。
第五の面はバクロマ。次の自分の回まで、敵の攻撃のダメージを受けない。
そして第六の面は、あの伝説のヒャダルク。これは、なんと敵全員に百のダメージ。普通「バトえん」は百パワーを持ってゲームをスタートするから、これをくらうと敵全員が一発でアウトだ。
たったひとつの「ミス」もない、完璧な攻撃力とディフェンス力。これが最強の「バトえん」、ベホマだった。
「えーっ、嘘おーっ」
ジュンが、大きく手を広げて驚いている。まだ四月だというのに、オレンジのランニングシャツ一枚しか着てない。両肩の肉が、ムッチリと盛り上がってる。
「本当? いいなあ。ぼくも欲しいなあ」
ソウタもうらやましそうだ。
「ふーん。ベホマが入っているのは、一万分の一の確率だそうですね。山川ゴウくんは、これでもう一生分の運を使いはたしましたよ」
そんな変なことをいったのは、田所くんだ。
とうとう我慢しきれなくなって、昼休みにベホマのことをみんなに話したところだった。
たちまちぼくは、クラス中の男の子たちに取り囲まれてしまった。全員がうらやましそうにしている。それもそのはず、ぼくの三十六本なんてのはまだ少ない方で、百本以上持っている子もザラにいるんだ。それでも、ベホマを持っている子は、学校には誰もいなかった。
昼休みのうちに、ベホマの噂は学校中に広がってしまった。ぼくの三年二組の教室には、三年生だけでなく、他の学年の子たちまでがやってきた。
「ゴウちゃん、すごいねえ」とか、「今度、ちょっとだけでも見せてくれよな」とか、口々にいってくる。
ぼくはだんだん自分自身が、ベホマのすごいパワーを身につけたような気がしてきていた。
家に帰ると、ヨッちゃんが、今日はうしろ跳びの練習をしていた。ヨッちゃんたち一年ぼうずは、まだ給食が始まっていないから、昼前には帰っている。まったく、楽ちんなもんだ。
「ただいまあーっ」
玄関にランドセルを置くと、すぐに部屋へ向かった。
「こんちはーっ」
「おじゃましまーす」
ジュンを先頭に、みんなも続いてくる。クラスの子が七人も、さっそくベホマを見にきたんだ。
「ここに入ってるんだ」
「バトえん」入れになってる、机の二番目の引き出しを開けた。
ホイミ、グリアル、モモンガ、……。
むきだしで入れてある普通の「バトえん」をかき分けて、奥からプラスチックの筆箱を取り出した。中には、ネリウスとかキラータイガーといった、強い「バトえん」だけがしまってある。もちろん、あのベホマも。
「あれっ、変だな」
ベホマが筆箱に入ってない。あわてて引き出しの中身を、全部机の上にあけてみた。
「……、33、34、35」
やっぱり一本足りない。
「どうしたんだよ」
五月人形の金太郎のような太い眉毛を寄せて、ジュンが心配そうにのぞきこむ。
「本当に、ベホマだったのですか?」
田所くんが、疑い深そうに聞いた。
「ほんとだってば」
ぼくは、また玄関から外へとび出した。
「ヨッちゃん、ぼくのベホマ、知らない?」
「えっ、知らないよ」
ヨッちゃんはあっさりいったけど、ぼくと目を合わせようとしない。わざとそっぽを向いて、うしろ跳びを続けている。
(ははん。やっぱり、勝手に使ったな)
すぐにピンときた。
「ヨッちゃん、おにいちゃん、怒らないからね。いってごらん。ベホマを使わなかった?」
「優しいおにいちゃん」のふりをして、わざと猫なで声を出してもう一度たずねた。
「あっ、忘れてきた」
急にヨッちゃんが、跳ぶのを止めてうつむいた。
「えっ、どこに?」
ぼくは「優しいおにいちゃん」から、「普通のおにいちゃん」に戻った。
「うん、ケイくんちだ」
「えっ、なんで、ケイんちなんかに、持ってったんだよ」
こんどは、「普通のおにいちゃん」から、「恐いおにいちゃん」になった。
「えっ、見たいっていってたからね。ちょっと見せにいったんだよ」
「馬鹿やろう」
さっきの約束なんか、関係ない。ヨッちゃんの頭を一発思い切りひっぱたくと、すぐに新しい自転車を引っ張りだした。進級祝いにおばあちゃんに買ってもらった奴だ。
「おーい、待てよお」
ジュンたちが、あわてて後を追いかけてくる。チラリと振り返ると、そのうしろから、ヨッちゃんだけは、駆け足跳びをやりながらのんびりついてきていた。まったく、こんな時でも、縄跳びの練習だけは欠かさないんだから。
ピンポーン。
「はーい、どなた?」
すぐに、ケイのおかあさんの声がインターフォンから聞こえた。
「ハアハア、山川、ゴウ、ですけど、ハアハア……」
学校の反対側のケイの家まで、全速力で突っ走ってきたので、まだ息が切れている。それでも、なんとか用件を伝えられた。
「わかった。心当たりを見てみるわ」
ケイのおかあさんが、すぐに捜してくれることになった。
「おーい、一人で先に行くなよお」
「こっちは自転車じゃないんだぞお」
ジュンたちが、ドヤドヤと到着した。
ぼくはそんなみんなを無視して、じっとケイの家のドアをにらんでいた。
ガチャッ。
ようやくドアが開いた。
「ゴウくん、ケイの部屋も、テレビのまわりも捜したけど、その『ベホマ』っていうバトル鉛筆はなかったわよ」
ケイのおかあさんが、すまなさそうにいった。
そのとき、ヨッちゃんが、駆け足跳びをやりながら、のんびり現れた。
「ヨシキッ」
これがヨッちゃんの本名だ。
「ケイんちには、ないってよ」
「ゴウちゃん、落ち着いて、落ち着いて」
ぼくが今にもなぐりかかりそうなので、ジュンとソウタが両腕をつかんでいる。
「そうかあ。途中で、おっことしちゃったかなあ。ポケットに入れて、縄跳びやりながら帰ったからなあ」
ヨッちゃんは、そんなとんでもない事を、ケロリとした顔でいい出した。
ぼくは、あわててまわりの地面を捜し始めた。
「あーあ、どこにいっちゃったんだろう」
鉄棒に足をかけて、逆さまにぶら下がりながら、ジュンがいった。
「誰かに拾われちゃったのかなあ」
隣の鉄棒の上から、ぼくが答えた。
他のみんなも、ブランコやジャングルジムに腰かけている。捜し疲れて、すっかりくたびれてしまっていた。
でも、ヨッちゃんだけは、今度は二重とびに挑戦している。さすがに難しいらしく、なかなか続かない。
あれから、みんなに手伝ってもらって、ぼくとケイの家の間を、徹底的に捜した。ケイの家からぼくの家まで、ヨッちゃんが帰ってきたとおりに歩いてみたのだ。
あきれたことに、ヨッちゃんはとんでもないコースで、ケイの家から戻ってきていた。
学校まではなんとかまっすぐに来たものの、そこから、反対側の「谷津公園」へ向かっている。そこでは、大きな土管の中をくぐったり、目玉焼き型の砂場のまわりをわざわざ一周したり、いろいろな所で遊びまわっていた。
その後も、まっすぐには家に戻らなかった。ショッピングセンターの中を突っ切ったり、わざわざ歩道橋の上に登ったりしている。そんなふうに、さんざん寄り道してから、やっと家のそばの「小栗公園」まで戻ってきていた。
でも、ベホマはどこにも落ちていなかった。
「そうだ。誰かが拾ったんなら、警察に届くかもな」
クルリと宙返りして鉄棒から降りると、ジュンがいった。
「うん、そうだよ。ゴウちゃん、みんなで警察に行ってみようよ」
ソウタも、励ますようにいってくれた。
「だめですよ。だって、大人人にとってはただの鉛筆だから、わざわざ届けるはずないし、子どもがベホマなんか拾ったら、ネコババしちゃうに決まってますよ」
田所くんがそういったので、みんなはまたシュンとしてしまった。
「そうそう、ぼくだって、絶対ネコババしちゃう」
ヨッちゃんまでが、調子に乗ってそんなことをいいだした。
「馬鹿やろ、おまえのせいなんだぞ。馬鹿やろーっ」
とうとう頭にきたぼくは、泣きながらヨッちゃんになぐりかかった。
「うわーん」
力いっぱい頭をなぐられて、ヨッちゃんもぼくより大きな声をあげて泣きだした。
「よせよ、ゴウちゃん」
「やめろってば」
ジュンたちが、あわてて止めに入った。
ぼくの大切なベホマは、こうしてたった一日で、その姿を消してしまった。なんだか本当にあったのか、自分でも昨日のことが、まるで夢のように感じられ始めてきた。
「さあ、あと十五分だよ。今日できあがらなかった人は、宿題にしまーす」
図工の佐久間先生が、みんなの間を歩きまわりながらいった。
「えーっ!」
みんなは不満そうな声をあげている。
先週から始めた画用紙でいろいろな形を作る工作は、最後の仕上げにはいっていた。
ぼくはすでに完成していたので、もう一度自分の作品をじっくりとながめた。
赤く塗った紙と青の紙を、組み合わせて作った大きなロボット。「無敵合体ライジンガー」のつもりだ。
両手を大きく広げていて、今にも「ガオーッ」てほえそうだ。われながら、いい出来上がりになっている。
と、その時、
「わー、変なの」
「よしてよ」
前の席の高橋くんと吉野さんが、いい争いを始めた。高橋くんが吉野さんの作ったアニメのヒーロー、スーパームーンにケチをつけたからだ。
でも、それは無謀というもんだ。スーパームーンならぬ、スーパーダンプというあだなの吉野さんの体重は、やせっぽちの高橋くんの軽く二倍はある。
「うわーっ」
たちまち吉野さんに突き飛ばされた高橋くんが、ぼくの机に勢いよくぶつかってきた。
そのはずみで、ライジンガーが倒れ、机の下に落っこちていく。
(うそーっ!)
