現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

夏の終わりに

2020-03-07 10:27:47 | 作品
夏の終わりに
平野 厚
メーカー情報なし


 今日は、塾の夏期講座の初日だ。これから三週間、日曜日を除いて毎日、ここに通わなくてはならない。夏期講座が終わるとすぐに二学期が始まるので、ぼくの夏はもう終わってしまったようなものだった。
それというのも、来年に迫った私立中学受験のためだ。ぼくは別に私立中学に行きたいわけではなかったが、おかあさんが受験に熱心なのだ。
「公立中学にいったら、後で苦労する」
というのが、おかあさんの口癖だ。私立の中高一貫校がいかに勉強にいい環境で大学受験有利かを、塾の説明会で繰り返しインプットされて洗脳されてしまっているのだ。
「高校受験がないから、クラブ活動をやるのにもいいのよ」
 おかあさんは、ぼくの反対を抑え込むかのように付け加えた。
 ぼくの友だちで私立中学を受験するような奴は、誰もいない。来年みんなと離れ離れになると思うと、心の中がシーンと沈み込むような気分だった。
夏期講座は、午前中が二時限で、午後に一時限の授業がある。朝は九時から始まるので、そんなに早く起きる必要はなかった。もっとも、ぼくの地域では毎朝ラジオ体操があるので、どっちみち早起きしなければならなかったけれど。
ぼくは授業を聞くふりをしながら、ひそかにインターネットの高校野球の中継をスマホで聞いていた。
教壇では、算数の先生が熱心に文章題の説明をしている。なんだか眠くなりそうで、こっそりイヤホンを耳につけている。
 やっと午前中の授業が終わった。
(やれやれ)
と、思ったけれど、午後もまだ授業がある。
昼休みに、ぼくは教室でおかあさんが作ってくれた弁当を食べた。
「栄養満点の愛情弁当よ」
 朝、お弁当を渡す時に、おかあさんは自慢していた

「じゃあ、みんな、気をつけて帰れよ」
「さよならあ」
午後の授業が終わって、ぼくは大きな声で先生にあいさつすると、塾をすぐに飛び出した。
塾までは、ぼくはバスで通っていた。塾の近くのバスの停留所へ、走って行った。
バスを待つ間、帰りの時刻表を暗記する。3時台は7分、23分、39分、51分の四本だ。
こういうことに関するぼくの記憶力は抜群だ。なんでも一発で覚えられる。
でも、どういうわけか、その力は勉強にはあまり発揮されなかった。塾での成績は、志望校合格にぎりぎりのラインだった。
やがてやってきたバスに、ぼくは乗った。バスの中はガラガラだったので、すわることができた。
家の近くのバス停から家までは、また走って帰っていった。
(なんとかぼくの夏休みを取り戻さなくては)
という気持ちでいっぱいだった。
家につくと、手さげかばんを玄関に置いて、そのまま家を出た。すぐに、一緒に遊べる友だちを探しにいった。
近くの公園に行った。夏期講座が始まらない昨日までは、みんなとそこで遊んでいた。ゴムボールを使った草サッカーをやっていた。三角ベースの野球もやった。水風船のぶつけ合いもした。
でも、今日は公園には誰もいなかった。あたりはガランとしている。
公園のそばのタカちゃんの家にいってみる。
インターフォンを押した。
「はい」
 タカちゃんのおかあさんの声がする。
「石川ですけど」
「あら、タカシはやまびこプールへ出かけているのよ」
 やまびこプールというのは、相模川沿いにある町営のプールだ。歩いて行ったら三十分はかかるので、今からではもう遅い。
「そうですか」
しかたがないので、今度はヤスくんの家にいってみた。
でも、ヤスくんも家にいなかった。家族の人もみんな出かけているのか、インターフォンに応答がなかった。(やっぱり、ぼくの夏休みは終わってしまったのか)
ぼくは、すっかりがっかりしてしまった。

 夕飯を食べてから、花火を持ってあの公園に行ってみた。
うれしいことに、いつものようにみんなもやってきた。こんな夜になって、やっとみんなと再会できたのだ。
「よう」
 ぼくが声をかけると、
「やあ」
と、タカちゃん。
「塾はどう?」
と、ヤスくんがたずねた。
「ボチボチでんな」
と、ぼくは答えた。
暗くなった公園で、みんなで花火をやりながらおしゃべりをした。ぼくの夏の名残りが、確かにここにはあった。


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ガンジー

2020-03-07 10:00:00 | 映画
 1982年公開のイギリスとインドの合作映画で、アカデミー賞を、作品賞を初めとして9部門で受賞しています。
 188分という長尺の映画ですが、1890年代に南アフリカで弁護士をやっていた時から、1948年にヒンズー原理主義者に暗殺されるまでの、50年以上に渡るガンジーの長い闘争を描いているので、インド独立史に疎い私には、あらすじ的な印象がありましたし、多数の重要人物(インドの初代の首相のネールやパキスタンの初代の総督であるジンナーなどを含みます)の人間関係もうまく把握できませんでした。
 しかし、生涯を通じての、非暴力、非協力による粘り強い闘争はよく描かれていましたし、13歳(!)から夫婦であった妻への愛情も感動的でした。
 ヒンズー教徒にも、イスラム教徒にも、公平に導いていた(それゆえ暗殺されてしまうのですが)ガンジーを描いていますが、インド映画なので、どうしてもジンナーを初めとしたパキスタン側には不利に描かれている感は拭えません。
 また、イギリス映画でもあるので、大英帝国による弾圧も描かれていますが、実際にはもっと苛烈なものだったことでしょう。
 監督賞を受賞したリチャード・アッテンボローは、日本では「大脱走」でおなじみのイギリスの名優ですが、この作品では製作も自身で行い、30万人ものエキストラを動員してこの大作を実現しました。
 主役の映画初出演のインド系イギリス人のベン・キングズレーは、若い時代から最晩年のガンジーになりきった入魂の演技を見せて、アカデミー主演男優賞を初めとしたその年の賞を総なめしました。
 個人的には、ネール首相が魅力的に描かれているのが嬉しかったです。
 実像は知りませんが、私と同じか、やや上の世代の人たちにとっては、軍部の命令によって餓死させられてゾウがいなかった上野動物園(詳しくは、関連する記事を参照してください)に、1949年にゾウを寄贈してくれた優しいおじさんとしてのイメージを、50年以上たった今でも持ち続けているからです。
 特に、私の場合は、母校の忍ケ丘小学校が上野動物園に一番近い小学校だということもあり、このゾウ、インディラには直接親しんでいましたし、先輩の忍ケ丘国民学校の児童たちは、殺された動物たちの追悼式に参列し、「かわいい動物たちを殺させた憎き鬼畜米英を打倒しよう]というプロパガンダ(実際は、殺す必要はなかったことが、長谷川潮氏の論文「ぞうも かわいそう 猛獣虐殺神話批判」(その記事を参照してください)によって証明されています)に利用されたという因縁もあります。


ガンジー (字幕版)
Richard Attenborough
メーカー情報なし



 
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