「ヒロちゃん、たいへんだ」
朝、学校へいくと、ブンちゃんがすぐにとんできた。いつも陽気なブンちゃんが、こんなに真剣な顔をしているのはめずらしい。ただでさえ丸いほっぺたが、不服そうにプーッとふくらんでいる。
「なんだい、たいへんって?」
ぼくがランドセルをおろしながら聞き返すと、
「それが、マスクマンが、来月、最終回になっちゃうんだって」
ブンちゃんは、世界の破滅を知らせるかのような深刻な調子で話した。
「えーっ! ほんとかよお」
ぼくも、びっくりして飛び上がった。
マスクマンといえば、三年前、ぼくが一年生のときに、放送が開始されて以来、最高の人気をほこるテレビアニメだ。
ふだんはドジでマヌケだけど、いざという時にはすごい力をはっきするマスクマンは、みんなに圧倒的に支持されている。
毎週日曜日の朝九時三十分からマスクマンを見るのは、ぼくたち小学生の男の子にとっては、かくことのできない習慣になっていた。
「なんで、最終回になっちゃうんだろ?」
横から、かんだかいボーイソプラノで、クリちゃんが口をはさんだ。
ブンちゃんが大声を出したんで、まわりには、クラスの男の子たちが集まってきている。みんなマスクマンの熱心なファンばかりだ。
「マンネリしたからじゃないの」
細谷くんが、訳知り顔で答えた。おかあさんがブティックのオーナーなので、今日も「コムサ・デ・モンド」のジャケットで、ビシッときめている。
「どうしてさ。視聴率だって、まだ高いんだぜ」
ぼくはムッとして、細谷くんをにらみつけてやった。
「ふふん、そんなんじゃないんだよ。マスクマンのキャラクター商品の、売れ行きが落ちてきたからなんだってさ。だから、おかしやおもちゃの会社じゃ、新しいヒーローが必要なんだよ」
細谷くんは、得意そうに説明した。
「ふーん、なるほど」
みんなも、感心したようにうなずいていた。
(キャラクター商品の売上げが落ちたからって、何だっていうんだ)
ぼくはムカムカして、まるで小さな大人のような細谷くんの顔に、一発くらわしてやりたくてたまらなかった。
(マスクマンが終わっちゃうなんて!)
その晩、ぼくはベッドにねころびながら、昼間のことを思いだしていた。
もう最終回をいれても、あとたった三回しか見られない。
真の格闘家をめざしていたマスクマン。愛犬チャッピーとともに、強敵を求めて世界中を武者修行していた。
毎回、いろいろな敵を倒してきた。
中国の怪人、チャイナマスク。アフリカの強豪、マサイファイター。フランスの伊達男、エッフェルマン、……。
そして、永遠のマスクマンのライバル、ロビンキッド。彼とは、数々の名勝負を繰り広げてきた。
地球の破滅をねらうデビルマスクとの長い戦い。デビルマスクが送り込むさまざまな刺客を、死闘のすえ破ってきた。
そして、プリンセスリリーへの恋。何回も、もう少しでうまくいきそうになった。
でも、いいふんいきになると、いつもマスクマンがどじなことをやってだめにしてきてしまった。
一年生のときからずっと使っているぼくの下じき。ショッピングモールの広場で、はじめてマスクマンショーを見たときにもらったものだ。
ぼくは、ランドセルの中からそっと下じき取り出してみた。その時にしてもらったサインは、もうすっかりうすれてしまっている。
去年の子ども会のクリスマス会。かくし芸大会のときに、三年連続でマスクマンのものまねをした。
「まったくヒロキは、ワンパターンなんだから」
って、みんなに笑われてしまった。
そして、今年のぼくの誕生日。マンガのとくいなマユミさんが、色紙に描いてくれたマスクマンの似顔絵。
そのとき、マユミさんの横顔が、
(プリンセスリリーに、似てるな)
って、思ったっけ。マユミさんの描いてくれた似顔絵は、机の前に大事に飾ってある。
この三年間、どんな時も、マスクマンはぼくと一緒にいた。
(ああ、あれは、マスクマンが、デビルマスクと戦った時だな)
(あの時は、マスクマンとロビンマスクが初めてであった時だ)
ひとつひとつの思い出が、みんなマスクマンと結びついて思い出されてくる。
(マスクマンのいない生活なんて、とても考えられない)
でも、もうすぐ終わってしまうんだ。
(なんとしてでも、マスクマンの最後だけは、見届けなくては)
壁にはられた大きなポスターから、マスクマンはいつものように笑顔を送ってくれていた。
「それでは、この通知を家の方に渡してください」
『二学期の授業参観日について』
プリントの一番上に、そう書いてあった。
「ふーん」
興味がないので、ろくに読まずに机の中につっこんだ。
「えーっ!」
最初に叫んだのは、ブンちゃんだった。
「そんなあ!」
「ひどいやあ!」
たちまちクラスの男の子たちのあいだに、悲鳴のような叫び声がおこった。
わけがわからずに、ぼくがキョロキョロしていると、
「ヒロちゃん、参観日の通知を読んでみろよ」
と、ブンちゃんが教えてくれた。
あわてて机の中から、すこしクチャクチャになった通知を出してみた。
「あーっ!」
思わず、ぼくも声をあげてしまった。
そこには、『授業参観日 十月三日(日)』と書かれていたからだ。
そう。その日こそ、マスクマンの最終回の放映日なんだ。
「どうしたんだ、静かにしろ」
教壇から、佐藤先生がどなった。
「先生、授業参観の日はもう決まっちゃったんですか?」
おもいきって席を立つと、先生にたずねてみた。
「そうだよ、書いてあるだろ。十月三日、日曜日って」
「だって、先生。その日は、マスクマンの最終回の日ですよ」
ぼくがそういうと、他の男の子たちもみんなうなずいている。
「えっ?」
先生はなんのことだかわからないようで、しばらくポカンとしていた。
「……、フ、……、フアッハハッハー」
やがて先生は、たいこばらをつきだして、大声でわらいだした。
「何を言い出すのかと思ったら、ばかばかしい。そんなことで、みんなさわいでいたのか。だれかの家にDVDレコーダーかブルーレイレコーダーがあるだろ。そいつに録画してもらって、ダビングしてもらえ」
先生は、またさもおかしそうにわらいだした。
(まったくわかってないなあ)
ぼくは席にこしをおろしながら、そう思った。
もちろんぼくだって、最終回はブルーレイにとって、永久保存版にするつもりだった。そのためのディスクだって、もう用意してある。