落ちたはずみで、ライジンガーの頭がポロリともげてしまった。
「くそーっ、ひどいなあ」
ぼくはライジンガーの体と取れた頭を両手にかかえて、二人に文句をいった。
二時間目の終わりのチャイムがなった。
でも、ライジンガーの頭をくっつける作業は、まだ終わっていなかった。落ちた時にどこかがゆがんでしまったのか、どうしてもうまくくっつかない。
「ベホマ様の呪いかな」
いつのまにうしろに来たのか、ジュンがポツリといった。目を細めてせいいっぱい恐ろしげな顔をしているつもりだろうが、タヌキみたいなまん丸顔なのでちっとも怖くない。
「まさかあ」
ぼくは笑いながら、すぐに答えた。
確かに、ベホマはアニメの「ドラゴン伝説」の中では、誰にでも呪いをかけられるけど、それはお話の中だけのことだ。
でも、おかげでせっかく忘れかけていたベホマのことを、また思い出してしまった。
昨日はあれからも、何度もケイの家との間を往復して捜したけど、とうとうベホマは出てこなかった。念のために、ケイの部屋まで捜させてもらったけど、やっぱりだめだったんだ。
校庭からは、他のクラスの子たちが遊んでいる声が聞こえ始めた。
ぼくは指先に力を込めて、ライジンガーのゆがみを直して、また頭を取り付けようとしていた。
「うわーっ!」
「大変だあ」
いきなり、外から叫び声が聞こえた。
急いで窓から外を見ると、うんていの下に誰かが倒れていて、みんなが取り囲んででる。
青いTシャツにグレーのハーフパンツ。
(まさか?)
ぼくはあわててライジンガーを放り出すと、教室を飛び出した。せっかくくっつきかけた頭が、また取れてしまったけど、そんなことにはかまってられない。ジュンやソウタたちも、すぐに後に続く。
廊下を突っ走り、階段を途中から一気に跳び下りる。ずいぶんと増えた人がきをかき分けて前へ出てみると、うんていの下に倒れていたのは、やっぱりヨッちゃんだった。
「やっぱり、これはベホマの呪いだよ」
昼休みに、ジュンがみんなを校庭の隅に集めていった。
ヨッちゃんは、他の子とふざけていて、うんていの上から落ちたんだそうだ。けがはしなかったけれど、少し頭を打ったようなので、念のために養護の先生と病院へ行っている。
「そうかなあ」
ぼくは、まだ信じられなかった。ヨッちゃんの悪ふざけはいつもの事だし、暴れん坊だからしょっちゅうけがもしている。
ライジンガーの頭が取れたんだって、もちろん偶然だ。あれから、セロテープでギチギチに固めて取り付けてある。
「ほんとは、もっと恐ろしい話もあるんだ」
わざとためらうような様子を見せてから、ジュンが声をひそめて話し出した。
「何、なーに」
みんなが、興味津々って顔で、ジュンを取り囲んだ。
「実は、ベホマをなくしたら、一週間後の同じ時刻に、その人を本物のベホマがさらいに来るんだって」
「うそーっ!」
みんながいっせいに叫んだ。
「ほんとだってよ。おにいちゃんが、昨日いってたんだぜ。初めにさらわれた人は、長崎ってところの、斉藤タカシって子なんだってよ。それから神戸とか大阪でも、ベホマにさらわれた子がいるんだって」
「うわー、恐ろしい!」
ソウタが首をすくめた。他のみんなは、恐ろしいような面白いようなって感じで、ニヤニヤしている。
でも、ぼくにとっては他人ごとじゃない。もしかすると、なくしたヨッちゃんと持ち主のぼく、その両方に「ベホマの呪い」がかけられているのかもしれない。
「馬鹿馬鹿しい。そんなのデマですよ。だってベホマなんて、アニメのキャラですよ。そんな、すぐにお話と現実を、ゴッチャにする人がいるんだから」
いつもながらの田所くんのクールな意見が、そのときばかりはとても頼もしく思えた。
ジュンちゃんの「ベホマの呪い」の話を裏付けるかのように、その後もぼくたち山川ゴウとヨシキ兄弟には、次々と不吉なことが起こった。
ぼくは、絶対受かると思っていたスイミングの進級テストに、あっさりと落ちてしまった。
しかも、その帰りに、ダブルパンチが襲いかかってきた。あの新しい自転車が、クギか何かを踏んだとも思えないのにパンクしていたのだ。
ヨッちゃんは、一日休んだだけで学校へ行くことができた。
でも、ずっと楽しみにしていた初めての給食を食べそこねた。しかも、その日は、カレーとイチゴゼリーという豪華メニューだったのだ。
さらに、ぜったい当たるといいはっていた「小学一年生四月号」の懸賞にも、見事にはずれてしまった。これは「ドラゴンの逆襲」という新作ゲームだったから、かなりがっくりしていた。
今まで、ヨッちゃんは抜群にくじ運が強かった。商店街の福引きや子供会のビンゴ大会などでも、毎回のように一等や二等を当てていたのだ。
だから、今回の落選は相当ショックだったようだ。なにしろ、欠かさずにやってきた縄跳びの練習を、その日だけは休んだほどだった。
これだけ二人にアンラッキーなことが続くと、だんだん「ベホマの呪い」が信じられてくる。
いよいよ一週間の期限まで、あと一日。まだベホマのバトえんは出てこない。
(やっぱり「ベホマの呪い」は、ほんとなのだろうか?)
