現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

闇にひそむものたち

2020-03-03 13:51:45 | 作品
「だれ?」
 ぼくは、おどろいてふりむいた。一瞬、黒い影が横切ったような気がしたのだ。
 でも、うしろにはだれもいない。うすぐらい電灯の光が、トンネルの中のしめった地面をてらしているだけだった。
 急ぎ足でまた歩き出した。
 カツーン。
……。
カツーン。
 大きな音が響いている。
 それが自分の足音だとわかっていても、だれかがうしろからついてくるように思えてしまう。その後も、ぼくは何度もうしろを振り返ってしまった。
そのたびに、黒い影が、チラチラッとぼくの視界のすみをよぎった。
 でも、じっと目をこらしてみても、何もいない。
(近道なんか、するんじゃなかった)
 後悔の気持ちでいっぱいだった。
 そもそも、最終バスに乗り遅れたのが失敗だった。先生に質問していて、つい塾を出るのが遅くなってしまった。

 来年の中学入試に備えて、先月からこの進学教室に通い始めていた。
『公立の学校では、将来の大学受験がたいへん』
『私立の中高一貫校は、こんなに勉強をしている』
 毎日のように、家にはダイレクトメールが送られてきていた。
 それを見ているうちに、おかあさんがすっかり洗脳されてしまったようなのだ。
おかげでぼくは、それまで幼稚園のころから通っていたスイミングスクールと、せっかくレギュラーになったばかりの少年野球チームを、やめなければならなかった。 
(これから、一年間、はたして勉強についていけだろうか?)
 ぼくは、不安な気持ちでいっぱいだった。
 塾へは、いつもバスで通っていた。といっても、家のそばの停留所から、ほんの十分ぐらい乗ればいくことができる。
 いつもは、帰りも、塾のそばの停留所から、バスに乗っていた。
 今までは、一度も最終バスに乗り遅れたことはなかった。
 塾からぼくの家までは、バスどおり沿いに歩くと、三十分以上もかかってしまうだろう。
 でも、近道があった。それが、このトンネルを抜けることだった。そうすれば、半分ぐらいでいくことができた。

 ようやく前方にトンネルの出口が見えてきた。少しホッとした気分だった。
 歩くにつれて、だんだん視界が広がってくる。
やっとトンネルの外に出られた。
そこには、新興住宅地のすばらしい街なみがひろがっているはずだった。
 いろいろな店が立ち並ぶショッピングセンター。こどもたちの笑い声がひびく幼稚園や小学校。ひっきりなしに車が行きかう道路。そして、いろいろなスタイルの新築の家々。
 でも、そんな夢も完成するまでに、はかなく消えてしまった。途中で景気が悪くなって、開発が打ち切りになったからだ。
 かわいそうなのは、早々に家を買ってしまった人たちだ。今でも、あちらに一軒、こちらに二軒と、わずかに家が立っている。歩いていくと、そんな家の明かりが、ポツリポツリと暗闇の中に見えた。あとは、雑草が伸び切った空き地が、あたり一面にひろがっているだけだ。
「開発業者と入居者たちの争いは、裁判まで発展したんだ」
と、とうさんに聞いたことがあった。
「それで、どうなったの?」
 ぼくがたずねると、
「入居者した人たちが少なくて裁判を続けるお金が足りなかったから、最後はわずかな和解金で泣き寝入りになってしまったらしいよ」
って、いっていた。

 日中にこのあたりを通るのは、ぜんぜん問題ない。現に、ぼくも昼間にはここに何度もやって来たことがあった。
 友だちと一緒に、敷地のあちこちで自転車を走らせた。この新興住宅地は明るく開けた場所で、すごく気持ちがいいくらいだった。
あたりは、日中でも誰も歩いていないし、車もめったに通らなかったから、自転車で走りまわるのにはもってこいだ。
ただ、道路のところどころに、タクシーや運送トラックが駐車していた。
(変だな?)
と、思って、近づいてみた。
 運転手たちは、窓を開け放って、昼寝をしたり、まんが雑誌を読んだりしていた。
(休憩時間中なのかな?)
とも思ったが、もしかすると、仕事をさぼっていたのかもしれない。よく日があたっていて、気持ちがよさそうだった。
 ところが、夜になるとこの場所は一変した。
 闇。ただ一面の真っ暗な闇が、あたりにひろがっている。このあたりは、昼間とはまったく別の世界になってしまうのだ。