でも、放映されたその時に見なきゃ、ぜんぜん意味がないのだ。
十月三日、午前十時。
それが、ぼくたちが、マスクマンとサヨナラするときなんだ。これを見のがしたら、ファンだなんていえやしない。
(くそーっ、よりによって、最終回の日が、授業参観日だなんて)
ぼくは、くやしくってたまらなかった。
(先生たちが子どものときには、アニメってなかったのかなあ)
ぼくは、授業をはじめた佐藤先生をながめながら、そんなことをかんがえていた。
(いや、待てよ。そんなことはない)
いつか佐藤先生は、ゆでたまごの「キン肉マン」について話してくれたことがあったのだ。そのとき、子どものころにキン肉マンがどんなに人気があったか、先生は目をキラキラさせながら熱心にしゃべっていた。
ぼくは、
(キン肉マンって、ちょうどぼくたちにとってのマスクマンのようなものなんだな)
って、思ってその話を聞いていた。
(佐藤先生は、そのころの自分の気もちを、もう忘れてしまったのだろうか)
最終回までの二回の放送で、マスクマンのストーリーは、バタバタとかたづいていった。
ついに宿敵デビルマスクをたおし、世界の平和は守られた。
世界マスクチャンピオンの座は、親友のロビンキッドにゆずられることになった。
あこがれのプリンセスリリーには、ふられつづけたままでおわるようだ。
そして、さいごにして最大のなぞが残った。
それは、マスクマンのすがおだ。予告編によると、どうやら最終回であきらかになるようだった。
マスクマンのすがお。これについては、いろいろな説がある。
アイドルなみのイケメン説。これはやっぱり少ない。マスクマンのひょうきんな性格には、ハンサムな顔はあまりにあわない。
ギャグまんが風のおもしろい顔。この説を支持する友だちは多いけれど、それではあたりまえすぎておもしろくない。
そのほか、「子どものころに悪人にさらわれて、ふためと見られない顔にされた」とか、「マスクの下もマスク、その下も、そのまた下もマスクで、ラッキョウみたいになっている」とか、「実は、マスクマンは女で、体だけが男に作りかえられた」とか、さまざまなうわさ、おくそく、デマなどが流れている。
そのマスクマンのすがおが、最終回のラストシーンであきらかになるというのだ。
(あーあ、せめてラストシーンだけでも、見られないかなあ)
ぼくは、思わずためいきをついた。
マスクマンの最終回、そして、授業参観日がいよいよ明日にせまった。
「ヒロちゃーん、電話よお」
トイレに入っていたら、おかあさんがよぶ声がする。
「ここだよ」
ドアをちょっとだけあけてこたえた。
「あら、まだ入っていたの。長いわねえ」
おかあさんが、あきれたような声を出した。
我が家では、ぼくのトイレは長いので有名だ。ぼくは、この狭いところで漫画や本を読んだりして、ゆっくりするのが好きだった。
「井上くんからよ」
おかあさんは、すきまから子機をわたしながらいった。井上くんというのは、ブンちゃんのことだ。
「もしもし」
「ヒロちゃん、もう絶望だ」
いきなり、ブンちゃんの泣き声がきこえてきた。
「どうしたんだい?」
「もうマスクマンが見られない」
「………」
「ママにばれちゃったんだ」
ブンちゃんの声は、悲鳴のようにかんだかくなっていた。
とぎれとぎれにいう、ブンちゃんの話をまとめるとこうだ。
どうしても最終回を見たかったブンちゃんは、仮病をつかって授業参観日を休む決心をしていたようだ。そのために、二、三日前から、コンコンとセキのまねをしたり、「あーあ、なんだか熱があるみたい」と、つぶやいたりしていたらしい。
でも、さっきブンちゃんのママに、ズバリいわれてしまったのだ。
「文彦(これがブンちゃんの本当のなまえだ)。仮病をつかって、マスクマンを見ようったって、だめだからね。明日は、絶対に学校へ行かせるよ」
(ブンちゃん、そこまで思いつめていたのか)
でも、それも無理はない。ブンちゃんのニックネームは、「マスクマン博士」。ぼく以上に、マスクマンに夢中なのだ。
なにしろ、マスクマンの今までの放送を、すべてブルーレイにとって保存していて、「マスクマンがバッファローマスクにけがをさせられたのは第47回」だとか、「ロビンキッドがマスクマンと仲間になったのは第63回」だとか、めったやたらと記憶している。
ぼくたちは、ときどきブンちゃんの家で、「マスクマン一挙上映大会」をやって、盛り上がっていた。
すっかり泣き声になっているブンちゃんをなぐさめながら、ぼくは頭のかたすみで別のことを考えていた。
(そうか、仮病という手があったか?)
ぼくはよくおかあさんに、「ヒロキは元気だけがとりえね」と、いわれている。
なにしろぼくは、入学以来、一度も学校を休んだことがないほどなのだ。だから、仮病をつかって休むなんて、ぜんぜん思いつかなかった。
でも、かえってそんなぼくだったら、この手は使えるかもしれない。
(いかん、いかん)
ぼくはだれも見ていないのに、あわててひとりで首をふった。こんなに悲しんでいるブンちゃんを裏切って、ひとりだけでマスクマンの最終回を見るわけにはいかない。それに、他の友だちだって。
そのとき、ぼくは体の中に、ムクムクとファイトがもりあがってくるのを感じた。
(よーし、絶対に、マスクマンの最終回を、みんなで見てやるぞ)
『マスクマン最終回対策本部』
黒のマジックでそう大きく書かれた紙が、ドアにはってある。
ドアをあけると、そこは、……。
マスクマン一色の世界だった。
壁という壁には、マスクマンのポスターやペナント、ステッカーなどがびっしりとはられていた。
部屋のすみには、マスクマン人形、変身セット、ぬいぐるみなどがずらりとならんでいる。
そして、机の上にも、マスクマンけしゴム、下じき、クリップ、ふでばこ、ものさし、…。
マスクマンのキャラクターがついているものが、ごっそりとのっていた。
そう、マスクマン博士こと、ブンちゃんの部屋は、マスクマンのキャラクター商品にうずまっていたのだ。
ぼくは、あのあとトイレから、クラスの男の子たちに電話をかけまくって、みんなをブンちゃんの家に集めていた。
なんにでも名前をつけたがるブンちゃんいわく、『マスクマン最終回対策本部』。