「ベホマが二人をさらいに来るのは、なくしたときと同じ時刻だろ。だから、その時、ゴウちゃんとヨッちゃんを、みんなで守ればいいわけじゃないか」
一週間目の朝、教室でそういい出したのはジュンだった。
「ベホマの呪い」について、ぼくたちに話しちゃったことに、よっぽど責任を感じているらしい。一緒に捜す時にも、一番熱心にやってくれていた。
「うん、そうだな。みんなで守ればきっとベホマもあきらめるよ」
ソウタがすぐに賛成してくれた。
「まだ、そんなこといっているんですか。ベホマの呪いなんか都市伝説なんですよ」
田所くんは相変わらずそういって馬鹿にしていたけれど、他のみんなは賛成してくれた。
ヨッちゃんが、ケイの家でベホマを見せていたのは一時半ごろだから、なくしたのはそれから家へ戻ってきた二時までの間だ。その時間中、ずっとぼくとヨッちゃんをみんなで守ろうというのが、ジュンの作戦だった。
学校があれば問題はないのだけれど、運悪くPTA総会のために、給食なしで十二時には帰らなければならない。おかあさんも総会に行くから、家には誰もいないだろう。
けっきょくみんなが、一時までに家にやってきて、ぼくたちを守ってくれることになった。
ジュン、ソウタ、コウジ、高橋くん、リョウヘイ、八木くん。ぜんぶで六人だ。
ピンポーン。
まだ十二時三十分だというのに、早くも誰かがやってきた。
特大のダブルバーガーをほおばりながら一番乗りで現れたのは、やっぱりジュンだった。
「これこれ、これさえあればベホマも逃げるよ」
そういって差し出したのは、黒光りするエアガンだった。たしか、おにいさんの奴だ。
「勝手に持ち出して、怒られない?」
ぼくが心配していうと、ジュンは片目をつぶってニヤッと笑ってみせた。
次にやってきたのは、ソウタだった。
ローラーブレード用のヘルメットをかぶり、金属バットをしっかりと握りしめている。「ベホマの呪い」には一番ビビッているけれど、責任感はすごく強い。
そして、一時ピッタリに、なんと来るはずじゃなかった田所くんまでがやってきた。
「まったくもう、ベホマの呪いなんて、デマですよ。でも、科学的に証明しなければなりませんからねえ」
変な理屈をこねながら、照れくさそうに笑っていた。
でも、あとの四人はなかなか来なかった。
「男同士の約束だったのになあ」
ソウタが、残念そうに首をふっている。
「男同士の約束なんて、まったくあてにならないものですよ」
田所くんだけは、いつものように落ち着いている。
「しかたないなあ。三人だけでも、守りに着こうか」
とうとうジュンがそういったので、みんなと家の中に入った。
「ところで、ヨッちゃんはどこにいるんですか?」
田所くんが、あたりをキョロキョロしながらいった。
「あれっ、食堂にいなかった?」
さっきまで、おかあさんが作って置いてくれたサンドイッチを、しつこくいつまでも食べていたはずなのに。
いつのまにかいなくなっている。
ジャジャーン、ジャンジャン……。
いきなり、二階で大きな音楽が鳴り響いた。「ドラゴン伝説」の「ベホマのテーマ」だ。
「しまった、上だあ。ヨッちゃんがあぶない」
ジュンを先頭に、階段に駆け寄った。
階段の手すりからは、マントのような物がぶら下がっている。
(やっぱり、ベホマだ)
「くそーっ、もう現れたのかあ」
ジュンがエアガンを片手に、一歩一歩階段を上がっていく。ソウタもバットを握りしめて続く。ぼくと田所くんもその後へ続いた。
「うわっ!」
いきなり大声で叫びながら、階段の上に現れたのは、……。
ヨッちゃんだった。
首の所で結んでマントの様にしてるのは、よく見るとおかあさんのピアノのカバーだった。
「馬鹿やろう。こんな時までふざけやがって!」
ぼくが飛びかかろうとするのを、田所くんが懸命に押さえている。
「こいつめ、こいつめ」
さすがに他の二人も頭にきたようで、ソウタがうしろからはがいじめにすると、ジュンが「くすぐり殺し」の刑を始めた。
「うはっ、ごめん、ごめん。ははは……」
ヨッちゃんは、ぷっくりしたおなかを丸出しにして笑いころげた。
リリリーン。
とつぜん、下で電話のベルが鳴り出した。
ジュンと顔を見合わせながら、恐る恐る受話器を取ると、リョウヘイからだった。
「わりい。帰ったらメモがあってさ、妹たちの面倒見てろってさ」
そういえば、リョウヘイには、五才、三才、一才と、三人も妹がいる。
「うーん。じゃあ、しょうがないよな」
ぼくが電話を切ろうとすると、そばで耳をつけるようにして話しを聞いていたジュンが、受話器をひったくってどなった。
「おい、リョウヘイ。ゴウちゃんのピンチと、妹なんかの面倒と、どっちが大事なんだよ」
ジュンがリョウヘイをなんとか説得しようとしている時、ようやく高橋くんとコウジと八木くんが一緒になって現れた。
「ベホマが来るまで、暇だろー」
そういって八木くんが差し出したのは、「バトえん」だった。他の二人も、自分のを持ってきている。
「おまえらなあ。いったい何考えてるんだよ」
ジュンが、あきれたような声を出していた。
最後にリョウヘイが来て、ようやく全員がそろった。一番下のユイちゃんをおぶり、真ん中のミナちゃんの手を引いている。
「あっ、マリナちゃんだ」
ヨッちゃんが嬉しそうな声を出した。
一番上の妹のマリナちゃんは、ヨッちゃんのガールフレンドの一人だ。さっそく、手をつないで子供部屋へ連れていって、ブロックで遊ぼうとしている。
「あたしもやるう」
ミナちゃんも駆け寄っていく。
これじゃあ、ベホマに備える要塞というよりは、まるで幼稚園か保育園にでもなったようだ。
「よーし、まず雨戸を閉めよう。時間がないから急ごうぜ」
ジュンの指図に従って、子供部屋と居間の雨戸を閉め始めた。少しでも、ベホマの侵入を防ごうというんだ。
「マリナ。邪魔だから、ミナとユイを連れて、小栗公園で待ってろよ」
リョウヘイがそういうと、
「待って、ぼくも行く」
ヨッちゃんが、先に立って外へ行こうとしてる。
「おいおい、待てよ。何、考えてるんだよ。ヨッちゃんまで外へ行って、どうすんだよ」
ジュンがあきれたようにいった。
「あはっ、そうだった」
ヨッちゃんは、ペロリと舌を出した。
「二階はどうする?」
ソウタがジュンにたずねた。
「うーん、ベホマは空も飛べるからなあ。やっぱり閉めてきてくれ」
ぼくとソウタが二階へ駆け上がろうとした時、
ピンポーン。
いきなり玄関のチャイムが鳴った。
居間の置き時計を見ると、いつのまにか一時三十分を過ぎている。
(ベホマだ!)
みんながギクッとして、動きを止めた。
ピンポーン。
もう一度チャイムが鳴る。
ジュンが、忍び足で食堂の出窓へ近寄っていく。そこからは、門のインターフォンの所をのぞくことができる。
(たっ・きゅ・う・び・ん)
ジュンが口の形だけでいった。
「なーんだ」
ぼくが玄関を出ていこうとすると、ジュンが首をブンブン振って止めた。
「ベホマが、変装してるのかもしれない」
ジュンは、声をひそめて耳元でそうささやいた。
(えーっ!)