 しばらくいくと、前方の闇の中に、ボウッと白く浮かび上がっている建物が見えてくる。
 汚水処理場だ。
他の部分の開発に先立って、一応完成はしたものの、使われないまま廃虚になってしまっていた。汚れた外壁には雑草がはいまわり、朽ちかけた屋根は風にふるえている。なぜかつけっぱなしになっている古びた蛍光灯のたよりない光に、ペンキがはがれかかった鉄製の格子の門が照らし出されていた。門には赤くさびた鎖がかけられ、大きな錠前がついている。
 ふと気がつくと、門の前に花束が置かれていた。菊やゆりの花びらが、風にゆれている。
(あっ、そうか!)
 その花束にまつわる噂を、思い出してしまった。
 この住宅地の開発担当者が、失敗の責任を責められて、この汚水処理場で首をつって死んだというのだ。
 花束の前には、何かが置かれていた。よく見ると、大きなおまんじゅうだ。死んだ人への、供え物なのだろうか。もしかすると、命日だったのかもしれない。
(甘い物がすきな人だったんだろうか?)
 富士山のような形に積まれている。一番下が三つ、真ん中の段が二つ、てっぺんに一つ。
全部で六個ある。
 ぼくは花束とおまんじゅうの前を通り過ぎる時に、一段と早足になっていた。

 その時だ。
 ぼくは気がついた。廃虚になった汚水処理場の闇に、何かがひそんでいるのを。それは、さっきトンネルで見たのと同じ黒い影のようなものだった。
(うわーっ!)
 ぼくは、がまんしきれずに全速力で走り出した。あの闇にひそんでいたものが、追っかけてくるような気がしたからだ。
つかまったら、どんなおそろしい目にあわされるだろう。ずたずたに引き裂かれて、殺されてしまうかもしれない。
 浄水場の先で、もう住宅地は終わっている。左右は、うっそうとした雑木林になっていた。その中を、長い下り坂が続いていた。
 ぼくは、けんめいに走りつづけた。坂道は、右に大きくカーブしているので、なかなか先が見通せない。
 ハッハッハッ、……。
 息がきれて苦しくなった時、やっと明るい街中にたどりついた。そこからはバス通りで、商店なんかも続いている。
 ようやく一安心だ。
ぼくは、思い切って後ろをふりかえってみた。
でも、そこには何もいなかった。

 ドキドキと、なかなか動悸がおさまらない。ぼくは、まだ早足で歩いていた。なんだか、まだ黒い影が追ってきているような気がする。
 やっと、我が家にたどりついた。
「ただいま」
 ぼくは、ようやくホッとしながら、玄関に入った。そこは明るく電燈が輝いていた。家の中が、こんなに安心できる所だなんて、今まで思ってもみなかった。
「どうしたの? 汗びっしょりになって」
 何も知らないかあさんが、ふしぎそうな顔をしてぼくをむかえいれた。
「ううん、なんでもない」
 ぼくは、かあさんのそばを素通りすると、自分の部屋へむかった。
「お夜食、できてるわよ」
 その背中にむかって、かあさんが声をかける。塾へ行くときは、軽く夕食を食べていく。
 もちろんそれだけでは足りないから、帰ってからおかあさんと一緒に夜食を食べるのが習慣になっている。
 でも、今日はとても食べる気にはなれなかった。
「うん、後で食べる」
 ぼくは、振り返りもせずに答えた。