たしかに、この部屋ほどそれにふさわしい場所を、ぼくは他に知らない。
あつまったメンバーは、クラスでも熱心なマスクマンファンばかり。
まずは、部屋の主のブンちゃん。学級委員で、クラスで一番でかいリョウくん。キャンキャンと、声のかんだかいクリちゃん。いつも物静かな加瀬くん。女の子みたいにかわいい顔をしているユウたん。それに、どういうわけか、細谷くんまでがきていた。「マキハウス」の、ピンクときいろと赤のはでなトレーナーをきて、すわっている。
でも、細谷くんに電話したおぼえは、ぼくにはない。
(へんだなあ。だれが連絡したんだろう。でも、まあいいか)
「これでも、飲んでよ」
ブンちゃんが、2リットル入りのペットボトルのコーラと人数分の紙コップをもってきてくれた。
「おい、つぐぞ」
「押すなよ、こぼれるぞ」
「ほーら、こぼれた」
「ブンちゃん、ティッシュ、ティッシュ」
ぼくたちは、それを飲んだりこぼしたりしながら、さっそく作戦を考えはじめた。
「こんなの簡単、簡単」
そういって、最初に提案したのはリョウくんだ。クラスでいちばん背が高く、まだ四年生だというのに、鼻の下にはうっすらひげまではやしている。いったい何を食べれば、こんなにでっかくなれるんだ。
リョウくんの作戦というのはこうだ。
一時間目が終わったら、だれかが仮病を使って、佐藤先生を保健室へ連れ出す。そのすきに、みんなで学校から逃げ出そうというのだ。
どうせ後で大目玉をくうだろうけれど、
「みんなでおこられりゃ、こわくない」
ってのが、リョウくんの意見だった。
「うーん、『マスクマン大脱走作戦』だな」
ブンちゃんが、すぐに作戦の名前を考えた。
「でも、うまく逃げ出せるかなあ」
クリちゃんが、首をひねってる。
「うん。おとうさんやおかあさんたちが、もう学校に来てるころだよ」
ぼくにも、この作戦がうまくいくようには思えなかった。授業参観は二時間目からだけど、もう校門のあたりや廊下は、おとうさんやおかあさんたちで、ごったがえしているだろう。とても、そのあいだをすりぬけて、学校から逃げ出せそうにはない。
「それに、最初に仮病を使うのは、だれがやるんだよ?」
細谷くんがそう言うと、みんなが隣の子を見ながら、もじもじしだした。
たしかに、『マスクマン大脱走作戦』がうまくいったとしても、その子だけは、マスクマンの最終回を見られない。ただおこられるだけの、損な役目だ。
「おれ、やだよ」
「おれだって」
みんなが口々に言っている。
「いいだしたのは、リョウくんだろ。だったら、リョウくんがやるべきだよ」
すかさず細谷くんが言った。
「なんだとお」
細谷くんになぐりかりそうになったリョウくんを、なんとかみんなで押しとどめた。
「いい考えがある」
次に提案したのは、放送委員のクリちゃんだった。ただでさえかんだかい声が、興奮のせいか、完全にキンキン声になっている。
「ヨーレリホー」
すかさずリョウくんが、裏声をまねてからかった。
「放送室にテレビがあるだろ。あれと全校放送用のマイクを、つないじゃえばいいんだよ。そうすりゃ、画面はだめでも、音だけならOK。前にもやったことあるよ」
「グッドアイデア。『マスクマン放送室ジャック大作戦』と呼ぼう」
ブンちゃんが、また名前をつけた。
「ふふん。そんなの、すぐに先生にとめられちゃうよ」
細谷くんが、馬鹿にしたように口をはさんだ。
「だから、放送室にだれかがたてこもってさ」
「だれかって、だれだよ」
「………」
また、みんなはおたがいの顔を見まわしているだけで、自分から名乗り出ようとするものはいなかった。どうやら、この中には、みんなのために自分を犠牲にするような、りっぱな人はいないようだ。
「あーあ、休み時間に学校から抜け出せればなあ。少しだけなら、走っていって見てこられるのに」
今までだまっていた加瀬くんが、ポツリといった。
「なんで?」
ぼくがたずねると、加瀬くんはあっさりと答えた。
「だって、ぼくんち、学校のとなりだよ」
(そうかあ)
忘れていたけれど、加瀬くんのうちは、学校の東側にある二階だての新しい家だった。校庭に面して、大きなベランダがある。
と、その時、ぼくの頭の中に、すごいアイデアがうかんだ。
「みんな、いい考えがある。加瀬くんの家のベランダにテレビを出して、マスクマンをうつしてもらうんだ。それを見ればいい」
「すげえ。『マスクマン中継大作戦』かあ」
またまた、ブンちゃんが名前をつけた。
「でも、教室から見えるかなあ?」
クリちゃんが、首をひねりながらいった。
「そりゃ無理だよ。でも、二時間目の休み時間があるだろ。その時、校庭に出て加瀬くんちのそばまで行けば、ぜったい見えるよ」
「うん、そりゃそうだな」
リョウくんも、めずらしく感心したようにうなずいている。
二時間目は九時四十五分におわる。それから十五分間が休み時間だ。それなら、「マスクマン」の後半からは見られることになる。
「九時四十六分ごろから、後半がはじまるんだよ」
マスクマン博士のブンちゃんは、さすがにくわしい。
「やったあ。それならラストシーンは見られるじゃないか」
リョウくんは、立ち上がってガッツポーズをしてみせた。
「そうそう。マスクマンのすがおが、ばっちり見れるよ」
クリちゃんも、うれしそうなキンキン声を出している。
「よーし、たとえ雨がふっても、ぜったいに見にいくぞ」
ぼくは、はりきって大声で叫んだ。
「待ってよ、待ってよ。だれがベランダでテレビをうつすの? おとうさんもおかあさんも、学校へ来ちゃってるんだよ」
あわてて加瀬くんが、口をはさんだ。
「はははっ、やっぱりだめか」
細谷くんが、なんだかうれしそうに言った。
「えーっ、だれもうちにいないの?」
細谷くんを無視して、ぼくは加瀬くんにたずねた。
「中三のアニキがいるけど、いつも日曜は昼ごろまで寝ているし、………」
なぜか、加瀬くんは口ごもっている。
「だいじょうぶだよ。おにいさんの方がかえっていいんだよ。頼めば、きっと手伝ってくれるよ」
ぼくがはげますように言ったのに、
「ダメダメ。すげー、いじわるな奴なんだ」
加瀬くんはそう言うと、顔をしかめた。いつも兄弟げんかで、よっぽど痛めつけられてるらしい。
「そこんとこ、なんとか頼めないかなあ」