急にドアの外に、恐ろしい者が立っているように思えてくる。
みんなも、凍りついたようにシーンとしている。
ピンポーン、ピンポーン、……。
チャイムは催促するかのように鳴り続けていたけれど、誰もドアは開けなかった。
とうとうあきらめたのか、車の発車する音が外から聞こえてきた。
全部の雨戸を閉め切って、ぼくたちはもう一度居間に集まった。
電灯のスイッチを入れたのに、なんだかいつも夜つけたときよりも暗いような気がする。思わず電灯を見上げたけれど、やっぱりきちんとついている。
みんなも黙りこくっていた。こうしていると、なんだか不安が背中から這い上がってくるようで、ぞくぞくしてくる。知らず知らずのうちに、みんなは居間の真ん中に固まってきてしまった。
「よーし、ゴウちゃんたちの部屋へたてこもろう」
ジュンが勇気を振り絞るようにして、みんなにいった。
みんなはわれ先にと、急いでとなりの部屋へうつった。
全員が中に入ると、ジュンが居間との間のふすまをピシッと閉めた。
ぼくやヨッちゃんの椅子に座る者、ベッドに腰かける者。四畳半の狭い部屋に、九人がギチギチ詰めになった。
「みんな、丸くなれえ」
ジュンの命令に従って、みんながぼくとヨッちゃんを取り囲んだ。腕をしっかり組み合って、どこからベホマが襲ってきても大丈夫なように、外側を向いて円陣を作っている。ぼくとヨッちゃんは、その中にしゃがみこんで、しっかりと手をつなぎあった。
「にいちゃん、きっと大丈夫だよ」
緊張しているぼくに、ヨッちゃんの方から声をかけてきた。
時間がゆっくりと過ぎていく。ぼくは、目の前にあるジュンのムチッとしたふくらはぎを見つめていた。時々変なことをいうけれど、いざという時には頼りになる。他のみんなもそうだ。油断せずに、まわりをしっかり見張ってくれている。
こうしてみんなと体をくっつけ合っていると、だんだんぼくには、たとえベホマが襲ってきても、大丈夫なような気がしてきていた。
「たすかったあ」
とうとうジュンが、大声で叫んだ。時計を見ると、いつのまにか二時を十分も過ぎている。
「ほらね。やっぱりデマだったんだよ」
田所くんが、得意そうにいった。
「違うよ。みんなで守ってたから、襲ってこなかったんだよ」
じゅんが、むきになっていい返した。
狭い部屋の中で、みんなが急に動き出したので、あちこちで互いにぶつかりあってしまった。
「うわーっ」
ソウタがコウジに押されてよろけたはずみに、うしろのふすまに激しくぶつかった。
ガターン。
大きな音がしてふすまがはずれ、向こう側へ倒れてしまった。
と、その時、机のうしろに、金色に光るものが……。
「あったあ!」
ぼくとヨッちゃんが、同時に叫んでいた。
なんとベホマが、ふすまとヨッちゃんの机の間に、落っこちていたのだ。
「ふーっ、良かったあ」
ぼくは急いで拾い上げると、しっかりとベホマを握りしめた。
「ほらね。やっぱり家へちゃーんと持ってきてたんだ。あっ、そうか、あの時、敷居につまずいて、『バトえん』をばらまいちゃったんだ」
今ごろになって、ヨッちゃんはそんなことをいってる。
でも、ぼくはもう怒る気にもなれなかった。
「ほんとに、みんなありがと、ありがと」
みんなも、ようやく肩の荷が下りたのか、ホッとした顔をしていた。
ぼくの机の上に置いたベホマを、みんなが取り囲んでいる。ようやく雨戸を開けはなった窓からは、明るい午後の光がいっぱいに差し込んでいた。
「ちょっと、さわらせてくれよ」
ジュンはベホマを手に取ると、じっくりと眺め始めた。ゴールドメッキとグリーンのペイントが、光を受けてキラキラと輝いている。
「俺も………。やっぱりやめとく」
差し出した手を、ソウタが恐ろしそうに引っ込めた。
「大丈夫だよ。もう呪いは解けたんだから」
ジュンがそういって、ベホマを手渡した。
「きれいだなあ」
ソウタは、うっとりとした声を出した。
「おれにも……」
「ちょっと、持たせて」
みんなも、次々にベホマを手に取った。
「ふーん、これがベホマですか」
最後に田所くんが、じっくりとすべての面を眺めてから、元の場所へ戻した。
「ちょっと、振ってみていい?」
ぼくがうなずくと、ジュンは勢いよくベホマをころがした。
コッ、ロ、ロ、ロ、ロ、……。
最後に、ベホマはカタッと止まった。
ヒャダルク、全員に百のダメージ。対戦相手全員を、一発でアウトにしてしまうあの伝説の必殺技だ。
「ウヒャヒャー」
ジュンが、すっとんきょうな叫び声をあげた。みんなもため息をついている。
「やっぱりすげえなあ。これじゃ、呪いの力を持ってても、不思議はないよなあ」
ジュンはそういいながら、ベホマをぼくに差し出した。
「でも、ベホマは、けっきょく現れなかったじゃない」
ぼくはそういってベホマを手に取ると、しっかりと握りしめた。
「そうだよ。『バトえん』でのベホマはすごいけど、やっぱり鉛筆に呪いの力なんかないよ」
ソウタが、自分にいいきかせるようにいった。
「そりゃ、そうだよな」
「ベホマなんて、アニメのキャラだもんな」
みんなも口々にいいだした。
と、その時、田所くんが口をはさんだ。
「でも、よく考えてみると、ベホマは最初からこの部屋にあって、なくなっていなかったんじゃないですか。これじゃ、『ベホマの呪い』が本当かどうかは、まだわかりませんねえ」
田所くんの言葉に、今まで威勢の良かったみんなは、いっぺんにシュンとなってしまった。
(たしかにそうだ。ベホマは、ほんとになくなってたんじゃない。すると、もしかして、ほんとにベホマをなくしたら……)
ギュッとベホマを握っていたぼくの手のひらは、いつのまにかじっとりと汗をかいていた。
と、その時、手の中のベホマの目が、一瞬ギラリと光ったように見えた。
「くそーっ。死んでしまった」
ぼくの手から、ポトッとキラータイガーが落ちた。
「へへん、三連勝ね」
ヨッちゃんは、得意そうにガッツポーズをしている。
今日も学校から帰るとすぐに、弟のヨッちゃんと「バトえん」をやってた。
「バトえん」ってのは、バトル鉛筆のことだ。今、ぼくたちの間で、すごくはやっている。一本一本が人気アニメのヒーローやモンスターになっていて、六角鉛筆のそれぞれの面に、「△に30のダメージ」とか、「ダメージ回復」とか、「ミス(攻撃も防御も失敗)」とか書いてある。そして、それをころがして戦うゲームだ。「バトえん」同士に相性みたいのがあって、単純に強い奴が勝つとは限らないのが面白い。
五本ずつの勝ちぬき戦でやっているんだけど、最近はぼくの方が負けてばかりだ。
「あーあ、ベホマがあればなあ」
思わずため息が出た。
「うーん、ベホマかあ」
ヨッちゃんも、うっとりしたような声を出している。
そう、ベホマは最強の「バトえん」なんだ。
でも、ほとんど世の中には出回っていないので、「幻のバトえん」とも呼ばれてる。「バトル鉛筆公式ガイドブック」に載っているので、知っていただけだった。
「……、58、59、60回」
「ああ、気持ち良かった。ゴウちゃん、肩たたき、すっかりうまくなったねえ」
おばあちゃんはそういうと、大きくひとつ伸びをした。
「十円、十円」
ぼくは、待ち切れずにいった。
「はいはい」
おばあちゃんは、差し出したぼくの手のひらに、十円玉を一枚載せてくれた。
「じゃあ、おじいちゃんも」
「うーん、いいよ、今日は」
「そんなこと、いわないでさあ」
おじいちゃんのうしろにまわると、むりやり肩をたたき始めた。
こんなに熱心にやっているのは、「バトえん」のためだ。「バトえん」は、四本セットで二百九十円もする。おかあさんはすごいケチだから、絶対買ってくれない。だから、肩たたきのおだちんだけが頼りなんだ。
六十回で十円。「バトえん」を買うためには、なんと千七百四十回もたたかなければならないことになる。
初めは喜んでいたおとうさんやおかあさんは、このごろはちっともたたかせてくれない。近所に住んでいるおばあちゃんたちが、最後の頼みの綱だった。
二丁目の横断歩道を渡ったところで、夕方五時の「家に帰りましょう」のチャイムがなってしまった。冬のころとは違って、まだだいぶ明るい。四月に入ってからというもの、すっかり日が長くなっている。
(えい。おかあさんに叱られたって、かまやしないや)
ぼくは、思い切ってショッピングセンターにある若葉書店に寄ることにした。
ポケットには、大事な大事な二百九十円が入っている。やっと二週間ぶりに、「バトえん」を買える。
「こんちわーっ」
「おや、ゴウちゃん、お久しぶり」
本屋のおばさんが、愛想良くいった。
若葉書店は、本屋とは名ばかりで、本は雑誌とコミックスと文庫本をチョコッと並べているだけだ。小さな店の大半は、画用紙やクレヨンやノートといった文房具がしめている。「バトえん」は、その中でも一番目立つ入り口のそばに置かれていた。
(どれにしようかなあ)
外箱を見ただけでは、何が入っているかわからない。
『また、おんなじ奴買わされて。ほんとに、鉛筆会社とアニメ会社が組んで、子ども相手にあこぎな商売やってるんだから』
おかあさんは、いつもプンプンに怒っている。
「どれにするの?」
いろいろ手に取って迷っていると、おばさんが催促するようにいった。
「何が入ってるか、わかればいいのになあ」
思わずため息をついてしまった。
「わかんないのが、いいんじゃない。中身は後のお楽しみってね」
おばさんは、ずるそうな目をして笑っていた。
(えっ?)