 部屋のドアを開けると、中は真っ暗だ。なんだか、さっきの黒い影がひそんでいるようで、ぼくはあわてて部屋の電灯のスイッチをいれた。
 パッと部屋の中は明るくなった。黒い影はどこにもいないようだ。
でも、念のために、勉強机の蛍光灯とベッドの枕もとのライトもつけてみる。部屋の中は、まぶしいくらいに明るくなった。
 ぼくは、窓の雨戸やサッシが、きちんと閉まっているかも確認した。
 ちゃんと鍵がかかっていることを確かめて、ようやくホッとできた。これなら、黒い影もどこからも入ってこられないだろう。
 ぼくは、ベッドの上に腰を下ろしてあたりを見まわした。こうして明るい光に包まれていると、さっきのことがなんだか夢だったようにも思えてきた。
(なーんだ。思いすごしにすぎなかったんだ)
 ぼくは、ベッドの上にねっころがった。
(怖い、怖い)
と、思うから、黒い影が見えたような気がしたのだろう。
 汚水処理場の花束やおまんじゅうは本物だろうけれど、闇にひそむものなんていやしないんだ。
(そうだ。だいいち、あそこを通らなければいいんだ)
 そうすれば、もう怖い思いをしなくてもすむ。なんだかびくびくしていたことが、ばかばかしくさえ思えてきた。

 翌日も、ぼくは塾へいった。受験特訓クラスに入ってからは、毎日毎日、授業がある。月水金が普通の授業で、火木土日が受験特訓クラスだ。
 その日も授業が長びいていた。
(早くしないと、バスに間に合わなくなってしまう)
 ぼくは、イライラしながら先生を見つめていた。
「それでは、今日の授業を終わります」
 ようやく先生が、話を終えた。
 ぼくはあいさつもソコソコに、大急ぎで塾から停留所へかけだしていった。
 
黒い煙をはいて、バスが遠ざかっていく。
(あーあ)
今日もまた、最終バスにのりおくれてしまった。来年の中学受験まで、こんな日々が続くのかもしれない。
(今日は、絶対トンネルには入らないぞ)
 ぼくは、かたく心に誓っていた。たとえ三十分以上かかったって、明るく安全なバス通りを通って帰った方がいい。
 ぼくは、急ぎ足で歩き始めた。

 やがて、住宅地に向かうまがりかどにさしかかった。左に曲がれば、住宅地に抜けるトンネルだ。
トンネルは、黒々と大きな口をひろげていた。
 でも、まっすぐ進めば、明るいバス通りが続いている。かなり遠回りだけれど、安心して帰ることができる道だ。
ぼくは、そのまままっすぐ歩いていこうとした。
(あっ!)
 無意識のうちに、足が左にむかっていく。
(いけない!)
 ぼくは、けんめいにもとの道に戻ろうとした。
 でも、まるで足がいうことを聞かない。どんどん、トンネルの方に向かっていく。
 今度は、ぼくは立ち止まろうとした。
 でも、それもだめだ。
 右、左、右、左、…、…。
 自分の意志とは無関係に、足だけが前へ進んでいく。そして、まるですいこまれるように、ぼくはトンネルの中に入ってしまった。
 なぜだか、さっぱりわからない。また、怖い思いをするのは、わかっているのに。

 トンネル内では、今日も黒い影がぼくをつきまとっていた。
 カツーン。
 ……。
 カツーン。
 ……。
 ぼくの足音だけが、うつろにひびく。
 何度もうしろを振り返りながら、トンネルを歩いていった。
 ぼくはゆっくり、ゆっくりと歩いていた。
(早く歩こう)
 そう思っているのに、足がいうことをきかない。
 ツーと背筋に、冷たいものが走る。そのたびに、ぼくはうしろを振り返ってしまった。
 しかし、黒い影は、ぼくをあざわらうかのように姿を消す。
 トンネルは、永遠に続くかと思うほど長く感じられた。
 ようやく、前方に出口が見えてきた。そこだけが、ぼんやりと少し明るい。
 やっとトンネルを抜けたぼくは、シーンと静まり返った住宅地に出た。上空では、不気味な形をした黒い雲がすごいスピードで動いている。
 幼稚園や小学校の予定地を、一所懸命に歩いていく。なんだか、ここにいるはずだった子どもたちのまぼろしが見えるような気がしていた。
 