ぼくは、ねばって言った。
加瀬くんはまだ首を振っていたけど、ぼくたちはおにいさんに頼みにいくことにした。
トントン。
ドアをノックしても、中からは返事がない。
トントン。
またノックしてみた。
「ダメダメ、そんなやさしいやり方じゃ。きっと昼寝でもしてるんだよ」
加瀬くんはそう言うと、フーッとひとつ大きく息を吸い込んだ。
「起きろーーっ。ショウやろーーっ」
いきなりすごい声でどなり始めた。
ドンドン、ガンガン。
家がこわれるんじゃないかと思うぐらいのいきおいで、ドアをたたいている。
「起きろーーっ!」
たしかに、おかあさんたちが留守で、家には他に誰もいない。
でも、これじゃあ、外からだって聞こえるかもしれないほどの大声だった。
いつもはおとなしい加瀬くんからは、とても想像できないようなどなり方だ。
ぼくたちは感心して、真っ赤になってどなっている加瀬くんの横顔を見つめていた。
それでも、部屋の中からはまったく反応がなかった。
「いないんじゃないのか?」
五分ぐらいして、リョウくんがそう言いかけた時だった。
ガチャリ。
ようやくドアの鍵を開ける音がした。
中から顔を出したのは、冬眠中を起されたクマ。
じゃなかった。加瀬くんのおにいさんだった。
ボサボサの髪の毛に、薄汚いぶしょうひげ。 目はまだ半分閉じたままだ。
「うっせえなあ。チビスケ」
すごくふきげんそうに、加瀬くんをにらみつけた。
「ショウちゃん、頼みがあるんだ」
驚いたことに、加瀬くんはさっきとはうってかわってていねいな口調だ。もしかすると、おにいさんの復讐を恐れているのかもしれない。
「なんだよ、チビスケ、…」
その時になって、おにいさんは、ぼくたちが一緒にいることにようやく気がついた。
「入れよ」
おにいさんはそう言って、ドアを大きく開いた。
おにいさんの部屋は、南と西に窓のある、四畳半ぐらいの明るい部屋だった。ベッド、勉強机、本棚などが、所狭しとならんでいる。
でも、うまいことには、南側の窓から例のベランダへ出られるようだ。
(うん、テレビはここから出せばいいな)
ぼくは、窓からベランダの様子をうかがった。
おにいさんは椅子に腰をおろすと、みんなの方にあごをしゃくった。
「まあ、かけろよ」
ぼくたち七人のうち五人は、ベッドにぎゅうぎゅう詰めにならんでこしかけた。すわりきれなかったユウたんと加瀬くんは、床に直接こしをおろしている。ただでさえ狭い部屋に大勢入ったものだから、満員電車の中みたいになってしまった。
「それで、おれに頼みって、なんだい?」
おにいさんは、ようやく完全に目がさましたようだ。
でも、まだふきげんそうな顔をしている。
「おにいさん、マスクマンって、知ってるでしょ」
ぼくが、みんなを代表して話し出した。
十月三日が、マスクマンの最終回だということ。
その日に、運悪く授業参観があること。
でも、どうしてもみんなで見たいこと。
そして、二階のベランダからの、『マスクマン中継大作戦』について。
ぼくはベッドから立ちあがって、身ぶり手ぶりをしながら、つばきをとばすようないきおいで、一気にしゃべりまくった。他のみんなも、ぼくを助けるように、一緒にうなずいている。
「………、フフ、フワッハッハッ」
はじめはまじめそうに聞いていたおにいさんが、突然笑い出した。
「なんだよ、大げさだなあ。録画して後で見ればいいじゃないか」
おにいさんは、あきれたようにみんなを見まわした。
(だめだ、おにいさんも佐藤先生と一緒だ。いったい男の子はいくつぐらいになったら、こんなにわからずやになってしまうのだろう)
ぼくはがっかりして、またベッドにこしをおろした。
と、そのとき、机の横に、大事そうにかざられている古い人形が、目にとびこんできた。そして、それと同時に、さっき加瀬くんがおにいさんのことをショウって言っていたことを思い出した。
(ショウ、加瀬ショウ。そうかあ!)
ぼくはパッとまた立ちあがると、おにいさんの前に顔をつき出した。
「な、なんだよ」
おにいさんは、ビクッとして少しうしろに体をひいた。
ぼくは両手でゆっくりと、前がみをうしろへかきあげていった。そこには、ひろいひろーいぼくのおでこが。
「えっ?」
キョトンとしていたおにいさんの顔が、ゆっくりと笑顔に変わっていく。
「なんだあ、おまえ。『デコヒロオくん』だったのか」
(やっぱり、覚えてた)
ぼくが幼稚園のころ、近所の公園で、いつも遊んでくれたおにいさんたちがいた。そのころはとってもとっても大きく感じられたけど、今のぼくたちとちょうど同じ四年生だった。中でも、おでこが広いのと名まえのヒロキをひっかけて、ぼくのことを『デコヒロオくん』ってよんで、かわいがってくれたのがショウくんだった。
ぼくは、だまって机の横の人形を手にとった。まっかなコスチュームに、必殺のブレインソードを手にしている。
レッドレンジャー。
ぼくは小さかったからよく覚えていないけれど、あのころ、一番人気があったヒーローだ。ちょうど今のマスクマンのように。
ショウくんが、『デコヒロオくん』こと、ぼくと遊んでくれた時も、いつもレッドレンジャーごっこだった。
「わかった、わかったよ。でも、準備はおまえらでやれよ」
とうとうおにいさんは、少してれくさそうにそう言ってくれた。
「ふーっ」
みんなはためいきをついた。
居間にあった40インチの大型液晶テレビは、大きすぎてとてもベランダまで運べそうにない。
「それに、今から運び上げたんじゃ、おかあさんたちが帰ってきたらばれちゃうよ」
加瀬くんがいった。
「それもそうだな。加瀬くんちに他にテレビはないの?」
ぼくは、他の部屋をキョロキョロさがしながらいった。
「うん、勉強のじゃまになるって、一台だけしか使ってないんだ。でも、物置に、昔使ってたっていう古いブラウン管のならあるはずだけど」
ぼくたちは、ドヤドヤと玄関に向かった。
外に出ると、ものおきはカーポートの向こう側にある。
ギギギッ。
さびついた扉を、力持ちのリョウくんがなんとか開けた。
(うわーっ)
物置の中は、いろいろなものがつまっていた。
廃品回収に出される古新聞紙やダンボール、使わなくなった三輪車やバギー、…。
ぼくたちは、入り口近くにあるものをどかして、物置の中をさがしていった。
(あった!)