その時、一番右の上から二番目の「バトえん」セットが、一瞬光ったような気がしたのだ。
「これ」
反射的にそれをつかむと、おばさんに差し出していた。
家に帰ると、外でヨッちゃんが縄跳びをしていた。
「……、19、20、21、……」
すごいスピードで、前跳びを続けている。いつも練習しているので、メキメキうまくなっていた。一年生のくせして、もう三年生のぼくより上手なくらいだ。
「おにいちゃん、ハア、ハア、買ってきた?」
「えっ、何を?」
ちょっととぼけてみせたけど、嬉しくってつい笑顔がこぼれちゃう。
部屋に行くのを待ち切れずに、玄関で「バトえん」の箱を開けた。
一本目はタイフーンマン。
「あっ、まただ」
ヨッちゃんが、馬鹿にしたようにいった。ぼくもヨッちゃんも持っているし、あまり強くない。
二本目はヘルゲイナス。
「いいなあ」
ヨッちゃんが、うらやましそうにいった。これも一本あるけど、けっこう強いからヨッちゃんのキングスライムと交換できるかもしれない。
三本目はスモールプールだった。これはまあまあだけど、やっぱりもう持っている。
そして、最後の四本目。金色の端っこが見えたとき、急に胸がドキドキしてきた。
(まさか?)
思い切って、箱から抜いてみた。
初めて見る鮮やかなペイントと模様。
そう、あのベホマだったのだ。
「うーん」
急にまわりの風景が、遠のいていくような感じがした。
「うはーっ」
ヨッちゃんも大げさに叫びながら、わざと玄関からころげ落ちてみせている。
ベホマは、まるでそのすごいパワーを表すかのように、ゴールドメッキとライトグリーンで、きれいに塗り分けられている。一番端には、とんがり帽子に白ひげの、闇と悪とを支配する大魔法使い「ベホマ」が描かれていた。
そして、六つの面に書かれた伝説の必殺技の数々。
第一の面はスロイド。これをくらうと、いきなり敵のパワーは半分になってしまう。
第二の面はホメイロ。敵全員に五十のダメージ、そしてさらにもう一回攻撃。
第三の面はグンダ。会心の一撃。好きな敵をアウトにできる。
第四の面はマホータ。今まで敵からうけたダメージを、完全回復できる。
第五の面はバクロマ。次の自分の回まで、敵の攻撃のダメージを受けない。
そして第六の面は、あの伝説のヒャダルク。これは、なんと敵全員に百のダメージ。普通「バトえん」は百パワーを持ってゲームをスタートするから、これをくらうと敵全員が一発でアウトだ。
たったひとつの「ミス」もない、完璧な攻撃力とディフェンス力。これが最強の「バトえん」、ベホマだった。
「えーっ、嘘おーっ」
ジュンが、大きく手を広げて驚いている。まだ四月だというのに、オレンジのランニングシャツ一枚しか着てない。両肩の肉が、ムッチリと盛り上がってる。
「本当? いいなあ。ぼくも欲しいなあ」
ソウタもうらやましそうだ。
「ふーん。ベホマが入っているのは、一万分の一の確率だそうですね。山川ゴウくんは、これでもう一生分の運を使いはたしましたよ」
そんな変なことをいったのは、田所くんだ。
とうとう我慢しきれなくなって、昼休みにベホマのことをみんなに話したところだった。
たちまちぼくは、クラス中の男の子たちに取り囲まれてしまった。全員がうらやましそうにしている。それもそのはず、ぼくの三十六本なんてのはまだ少ない方で、百本以上持っている子もザラにいるんだ。それでも、ベホマを持っている子は、学校には誰もいなかった。
昼休みのうちに、ベホマの噂は学校中に広がってしまった。ぼくの三年二組の教室には、三年生だけでなく、他の学年の子たちまでがやってきた。
「ゴウちゃん、すごいねえ」とか、「今度、ちょっとだけでも見せてくれよな」とか、口々にいってくる。
ぼくはだんだん自分自身が、ベホマのすごいパワーを身につけたような気がしてきていた。
家に帰ると、ヨッちゃんが、今日はうしろ跳びの練習をしていた。ヨッちゃんたち一年ぼうずは、まだ給食が始まっていないから、昼前には帰っている。まったく、楽ちんなもんだ。
「ただいまあーっ」
玄関にランドセルを置くと、すぐに部屋へ向かった。
「こんちはーっ」
「おじゃましまーす」
ジュンを先頭に、みんなも続いてくる。クラスの子が七人も、さっそくベホマを見にきたんだ。
「ここに入ってるんだ」
「バトえん」入れになってる、机の二番目の引き出しを開けた。
ホイミ、グリアル、モモンガ、……。
むきだしで入れてある普通の「バトえん」をかき分けて、奥からプラスチックの筆箱を取り出した。中には、ネリウスとかキラータイガーといった、強い「バトえん」だけがしまってある。もちろん、あのベホマも。
「あれっ、変だな」
ベホマが筆箱に入ってない。あわてて引き出しの中身を、全部机の上にあけてみた。
「……、33、34、35」
やっぱり一本足りない。
「どうしたんだよ」
五月人形の金太郎のような太い眉毛を寄せて、ジュンが心配そうにのぞきこむ。
「本当に、ベホマだったのですか?」
田所くんが、疑い深そうに聞いた。
「ほんとだってば」
ぼくは、また玄関から外へとび出した。
「ヨッちゃん、ぼくのベホマ、知らない?」
「えっ、知らないよ」
ヨッちゃんはあっさりいったけど、ぼくと目を合わせようとしない。わざとそっぽを向いて、うしろ跳びを続けている。
(ははん。やっぱり、勝手に使ったな)
すぐにピンときた。
「ヨッちゃん、おにいちゃん、怒らないからね。いってごらん。ベホマを使わなかった?」
「優しいおにいちゃん」のふりをして、わざと猫なで声を出してもう一度たずねた。
「あっ、忘れてきた」
急にヨッちゃんが、跳ぶのを止めてうつむいた。
「えっ、どこに?」
ぼくは「優しいおにいちゃん」から、「普通のおにいちゃん」に戻った。
「うん、ケイくんちだ」
「えっ、なんで、ケイんちなんかに、持ってったんだよ」
こんどは、「普通のおにいちゃん」から、「恐いおにいちゃん」になった。
「えっ、見たいっていってたからね。ちょっと見せにいったんだよ」
「馬鹿やろう」
さっきの約束なんか、関係ない。ヨッちゃんの頭を一発思い切りひっぱたくと、すぐに新しい自転車を引っ張りだした。進級祝いにおばあちゃんに買ってもらった奴だ。
「おーい、待てよお」
ジュンたちが、あわてて後を追いかけてくる。チラリと振り返ると、そのうしろから、ヨッちゃんだけは、駆け足跳びをやりながらのんびりついてきていた。まったく、こんな時でも、縄跳びの練習だけは欠かさないんだから。
ピンポーン。