やがて、あの汚水処理場の前を通りかかった。
(見てはいけない、見てはいけない)
 そう思いながらも、つい花束の方を見てしまう。
 花束は昨日と同じように置かれている。おまんじゅうは、……。
(あっ!)
 数が減っている。おまんじゅうが、一個だけ減っているのだ。
(確か六個あったはずなのに)
 一番上のだけがなくなっている。
(カラスにでも持っていかれたのか?)
 でも、よく見ると、他のおまんじゅうは、崩されずにきちんと積まれたままだった。とても、野犬やカラスのしわざには思えなかった。
 その時、気がついた。廃虚になった汚水処理場の闇に、今日も何かがひそんでいるのを。
 黒い影。そう。トンネルで見たものたち。
 ぼくは、後ろも見ずにけんめいに走り出そうとした。
 でも、足が思うように動かない。もがけばもがくほど、足が空回りしているみたいだった。
 永遠と思えるほど時間がたったときに、やっと明るいバス通りに出られた。

 次の日も、その次の日も、塾の帰りに、すいよせられるようにしてトンネルをくぐってしまった。足が、ひとりでにトンネルの方へ向かってしまうのだ。
 トンネルの中の黒い影は、だんだん数を増やしている。
 気が遠くなるくらい長い時間をかけて、ようやくトンネルを出る。そして、ひと気のない住宅地を一人で歩いていった。
 やがて、汚水処理場の前にさしかかる。
 いつも見てはいけないと思いつつも、つい数を数えてしまう。
 おまんじゅうは確実に減っていた。
 五個が四個になり、四個が三個に、……。
 毎日、一つずつ減っていく。
 それにつれて、闇にひそむものたちは、しだいに数が増えていくような気がした。
 真っ黒な影がだんだんひろがってくる。
 ぼくはそれに気づくと、いつもがまんできずに走り出そうとした。
 だが、いつも足が空回りして、なかなか前へ進めなかった。 
 ようやく、明るい人通りのあるところまで来て、やっと安心できた。
 十二月の凍えるような冷たい空気の中で、ぼくはいつも汗びっしょりになっていた。

 そして、とうとう七日目がやってきた。
 その日も塾の帰りに、ぼくはフラフラとトンネルにすいこまれていった。
 その中では、もうあからさまに黒い影がぼくの後を追っている。
 ぼくは、ゆっくりゆっくりと歩いていった。
 ようやくトンネルを出て、ひとけのない住宅地に出た。
無人のショッピンセンター。建てられるはずだった小学校や幼稚園の跡地。
遠くにポツンと家の明かりが見える。
 薄ぼんやりと道路を照らしているまばらな街灯。上空では、今日も真っ黒な雲が妖しくうごめいている。
 そして、圧倒的な闇。その闇のあちこちにひそむものたちの、ぼくにたいする悪意が感じられる。
 やがて、前方に汚水処理場が見えてくる。
 ぼくの吐く白い息は、だんだんはげしく荒くなっていた。
 花束の前にさしかかった。
(ない!)
 とうとうまんじゅうが、すべてなくなってしまった。
 汚水処理場の廃墟の闇にひそむものたちは、もうそこにおさまりきれないくらいにふくれあがっている。
 ぼくは走り出したくなるのをこらえて、なんとかその前を通り過ぎた。

 と、その時だ。
 カツーン。
 うしろから足音が聞こえてきた。
 カツーン。
 ……。
 カツーン。
 金しばりにでもあったように、ぼくは足をとめてしまった。
 カツーン。
 ……。
 カツーン。
 ……。
 ぼくの足音が響いているのではない。確かに、何かがうしろからやってくるのだ。
(うしろをふりむきたい)
 でも、それも恐ろしい。
 ぼくは、けんめいにまた歩き出した。
 だが、足がフニャフニャしてしまって、力が入らない。
 
カツーン。
 足音は、確実にぼくの背後に近づいている。
「だれ?」
 とうとう、ぼくはうしろをふりむいた。
 巨大な黒い影が、すぐそばまでせまっていた。もやもやとしていて、かろうじて大きな人の形をしていることがわかる。
 でも、どこが目で、どこが口だかわからない。
 プーンと魚の腐ったようなにおいがただよってきた。
 ギリギリギリ、……。
 牙を鳴らすような音がする。
 あまりの恐怖に、ぼくは悲鳴をあげようとした。
「……」
 でも、のどがしめつけられたような感じで、ぜんぜん声が出ない。
 巨大な黒い影は、みるみるぼくにのしかかってくる。
 そして、身体がすっかりと影におおいつくされたとき、ぼくの意識も暗い闇の中に吸い込まれてしまった。
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