テレビは、古いゴルフバッグやバーベキューセットなんかと一緒に、一番奥に置かれていた。
加瀬くんが生まれる前に使われていたという、29インチのブラウン管テレビは、さすがに古ぼけていた。
でも、きちんとビニール袋にくるまれていたおかげで、すこしもほこりをかぶっていない。
ブラウン管テレビは重かったけれど、なんとか七人がかりで、おにいさんの部屋まで運び上げた。こんなときには、力持ちのリョウくんがいたので助かった。
どこかへ出かけてしまったのか、おにいさんはいつのまにかいなくなっている。
「端子、端子と」
さっそく、窓際にあったテレビの端子に、ケーブルをつないでスイッチを入れた。
七人がのぞきこむ。
ザザザー。
雑音と、たくさんのななめの線がうつっただけだ。
「あれっ?」
あわてて他のチャンネルに変えてみた。
でも、やっぱり同じだ。
「ちぇっ、ぶっこわれてるのかな」
リョウくんが言った。加瀬くんが、さっきのドアと同じように、テレビをガンガンたたきはじめた。
「まって」
そう言って、みんなをとめたのは、ユウたんだった。すごくおとなしい子で、『マスクマン対策本部』でも、今までいるのかいないのか、わからないぐらいだった。
「このテレビ、きっとアナログしかうつらないんだよ」
「アナログ?」
「うん。テレビ放送は今はディジタルだけど、昔はアナログだったんだ」
「さすがあ。電器屋の息子ーっ!」
リョウくんがからかうように言うと、ユウたんの顔がレッドレンジャーみたいに真っ赤になった。たしかにユウたんの家は、「技術と信頼の店」、鈴木電器店だ。
「それじゃ、このテレビじゃ、だめなのかあ」
ぼくががっかりしてそういうと、
「大丈夫だよ。アナデジ変換用のチューナーがあればいいんだ」
ユウたんは自信たっぷりにいった。
「そんなの、どこにあるんだよ」
「うちにいっぱいころがっているよ。昔、ディジタル放送がスタートするときにたくさん仕入れすぎて売れ残っちゃったんだって。すぐに、取ってくるよ」
ユウたんはそう言うと、小走りに部屋を出て行った。
「これでOK」
ユウたんは壁のテレビ端子とブラウン管テレビの間にアナデジ変換用のチューナーをつないだ。
そして、アナデジ変換用のチューナーとテレビの電源を入れた。
みんなは期待してのぞきこんだ。
でも、やっぱり映像はうつらなかった。
その代わりに、『接続が悪い』とか『電波が弱い』という表示が出た。
「やっぱり、だめかあ」
細谷くんが、なぜかうれしそうにいった。
「チェックしてみるよ。加瀬くん、プラスのドライバーかして」
ユウたんは細谷くんを無視すると、壁のテレビ端子からケーブルをはずして、なれた手つきでコネクタをはずして、中をチェックしはじめた。
「ケーブルはだいじょうぶみたい」
ユウたんはもとどおりにコネクタをとりつけると、照れたように、そして、少し誇らしげに言った。
今度は、ケーブルをアナデジ変換用チューナーにだけつないで、反対側を窓の方向に向けた。
「あっ、うつった」
テレビに一瞬、かすかに絵がうかんだ。
でも、すぐに消えて電波が弱いことを示す表示に変わった。ユウたんがケーブルのむきをかえるたびに、かすかにうつったり、もとの表示に戻ったりしている。
「テレビもOKみたい」
「へーっ。なんで、つないでないのにうつるの?」
ぼくは、すっかり感心してたずねた。
「電波は、どこにでも飛んでるんだよ。でも、それじゃ弱すぎるわけ。それを屋根の上のアンテナでキャッチして、増幅、えーっと、強くしてるってわけ」
ユウたんが、みんなにもわかるように説明してくれた。
「うえーっ。おれたちのまわりにも、電波が飛んでるのかあ」
リョウくんが、気味わるそうに大きな体をすくめた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。すっごく弱いから、体には影響ないんだよ」
ユウたんが、少しじまんそうに言った。
「加瀬くん。きみんち、屋根裏部屋ってある?」
ユウたんがたずねた。
「うん、あるよ」
加瀬くんはみんなをつれて部屋の外へ出ると、ろうかの天井を指差した。そこには、アルミの枠で囲われた、長方形のふたのような物がついてる。加瀬くんは、先にT字型の金具がついた棒をもってくると、天井のふたの取っ手に引っかけて、グルッとまわしてからひっぱった。
「おっ!」
おもわず、みんなから声がでた。そこから、スルスルと、おりたたみのはしごがおりてきたからだ。
「忍者屋敷みたい」
ブンちゃんが、うしろでうれしそうに言っている。
加瀬くんは屋根裏部屋のあかりをつけると、先頭にたってはしごをのぼりはじめた。ユウたん、リョウくんにつづいて、みんながのぼっていく。
「ぼくは、ここでまってる」
細谷くんだけは、はしごの下のままだ。どうやら、自慢のトレーナーが、ほこりで汚れるのが嫌らしい。
ユウたんは屋根裏部屋にあがると、しばらくキョロキョロしていた。そこには、ふとんの大きなつつみや、ホットカーペットの箱、それに加瀬くんたちが小さいころに使っていたベビーチェアやチャイルドシートなんかが、所狭しとおかれている。
「ここかな?」
ユウたんは、はしごをのぼった正面のかべの前につまれた箱を、かたづけだした。
「やっぱり、あった」
そこには、人ひとりがかがめばとおりぬけられるぐらいの大きさに、ベニヤ板のかべが切りとってあった。
でも、切りとられた板は、そのままたくさんのネジで、しっかりととめてある。
「加瀬くん。プラスとマイナスのドライバー。それに懐中電灯持ってきて」
ユウたんが、おちついた声で言った。
十六個もついていたネジをぜんぶはずすと、ユウたんはゆっくりとふたをはずしていく。何かが飛び出してきそうで、みんなはジーッと穴を見つめていた。
「わっ!」
とつぜんうしろから、大声を出した奴がいた。リョウくんだ。
「うわあーっ、ビビったーっ」
ブンちゃんが、ふるえながら言っている。
ユウたんは、身体を穴の中に半分つっこんで、懐中電灯をつけた。みんなもうしろからのぞきこむ。
丸い光の輪にてらされた天井裏は、意外なほどきれいだった。直角に交差した太い柱やはりは、白くピカピカしているし、かべのうらにはられた断熱材も、新品そのものに見える。いちばん太い柱には、神主さんがもつ白いおはらいのようなものが、しばりつけてあった。二階の各部屋の天井には、あちこちにすきまがあって下から光がもれてくるので、意外にもまっくらではなかった。
「さすが、新築の家はちがうなあ」
リョウくんが、感心したようにいった。
「あったあ!」
いきなりユウたんが叫んだ。懐中電灯に照らし出されて、奥の方に銀色のボックスが光っている。
ユウたんは穴から中へ入り込むと、はりを伝わってボックスの方へ行こうとした。
「あーっ!」
外からのぞきこむみんなが、おもわず大声をあげた。
ユウたんが足をすべらせて、おっこちそうになったのだ。両手両足ではりにぶらさがって、「ブタのマルヤキ」みたいになっている。手をはなしたら、天井をつきやぶって、下へ落ちてしまうかもしれない。
「しっかり、つかまってろよぉ」
リョウくんがすばやく中に入って、ユウたんを助けにいった。
ユウたんのトレーナーを片手だけでつかんで、はりの上にひっぱりあげた。やっぱりすごい力もちだ。
「ユウたん、気をつけろよ」