「はーい、どなた?」
すぐに、ケイのおかあさんの声がインターフォンから聞こえた。
「ハアハア、山川、ゴウ、ですけど、ハアハア……」
学校の反対側のケイの家まで、全速力で突っ走ってきたので、まだ息が切れている。それでも、なんとか用件を伝えられた。
「わかった。心当たりを見てみるわ」
ケイのおかあさんが、すぐに捜してくれることになった。
「おーい、一人で先に行くなよお」
「こっちは自転車じゃないんだぞお」
ジュンたちが、ドヤドヤと到着した。
ぼくはそんなみんなを無視して、じっとケイの家のドアをにらんでいた。
ガチャッ。
ようやくドアが開いた。
「ゴウくん、ケイの部屋も、テレビのまわりも捜したけど、その『ベホマ』っていうバトル鉛筆はなかったわよ」
ケイのおかあさんが、すまなさそうにいった。
そのとき、ヨッちゃんが、駆け足跳びをやりながら、のんびり現れた。
「ヨシキッ」
これがヨッちゃんの本名だ。
「ケイんちには、ないってよ」
「ゴウちゃん、落ち着いて、落ち着いて」
ぼくが今にもなぐりかかりそうなので、ジュンとソウタが両腕をつかんでいる。
「そうかあ。途中で、おっことしちゃったかなあ。ポケットに入れて、縄跳びやりながら帰ったからなあ」
ヨッちゃんは、そんなとんでもない事を、ケロリとした顔でいい出した。
ぼくは、あわててまわりの地面を捜し始めた。
「あーあ、どこにいっちゃったんだろう」
鉄棒に足をかけて、逆さまにぶら下がりながら、ジュンがいった。
「誰かに拾われちゃったのかなあ」
隣の鉄棒の上から、ぼくが答えた。
他のみんなも、ブランコやジャングルジムに腰かけている。捜し疲れて、すっかりくたびれてしまっていた。
でも、ヨッちゃんだけは、今度は二重とびに挑戦している。さすがに難しいらしく、なかなか続かない。
あれから、みんなに手伝ってもらって、ぼくとケイの家の間を、徹底的に捜した。ケイの家からぼくの家まで、ヨッちゃんが帰ってきたとおりに歩いてみたのだ。
あきれたことに、ヨッちゃんはとんでもないコースで、ケイの家から戻ってきていた。
学校まではなんとかまっすぐに来たものの、そこから、反対側の「谷津公園」へ向かっている。そこでは、大きな土管の中をくぐったり、目玉焼き型の砂場のまわりをわざわざ一周したり、いろいろな所で遊びまわっていた。
その後も、まっすぐには家に戻らなかった。ショッピングセンターの中を突っ切ったり、わざわざ歩道橋の上に登ったりしている。そんなふうに、さんざん寄り道してから、やっと家のそばの「小栗公園」まで戻ってきていた。
でも、ベホマはどこにも落ちていなかった。
「そうだ。誰かが拾ったんなら、警察に届くかもな」
クルリと宙返りして鉄棒から降りると、ジュンがいった。
「うん、そうだよ。ゴウちゃん、みんなで警察に行ってみようよ」
ソウタも、励ますようにいってくれた。
「だめですよ。だって、大人人にとってはただの鉛筆だから、わざわざ届けるはずないし、子どもがベホマなんか拾ったら、ネコババしちゃうに決まってますよ」
田所くんがそういったので、みんなはまたシュンとしてしまった。
「そうそう、ぼくだって、絶対ネコババしちゃう」
ヨッちゃんまでが、調子に乗ってそんなことをいいだした。
「馬鹿やろ、おまえのせいなんだぞ。馬鹿やろーっ」
とうとう頭にきたぼくは、泣きながらヨッちゃんになぐりかかった。
「うわーん」
力いっぱい頭をなぐられて、ヨッちゃんもぼくより大きな声をあげて泣きだした。
「よせよ、ゴウちゃん」
「やめろってば」
ジュンたちが、あわてて止めに入った。
ぼくの大切なベホマは、こうしてたった一日で、その姿を消してしまった。なんだか本当にあったのか、自分でも昨日のことが、まるで夢のように感じられ始めてきた。
「さあ、あと十五分だよ。今日できあがらなかった人は、宿題にしまーす」
図工の佐久間先生が、みんなの間を歩きまわりながらいった。
「えーっ!」
みんなは不満そうな声をあげている。
先週から始めた画用紙でいろいろな形を作る工作は、最後の仕上げにはいっていた。
ぼくはすでに完成していたので、もう一度自分の作品をじっくりとながめた。
赤く塗った紙と青の紙を、組み合わせて作った大きなロボット。「無敵合体ライジンガー」のつもりだ。
両手を大きく広げていて、今にも「ガオーッ」てほえそうだ。われながら、いい出来上がりになっている。
と、その時、
「わー、変なの」
「よしてよ」
前の席の高橋くんと吉野さんが、いい争いを始めた。高橋くんが吉野さんの作ったアニメのヒーロー、スーパームーンにケチをつけたからだ。
でも、それは無謀というもんだ。スーパームーンならぬ、スーパーダンプというあだなの吉野さんの体重は、やせっぽちの高橋くんの軽く二倍はある。
「うわーっ」
たちまち吉野さんに突き飛ばされた高橋くんが、ぼくの机に勢いよくぶつかってきた。
そのはずみで、ライジンガーが倒れ、机の下に落っこちていく。
(うそーっ!)
落ちたはずみで、ライジンガーの頭がポロリともげてしまった。
「くそーっ、ひどいなあ」
ぼくはライジンガーの体と取れた頭を両手にかかえて、二人に文句をいった。
二時間目の終わりのチャイムがなった。
でも、ライジンガーの頭をくっつける作業は、まだ終わっていなかった。落ちた時にどこかがゆがんでしまったのか、どうしてもうまくくっつかない。
「ベホマ様の呪いかな」
いつのまにうしろに来たのか、ジュンがポツリといった。目を細めてせいいっぱい恐ろしげな顔をしているつもりだろうが、タヌキみたいなまん丸顔なのでちっとも怖くない。
「まさかあ」
ぼくは笑いながら、すぐに答えた。
確かに、ベホマはアニメの「ドラゴン伝説」の中では、誰にでも呪いをかけられるけど、それはお話の中だけのことだ。
でも、おかげでせっかく忘れかけていたベホマのことを、また思い出してしまった。
昨日はあれからも、何度もケイの家との間を往復して捜したけど、とうとうベホマは出てこなかった。念のために、ケイの部屋まで捜させてもらったけど、やっぱりだめだったんだ。
校庭からは、他のクラスの子たちが遊んでいる声が聞こえ始めた。
ぼくは指先に力を込めて、ライジンガーのゆがみを直して、また頭を取り付けようとしていた。
「うわーっ!」
「大変だあ」
いきなり、外から叫び声が聞こえた。
急いで窓から外を見ると、うんていの下に誰かが倒れていて、みんなが取り囲んででる。
青いTシャツにグレーのハーフパンツ。
(まさか?)
ぼくはあわててライジンガーを放り出すと、教室を飛び出した。せっかくくっつきかけた頭が、また取れてしまったけど、そんなことにはかまってられない。ジュンやソウタたちも、すぐに後に続く。
廊下を突っ走り、階段を途中から一気に跳び下りる。ずいぶんと増えた人がきをかき分けて前へ出てみると、うんていの下に倒れていたのは、やっぱりヨッちゃんだった。
「やっぱり、これはベホマの呪いだよ」
昼休みに、ジュンがみんなを校庭の隅に集めていった。
ヨッちゃんは、他の子とふざけていて、うんていの上から落ちたんだそうだ。けがはしなかったけれど、少し頭を打ったようなので、念のために養護の先生と病院へ行っている。
「そうかなあ」
ぼくは、まだ信じられなかった。ヨッちゃんの悪ふざけはいつもの事だし、暴れん坊だからしょっちゅうけがもしている。
ライジンガーの頭が取れたんだって、もちろん偶然だ。あれから、セロテープでギチギチに固めて取り付けてある。
「ほんとは、もっと恐ろしい話もあるんだ」
わざとためらうような様子を見せてから、ジュンが声をひそめて話し出した。
「何、なーに」
みんなが、興味津々って顔で、ジュンを取り囲んだ。
「実は、ベホマをなくしたら、一週間後の同じ時刻に、その人を本物のベホマがさらいに来るんだって」
「うそーっ!」
みんながいっせいに叫んだ。
「ほんとだってよ。おにいちゃんが、昨日いってたんだぜ。初めにさらわれた人は、長崎ってところの、斉藤タカシって子なんだってよ。それから神戸とか大阪でも、ベホマにさらわれた子がいるんだって」
「うわー、恐ろしい!」
ソウタが首をすくめた。他のみんなは、恐ろしいような面白いようなって感じで、ニヤニヤしている。
でも、ぼくにとっては他人ごとじゃない。もしかすると、なくしたヨッちゃんと持ち主のぼく、その両方に「ベホマの呪い」がかけられているのかもしれない。
「馬鹿馬鹿しい。そんなのデマですよ。だってベホマなんて、アニメのキャラですよ。そんな、すぐにお話と現実を、ゴッチャにする人がいるんだから」
いつもながらの田所くんのクールな意見が、そのときばかりはとても頼もしく思えた。
ジュンちゃんの「ベホマの呪い」の話を裏付けるかのように、その後もぼくたち山川ゴウとヨシキ兄弟には、次々と不吉なことが起こった。
ぼくは、絶対受かると思っていたスイミングの進級テストに、あっさりと落ちてしまった。
しかも、その帰りに、ダブルパンチが襲いかかってきた。あの新しい自転車が、クギか何かを踏んだとも思えないのにパンクしていたのだ。
ヨッちゃんは、一日休んだだけで学校へ行くことができた。
でも、ずっと楽しみにしていた初めての給食を食べそこねた。しかも、その日は、カレーとイチゴゼリーという豪華メニューだったのだ。
さらに、ぜったい当たるといいはっていた「小学一年生四月号」の懸賞にも、見事にはずれてしまった。これは「ドラゴンの逆襲」という新作ゲームだったから、かなりがっくりしていた。
今まで、ヨッちゃんは抜群にくじ運が強かった。商店街の福引きや子供会のビンゴ大会などでも、毎回のように一等や二等を当てていたのだ。
だから、今回の落選は相当ショックだったようだ。なにしろ、欠かさずにやってきた縄跳びの練習を、その日だけは休んだほどだった。
これだけ二人にアンラッキーなことが続くと、だんだん「ベホマの呪い」が信じられてくる。
いよいよ一週間の期限まで、あと一日。まだベホマのバトえんは出てこない。
(やっぱり「ベホマの呪い」は、ほんとなのだろうか?)
「ベホマが二人をさらいに来るのは、なくしたときと同じ時刻だろ。だから、その時、ゴウちゃんとヨッちゃんを、みんなで守ればいいわけじゃないか」
一週間目の朝、教室でそういい出したのはジュンだった。
「ベホマの呪い」について、ぼくたちに話しちゃったことに、よっぽど責任を感じているらしい。一緒に捜す時にも、一番熱心にやってくれていた。
「うん、そうだな。みんなで守ればきっとベホマもあきらめるよ」
ソウタがすぐに賛成してくれた。
「まだ、そんなこといっているんですか。ベホマの呪いなんか都市伝説なんですよ」
田所くんは相変わらずそういって馬鹿にしていたけれど、他のみんなは賛成してくれた。
ヨッちゃんが、ケイの家でベホマを見せていたのは一時半ごろだから、なくしたのはそれから家へ戻ってきた二時までの間だ。その時間中、ずっとぼくとヨッちゃんをみんなで守ろうというのが、ジュンの作戦だった。
学校があれば問題はないのだけれど、運悪くPTA総会のために、給食なしで十二時には帰らなければならない。おかあさんも総会に行くから、家には誰もいないだろう。
けっきょくみんなが、一時までに家にやってきて、ぼくたちを守ってくれることになった。
ジュン、ソウタ、コウジ、高橋くん、リョウヘイ、八木くん。ぜんぶで六人だ。
ピンポーン。
まだ十二時三十分だというのに、早くも誰かがやってきた。
特大のダブルバーガーをほおばりながら一番乗りで現れたのは、やっぱりジュンだった。
「これこれ、これさえあればベホマも逃げるよ」
そういって差し出したのは、黒光りするエアガンだった。たしか、おにいさんの奴だ。
「勝手に持ち出して、怒られない?」
ぼくが心配していうと、ジュンは片目をつぶってニヤッと笑ってみせた。
次にやってきたのは、ソウタだった。
ローラーブレード用のヘルメットをかぶり、金属バットをしっかりと握りしめている。「ベホマの呪い」には一番ビビッているけれど、責任感はすごく強い。
そして、一時ピッタリに、なんと来るはずじゃなかった田所くんまでがやってきた。
「まったくもう、ベホマの呪いなんて、デマですよ。でも、科学的に証明しなければなりませんからねえ」
変な理屈をこねながら、照れくさそうに笑っていた。
でも、あとの四人はなかなか来なかった。
「男同士の約束だったのになあ」
ソウタが、残念そうに首をふっている。
「男同士の約束なんて、まったくあてにならないものですよ」
田所くんだけは、いつものように落ち着いている。
「しかたないなあ。三人だけでも、守りに着こうか」
とうとうジュンがそういったので、みんなと家の中に入った。
「ところで、ヨッちゃんはどこにいるんですか?」
田所くんが、あたりをキョロキョロしながらいった。
「あれっ、食堂にいなかった?」
さっきまで、おかあさんが作って置いてくれたサンドイッチを、しつこくいつまでも食べていたはずなのに。
いつのまにかいなくなっている。
ジャジャーン、ジャンジャン……。
いきなり、二階で大きな音楽が鳴り響いた。「ドラゴン伝説」の「ベホマのテーマ」だ。
「しまった、上だあ。ヨッちゃんがあぶない」
ジュンを先頭に、階段に駆け寄った。
階段の手すりからは、マントのような物がぶら下がっている。
(やっぱり、ベホマだ)
「くそーっ、もう現れたのかあ」
ジュンがエアガンを片手に、一歩一歩階段を上がっていく。ソウタもバットを握りしめて続く。ぼくと田所くんもその後へ続いた。
「うわっ!」
いきなり大声で叫びながら、階段の上に現れたのは、……。
ヨッちゃんだった。
首の所で結んでマントの様にしてるのは、よく見るとおかあさんのピアノのカバーだった。
「馬鹿やろう。こんな時までふざけやがって!」
ぼくが飛びかかろうとするのを、田所くんが懸命に押さえている。
「こいつめ、こいつめ」
さすがに他の二人も頭にきたようで、ソウタがうしろからはがいじめにすると、ジュンが「くすぐり殺し」の刑を始めた。
「うはっ、ごめん、ごめん。ははは……」
ヨッちゃんは、ぷっくりしたおなかを丸出しにして笑いころげた。
リリリーン。
とつぜん、下で電話のベルが鳴り出した。
ジュンと顔を見合わせながら、恐る恐る受話器を取ると、リョウヘイからだった。
「わりい。帰ったらメモがあってさ、妹たちの面倒見てろってさ」
そういえば、リョウヘイには、五才、三才、一才と、三人も妹がいる。
「うーん。じゃあ、しょうがないよな」
ぼくが電話を切ろうとすると、そばで耳をつけるようにして話しを聞いていたジュンが、受話器をひったくってどなった。
「おい、リョウヘイ。ゴウちゃんのピンチと、妹なんかの面倒と、どっちが大事なんだよ」
ジュンがリョウヘイをなんとか説得しようとしている時、ようやく高橋くんとコウジと八木くんが一緒になって現れた。
「ベホマが来るまで、暇だろー」
そういって八木くんが差し出したのは、「バトえん」だった。他の二人も、自分のを持ってきている。
「おまえらなあ。いったい何考えてるんだよ」
ジュンが、あきれたような声を出していた。
最後にリョウヘイが来て、ようやく全員がそろった。一番下のユイちゃんをおぶり、真ん中のミナちゃんの手を引いている。
「あっ、マリナちゃんだ」
ヨッちゃんが嬉しそうな声を出した。
一番上の妹のマリナちゃんは、ヨッちゃんのガールフレンドの一人だ。さっそく、手をつないで子供部屋へ連れていって、ブロックで遊ぼうとしている。
「あたしもやるう」
ミナちゃんも駆け寄っていく。
これじゃあ、ベホマに備える要塞というよりは、まるで幼稚園か保育園にでもなったようだ。
「よーし、まず雨戸を閉めよう。時間がないから急ごうぜ」
ジュンの指図に従って、子供部屋と居間の雨戸を閉め始めた。少しでも、ベホマの侵入を防ごうというんだ。
「マリナ。邪魔だから、ミナとユイを連れて、小栗公園で待ってろよ」
リョウヘイがそういうと、
「待って、ぼくも行く」
ヨッちゃんが、先に立って外へ行こうとしてる。
「おいおい、待てよ。何、考えてるんだよ。ヨッちゃんまで外へ行って、どうすんだよ」
ジュンがあきれたようにいった。
「あはっ、そうだった」
ヨッちゃんは、ペロリと舌を出した。
「二階はどうする?」
ソウタがジュンにたずねた。
「うーん、ベホマは空も飛べるからなあ。やっぱり閉めてきてくれ」
ぼくとソウタが二階へ駆け上がろうとした時、
ピンポーン。
いきなり玄関のチャイムが鳴った。
居間の置き時計を見ると、いつのまにか一時三十分を過ぎている。
(ベホマだ!)