うしろから声をかけたぼくにVサインを出して、ユウたんは、こんどはハイハイしながら、銀色のボックスへ近づいていった。
「やっぱり」
ユウたんは、こちらへむかってケーブルのようなものをさしあげている。
「アンテナからの分配器に、同軸ケーブルがつながってないんじゃ、うつるはずないよ」
ここぞとばかりに、むずかしいことばをポンポンいいながら、ユウたんはなれた手つきで、ケーブルを銀色のボックスに取りつけている。
「おーい、うつるかどうか、見てくれーっ」
「うつってるよお」
下の部屋で待機していたクリちゃんが、うれしそうなボーイソプラノで答えた。
「分配されて電波が弱くなってるかもしれないから、全部のチャンネルをチェックしてくれ」
ふしぎなもので、いつもはクラスでもまったく目立たないユウたんが、いつのまにかりっぱな電気の専門家に見えていた。
いよいよ日曜日、マスクマンとさよならする日がきた。
ぼくは朝おきると、まっさきに部屋のカーテンをあけて、空を見た。いい天気だ。十月の空は、まっさおにはれあがっている。
昨日、みんなで最後にひとつずつ作った、七人のマスクマンてるてるぼうずが、今ごろ加瀬くんちのベランダで、得意そうな顔をしてぶらさがっていることだろう。
これなら、『マスクマン中継大作戦』はうまくいきそうだ。いや、明るすぎたときに備えて、画用紙を切り抜いてテレビの画面のまわりにはりつけておいた特製サンバイザーが、力をはっきしそうなくらいだった。
ぼくは、いつものように朝ごはんを超特急でかっこむと、はりきって登校班の集合場所へいそいだ。
「おはよう」
「おい、ヒロキ。休み時間に、マスクマンのテレビが見られるんだって」
先にきていた班長の斉藤さんが、ぼくの顔を見るといきなり言った。
「えっ!」
ぼくは、すっかりびっくりしてしまった。
(だれがしゃべってしまったんだろう)
先生たちにじゃまされると困るから、休み時間になるまでは、他の人たちには言わない約束だったのに。
斎藤さんだけではない。登校班の人たちは、みんな知ってるようなのだ。
学校へつくと、『マスクマン中継大作戦』のうわさは、学校中にひろまっていることがわかった。
「だれがしゃべったんだい?」
『マスクマン最終回対策本部』のメンバーを集めて、ぼくはたずねた。
「となりのクラスの吉川くんには言ったけど、ぜったいに他にはしゃべらないって、約束させたんだぜ」
まっさきにいばっていったのは、リョウくんだ。
「えーっと、近所のケンちゃんと清水くんには、言っちゃった」
クリちゃんも、いつもと違う小さな低い声でいった。
つづいて、加瀬くんも、ユウたんも、そしてブンちゃんまでが、
「……くんだけだよ」とか、「絶対いわないって、男の約束をしたんだよ」とか、口々にいいだした。
「ふふん。男の約束ってのが、あてにならないんだよなあ」
細谷くんが、馬鹿にしたようにいった。
「なら、おまえはだれにもしゃべらなかったのかよ」
リョウくんが、細谷くんにくってかかった。
「ぼく? もちろんだれにも言わないよ」
細谷くんはそういばっていったけれど、つづけて小さな声でつけくわえた。
「うちのおにいちゃんは、のぞいてね」
「ばかやろー。おまえのアニキだって、うちの学校の六年じゃねえか。それなら、おれたちとおんなじだろ」
そういってリョウくんは、プロレスのヘッドロックという技で、細谷くんをしめあげはじめた。
なんのことはない。ぼく以外は、みんながだれかにしゃべっちゃったんだ。『マスクマン中継大作戦』には、すごくたくさんの男の子たちが集まるにちがいない。もうこうなったら、なんとか始まるまでにじゃまがはいらないことを祈るしかなかった。
一時間目が終わった。ショウくんとの約束では、もうベランダで『マスクマン中継大作戦』の準備がはじまっているはずだ。
ぼくは、教室の窓から校庭ごしに加瀬くんの家を見た。
(えっ?)
ベランダにはテレビどころか、ショウくんの姿さえ見えない。七つのマスクマンてるてるぼうずたちが、さびしそうにぶらさがっているだけだ。そして、すぐにそれどころではないことがわかった。ショウくんの部屋は、まだ「雨戸」さえピタッと閉められていたのだ。
「やばい、ショウやろうめ、またねぼうしてやがるな」
となりで、加瀬くんがうなり声をあげた。昨日の、冬眠中を起こされたクマみたいなねぼけ顔がうかんでくる。
他のメンバーも、心配そうに集まってきた。
「これは、たいへんなことになりましたねえ」
細谷くんが他人事みたいに言って、うしろからリョウくんにどやされていた。
二時間目が始まるまで、あと六分。とても、加瀬くんの家までいって、おこしてくるひまはない。
「だれか、テレカ持ってる?」
学校にはスマホや携帯を持ってくることは禁止されている。そのため、今でも公衆電話があった。
「よしきた」
タイミングよくブンちゃんが渡してくれたテレフォンカードを握りしめて、ぼくは教室を飛び出した。
廊下は、いつもよりおめかししたおかあさんやおとうさんたちで、すでにごったがえしていた。
「ヒロキ」
いきなりおかあさんに、声をかけられてしまった。エメラルドグリーンのワンピースに、金のネックレス。とっておきのよそゆきのかっこうだ。
「だめだめ、いそがしいんだから」
ぼくは、むねの前で両手をバッテンにしてすりぬけた。
「どこにいくの?」
うしろで、おかあさんがどなっている。
「文彦」
こんどはブンちゃんのママだ。もう腕をつかまれてしまっている。
でも、助け出しているひまはない。ぼくたちは、そのまま走り続けた。
「ユウジ、どこへいくんだ」
ユウたんのおとうさん、「技術と信頼の店」、鈴木電器店のおじさんが立ちふさがっている。今度は、ユウたんがつかまってしまった。
こうして、ぼくに続いた『マスクマン最終回対策本部』のメンバーは、次々に「敵」の手に落ちていく。
大人たちをかきわけかきわけ、公衆電話にたどりついたとき、ぼく以外に残っていたのは加瀬くんとリョウくんの二人だけだった。
ルルルル、ルルルル、……、……、……。
なかなか出ない。やっぱりショウくんは、まだねむっているようだ。加瀬くんにしっかりおこしておくようにたのむのを、わすれたことがくやまれる。
ガチャ。
あきらめかかったとき、とつぜん電話がつながった。
「あっ、ショウくん。よかった、起きてくれて」
「バカヤロー、こっちはとっくに起きてるんだぜ。それより、うちのそばの校庭を、先生たちがウロウロしてるのは、どういうことなんだ」
「えーっ!」
「これじゃ、あぶなくって準備ができないぜ」
「うーん、そうだったのか」
ぼくは、『マスクマン中継大作戦』のうわさが、学校中にひろまってしまったことをショウくんに話した。
「そうかあ。でも、このまま準備をやろうとすると、きっと先生たちにとめられてしまうぜ」
「うーん」
くちびるをかみしめて考えてこんでいるぼくを、リョウくんと加瀬くんが期待をこめてみつめている。
「そうだ!」
とうとうさいごの作戦を思いついたぼくは、それをショウくんに説明をはじめた。
「それでは、今日のところで、質問のある人はいませんか?」
佐藤先生はそう言って、二時間目の授業をしめくくった。教室のうしろやろうかに、二、三十人のおとうさんやおかあさんたちがならんでいるので、先生のことばづかいはふだんとちがってていねいだった。
(しめた!)