みんながギクッとして、動きを止めた。
ピンポーン。
もう一度チャイムが鳴る。
ジュンが、忍び足で食堂の出窓へ近寄っていく。そこからは、門のインターフォンの所をのぞくことができる。
(たっ・きゅ・う・び・ん)
ジュンが口の形だけでいった。
「なーんだ」
ぼくが玄関を出ていこうとすると、ジュンが首をブンブン振って止めた。
「ベホマが、変装してるのかもしれない」
ジュンは、声をひそめて耳元でそうささやいた。
(えーっ!)
急にドアの外に、恐ろしい者が立っているように思えてくる。
みんなも、凍りついたようにシーンとしている。
ピンポーン、ピンポーン、……。
チャイムは催促するかのように鳴り続けていたけれど、誰もドアは開けなかった。
とうとうあきらめたのか、車の発車する音が外から聞こえてきた。
全部の雨戸を閉め切って、ぼくたちはもう一度居間に集まった。
電灯のスイッチを入れたのに、なんだかいつも夜つけたときよりも暗いような気がする。思わず電灯を見上げたけれど、やっぱりきちんとついている。
みんなも黙りこくっていた。こうしていると、なんだか不安が背中から這い上がってくるようで、ぞくぞくしてくる。知らず知らずのうちに、みんなは居間の真ん中に固まってきてしまった。
「よーし、ゴウちゃんたちの部屋へたてこもろう」
ジュンが勇気を振り絞るようにして、みんなにいった。
みんなはわれ先にと、急いでとなりの部屋へうつった。
全員が中に入ると、ジュンが居間との間のふすまをピシッと閉めた。
ぼくやヨッちゃんの椅子に座る者、ベッドに腰かける者。四畳半の狭い部屋に、九人がギチギチ詰めになった。
「みんな、丸くなれえ」
ジュンの命令に従って、みんながぼくとヨッちゃんを取り囲んだ。腕をしっかり組み合って、どこからベホマが襲ってきても大丈夫なように、外側を向いて円陣を作っている。ぼくとヨッちゃんは、その中にしゃがみこんで、しっかりと手をつなぎあった。
「にいちゃん、きっと大丈夫だよ」
緊張しているぼくに、ヨッちゃんの方から声をかけてきた。
時間がゆっくりと過ぎていく。ぼくは、目の前にあるジュンのムチッとしたふくらはぎを見つめていた。時々変なことをいうけれど、いざという時には頼りになる。他のみんなもそうだ。油断せずに、まわりをしっかり見張ってくれている。
こうしてみんなと体をくっつけ合っていると、だんだんぼくには、たとえベホマが襲ってきても、大丈夫なような気がしてきていた。
「たすかったあ」
とうとうジュンが、大声で叫んだ。時計を見ると、いつのまにか二時を十分も過ぎている。
「ほらね。やっぱりデマだったんだよ」
田所くんが、得意そうにいった。
「違うよ。みんなで守ってたから、襲ってこなかったんだよ」
じゅんが、むきになっていい返した。
狭い部屋の中で、みんなが急に動き出したので、あちこちで互いにぶつかりあってしまった。
「うわーっ」
ソウタがコウジに押されてよろけたはずみに、うしろのふすまに激しくぶつかった。
ガターン。
大きな音がしてふすまがはずれ、向こう側へ倒れてしまった。
と、その時、机のうしろに、金色に光るものが……。
「あったあ!」
ぼくとヨッちゃんが、同時に叫んでいた。
なんとベホマが、ふすまとヨッちゃんの机の間に、落っこちていたのだ。
「ふーっ、良かったあ」
ぼくは急いで拾い上げると、しっかりとベホマを握りしめた。
「ほらね。やっぱり家へちゃーんと持ってきてたんだ。あっ、そうか、あの時、敷居につまずいて、『バトえん』をばらまいちゃったんだ」
今ごろになって、ヨッちゃんはそんなことをいってる。
でも、ぼくはもう怒る気にもなれなかった。
「ほんとに、みんなありがと、ありがと」
みんなも、ようやく肩の荷が下りたのか、ホッとした顔をしていた。
ぼくの机の上に置いたベホマを、みんなが取り囲んでいる。ようやく雨戸を開けはなった窓からは、明るい午後の光がいっぱいに差し込んでいた。
「ちょっと、さわらせてくれよ」
ジュンはベホマを手に取ると、じっくりと眺め始めた。ゴールドメッキとグリーンのペイントが、光を受けてキラキラと輝いている。
「俺も………。やっぱりやめとく」
差し出した手を、ソウタが恐ろしそうに引っ込めた。
「大丈夫だよ。もう呪いは解けたんだから」
ジュンがそういって、ベホマを手渡した。
「きれいだなあ」
ソウタは、うっとりとした声を出した。
「おれにも……」
「ちょっと、持たせて」
みんなも、次々にベホマを手に取った。
「ふーん、これがベホマですか」
最後に田所くんが、じっくりとすべての面を眺めてから、元の場所へ戻した。
「ちょっと、振ってみていい?」
ぼくがうなずくと、ジュンは勢いよくベホマをころがした。
コッ、ロ、ロ、ロ、ロ、……。
最後に、ベホマはカタッと止まった。
ヒャダルク、全員に百のダメージ。対戦相手全員を、一発でアウトにしてしまうあの伝説の必殺技だ。
「ウヒャヒャー」
ジュンが、すっとんきょうな叫び声をあげた。みんなもため息をついている。
「やっぱりすげえなあ。これじゃ、呪いの力を持ってても、不思議はないよなあ」
ジュンはそういいながら、ベホマをぼくに差し出した。
「でも、ベホマは、けっきょく現れなかったじゃない」
ぼくはそういってベホマを手に取ると、しっかりと握りしめた。
「そうだよ。『バトえん』でのベホマはすごいけど、やっぱり鉛筆に呪いの力なんかないよ」
ソウタが、自分にいいきかせるようにいった。
「そりゃ、そうだよな」
「ベホマなんて、アニメのキャラだもんな」
みんなも口々にいいだした。
と、その時、田所くんが口をはさんだ。
「でも、よく考えてみると、ベホマは最初からこの部屋にあって、なくなっていなかったんじゃないですか。これじゃ、『ベホマの呪い』が本当かどうかは、まだわかりませんねえ」
田所くんの言葉に、今まで威勢の良かったみんなは、いっぺんにシュンとなってしまった。
(たしかにそうだ。ベホマは、ほんとになくなってたんじゃない。すると、もしかして、ほんとにベホマをなくしたら……)
ギュッとベホマを握っていたぼくの手のひらは、いつのまにかじっとりと汗をかいていた。
と、その時、手の中のベホマの目が、一瞬ギラリと光ったように見えた。
![]() | ベホマののろい |
平野 厚 | |
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