まどの外をよこ目で見ると、校舎にかかった時計は、まだ九時四十二分だ。このままいけば、終了のチャイムと同時に、教室を飛び出せる。ぼくは少し離れた席のブンちゃんと、笑顔をかわした。
と、そのとき、
「はい、先生」
なんと手をあげて、わざわざ質問をした奴がいた。
細谷くんだ。いったい何を考えているんだろう。
(くそーっ、しめころしてやりたい)
せっかく授業をおわりかけた先生が、また説明を始めてしまった。
(うーっ)
ぼくはじりじりしながら、先生と細谷くんを交互ににらんでいた。
ぼくだけじゃない。『マスクマン最終回対策本部』のみんなが、まるでマスクマンが、宿敵のデビルマスクをにらみつけるときのような、おそろしい顔をしている。
キーンコーン、カーンコーン、…。
とうとう二時間目終了のチャイムが、なってしまった。先生の説明は、まだ終わらない。
ワーッ。
他のクラスの子たちが、校庭に走り出てきた。
「うーっ!」
とうとうみんなは、本当にうなりごえを出しはじめた。ブンちゃんなんかは、もうなみだぐんでいる。
「そ、それでは、これで二時間目の授業を終わります」
佐藤先生はそう言って、急に説明をきりあげてしまった。もしかすると、身の危険を感じたのかもしれない。
「きりつ、れい、ちゃくせき」
リョウくんの超特急のかけ声であいさつをすると、ぼくたちはいっせいに席を立った。
「わーっ!」
すごいいきおいで飛び出していくぼくたちを、先生とおとうさんやおかあさんたちが、あっけにとられて見送っていた。
ぼくたちは全速力で走っていた。両どなりにはブンちゃんとクリちゃん、すぐうしろには加瀬くんとユウたんもつづいている。
廊下をつっぱしり、階段を一気に飛び降りた。
「このやろう。おまえのおかげで五分も損したんだぞ」
細谷くんも、リョウくんにこづかれながらけんめいに走っていた。
校庭をつっきって、一直線に加瀬くんの家へむかっていく。ほんとうはバラバラにさりげなく集まるつもりだったけど、もうそんなことはいってられない。
(止められるもんなら、止めてみろ)
もうすっかりひらきなおった気分だった。
「ヒロキーっ、ガセネタだったじゃねえか」
校庭の中ほどで声をかけてきたのは、斉藤さんだった。他の人たちと、長なわとびをやっている。
でも、ぼくは何もいわずにそのそばをかけぬけていった。斉藤さんは、しばらくの間、ぼくたちをキョトンとして見送っていた。
「あっ、そうか!」
ようやく斉藤さんも気づいたようで、なわをなげすてて走り出した。ほかの人たちも、すぐにそのあとにつづく。
あっという間に、ぼくたちを先頭に、レミングのむれのような男の子たちの集団ができあがった。みんな、いっせいに加瀬くんの家をめざして進んでいく。
校庭のはずれ、鉄棒とジャングルジムの間。ついにぼくたちは、目的の場所に到着した。
ガラッ、ガラッ。
すぐに、ベランダのガラス戸がいきおいよくひらいた。あの古ぼけた29インチテレビを一人で懸命にかかえて、ショウくんがとびだしてきた。すごい力持ちだ。
すでに画面には、マスクマンの最終回がうつっている。
ショウくんは、ベランダの手すりの上にテレビをドーンとのせた。そして、うしろからしっかりとささえてくれている。
まわりには、ぞくぞくと男の子たちが集まっている。あとからきた子たちは、鉄棒の上にこしかけたり、ジャングルジムによじのぼったりしている。
でも、先生たちのすがたはまだあたりには見えなかった。これなら、終わるまではじゃまはできないだろう。
ショウくんにはあらかじめ家の中で準備してもらい、ぼくたちが到着したらパッととびだしてうつす。このゲリラ戦法が、最後に思いついたぼくの作戦だったのだ。
「『マスクマン電撃奇襲大作戦』、大成功」
となりで、ブンちゃんが小さな声でつぶやいていた。
画面は、すぐにラストシーンになった。ぼくたちのマスクマンは、夕陽にむかって一人で去っていく。それを見送っているのは、かつてのライバルで今は親友のロビンキッド、マスクマンがずっとふられつづけていたあこがれのプリンセスリリー、そしていつも忠実な部下だったラブラドル犬のチャッピーだ。
「マスクマン、いかないで!」
リリーが前へ進み出て叫んだ。
マスクマンはふりむくと、ゆっくりと自分のマスクに手をかけた。
(いよいよだ)
とうとうマスクマンのすがおが、明らかになるのだ。ぼくはいきをとめて、画面を見つめた。まわりのみんなも、シーンとしずまりかえっている。
ゆっくりとマスクがはずされていく。
しかし、夕陽を背にしているので、画面が逆光になっていてよく見えない。
ぼくたちは、おもわず目を細めて画面を見つめた。
ついに完全にマスクがはずされた。
しかし、そのしゅんかん、画面はピカーッと強く光って、何も見えなくなった。つづいて、画面いっぱいに大きく『END』とでてしまった。
「あー、あっ!」
みんなは大きなためいきをついた。
マスクマンのすがお、それは永遠になぞのままになってしまったのだ。
「なーんだ」
ふたたびシーンとしずまりかえった中で、細谷くんがつぶやくのがきこえた。そして、ききなれたマスクマンのエンディングテーマが流れ出しても、だれひとりとしてその場を立ち去ろうとしなかった。気がつくと、いつのまにか百人以上にもふくれあがっている
パチパチパチ、…。
そばで、小さく手をたたく音がきこえた。ブンちゃんだった。ふっくらしたほっぺたには、涙が流れている。
パチッ、パチッ、パチッ、…。
ぼくも、力いっぱい拍手をした。
パチパチパチパチ、…………。
すぐに拍手は、加瀬くん、ユウたん、リョウくん、クリちゃんに、そしてみんなへと、ひろがっていく。
(とうとうマスクマンのラストシーンを、見ることができた)
たしかに、マスクマンのすがおがわからなかったのはすこし残念だったが、これでよかったのかもしれないという気もしていた。
エンディングテーマが終わって、画面がコマーシャルにかわったとき、みんなはいっせいに立ち上がった。
ぼくは、ハーフパンツのおしりについた砂をポンポンとはたいた。
「ラストシーンが見られてよかったね」
ブンちゃんが、もうニコニコしながらぼくに言った。
「うん」
ぼくも笑顔をうかべてうなずいた。あんなに苦労して準備したのに、ぼくたちが見られたのは、たったの三分間だけ。
でも、これまで三年以上もぼくたちと共にいた、マスクマンの最後の姿を見送ることができた。それもひとりでではなく、ブンちゃん、リョウくん、加瀬くん、ユウたん、クリちゃん、おまけに細谷くんの、『マスクマン最終回対策本部』のメンバーたちと。いや百人近くの男の子たちと一緒に、マスクマンを見送ることができたのだ。
「それじゃあ、もういいね」
ショウくんが、ベランダからテレビを動かしはじめた。
「どうも、ありがとうございました」
ぼくたちは、声をそろえてお礼を言った。
「おーい、こらあ。早く教室へ入れえ。三時間目が始まったんだぞお」
遠くの方から、先生たちがどなっている。
いつの間にチャイムがなったのか、ぼくたちは少しも気がつかないでいた。
朝、学校へいくと、ブンちゃんがすぐにとんできた。いつも陽気なブンちゃんが、こんなに真剣な顔をしているのはめずらしい。ただでさえ丸いほっぺたが、不服そうにプーッとふくらんでいる。
「なんだい、たいへんって?」
ぼくがランドセルをおろしながら聞き返すと、
「それが、マスクマンが、来月、最終回になっちゃうんだって」
ブンちゃんは、世界の破滅を知らせるかのような深刻な調子で話した。
「えーっ! ほんとかよお」
ぼくも、びっくりして飛び上がった。
マスクマンといえば、三年前、ぼくが一年生のときに、放送が開始されて以来、最高の人気をほこるテレビアニメだ。
ふだんはドジでマヌケだけど、いざという時にはすごい力をはっきするマスクマンは、みんなに圧倒的に支持されている。
毎週日曜日の朝九時三十分からマスクマンを見るのは、ぼくたち小学生の男の子にとっては、かくことのできない習慣になっていた。
「なんで、最終回になっちゃうんだろ?」
横から、かんだかいボーイソプラノで、クリちゃんが口をはさんだ。
ブンちゃんが大声を出したんで、まわりには、クラスの男の子たちが集まってきている。みんなマスクマンの熱心なファンばかりだ。
「マンネリしたからじゃないの」
細谷くんが、訳知り顔で答えた。おかあさんがブティックのオーナーなので、今日も「コムサ・デ・モンド」のジャケットで、ビシッときめている。
「どうしてさ。視聴率だって、まだ高いんだぜ」
ぼくはムッとして、細谷くんをにらみつけてやった。
「ふふん、そんなんじゃないんだよ。マスクマンのキャラクター商品の、売れ行きが落ちてきたからなんだってさ。だから、おかしやおもちゃの会社じゃ、新しいヒーローが必要なんだよ」
細谷くんは、得意そうに説明した。
「ふーん、なるほど」
みんなも、感心したようにうなずいていた。
(キャラクター商品の売上げが落ちたからって、何だっていうんだ)
ぼくはムカムカして、まるで小さな大人のような細谷くんの顔に、一発くらわしてやりたくてたまらなかった。
(マスクマンが終わっちゃうなんて!)
その晩、ぼくはベッドにねころびながら、昼間のことを思いだしていた。
もう最終回をいれても、あとたった三回しか見られない。
真の格闘家をめざしていたマスクマン。愛犬チャッピーとともに、強敵を求めて世界中を武者修行していた。
毎回、いろいろな敵を倒してきた。
中国の怪人、チャイナマスク。アフリカの強豪、マサイファイター。フランスの伊達男、エッフェルマン、……。
そして、永遠のマスクマンのライバル、ロビンキッド。彼とは、数々の名勝負を繰り広げてきた。
地球の破滅をねらうデビルマスクとの長い戦い。デビルマスクが送り込むさまざまな刺客を、死闘のすえ破ってきた。
そして、プリンセスリリーへの恋。何回も、もう少しでうまくいきそうになった。
でも、いいふんいきになると、いつもマスクマンがどじなことをやってだめにしてきてしまった。
一年生のときからずっと使っているぼくの下じき。ショッピングモールの広場で、はじめてマスクマンショーを見たときにもらったものだ。
ぼくは、ランドセルの中からそっと下じき取り出してみた。その時にしてもらったサインは、もうすっかりうすれてしまっている。
去年の子ども会のクリスマス会。かくし芸大会のときに、三年連続でマスクマンのものまねをした。
「まったくヒロキは、ワンパターンなんだから」
って、みんなに笑われてしまった。
そして、今年のぼくの誕生日。マンガのとくいなマユミさんが、色紙に描いてくれたマスクマンの似顔絵。
そのとき、マユミさんの横顔が、
(プリンセスリリーに、似てるな)
って、思ったっけ。マユミさんの描いてくれた似顔絵は、机の前に大事に飾ってある。
この三年間、どんな時も、マスクマンはぼくと一緒にいた。
(ああ、あれは、マスクマンが、デビルマスクと戦った時だな)
(あの時は、マスクマンとロビンマスクが初めてであった時だ)
ひとつひとつの思い出が、みんなマスクマンと結びついて思い出されてくる。
(マスクマンのいない生活なんて、とても考えられない)
でも、もうすぐ終わってしまうんだ。
(なんとしてでも、マスクマンの最後だけは、見届けなくては)
壁にはられた大きなポスターから、マスクマンはいつものように笑顔を送ってくれていた。
「それでは、この通知を家の方に渡してください」
『二学期の授業参観日について』
プリントの一番上に、そう書いてあった。
「ふーん」
興味がないので、ろくに読まずに机の中につっこんだ。
「えーっ!」
最初に叫んだのは、ブンちゃんだった。
「そんなあ!」
「ひどいやあ!」
たちまちクラスの男の子たちのあいだに、悲鳴のような叫び声がおこった。
わけがわからずに、ぼくがキョロキョロしていると、
「ヒロちゃん、参観日の通知を読んでみろよ」
と、ブンちゃんが教えてくれた。
あわてて机の中から、すこしクチャクチャになった通知を出してみた。
「あーっ!」
思わず、ぼくも声をあげてしまった。
そこには、『授業参観日 十月三日(日)』と書かれていたからだ。
そう。その日こそ、マスクマンの最終回の放映日なんだ。
「どうしたんだ、静かにしろ」
教壇から、佐藤先生がどなった。
「先生、授業参観の日はもう決まっちゃったんですか?」
おもいきって席を立つと、先生にたずねてみた。
「そうだよ、書いてあるだろ。十月三日、日曜日って」
「だって、先生。その日は、マスクマンの最終回の日ですよ」
ぼくがそういうと、他の男の子たちもみんなうなずいている。
「えっ?」
先生はなんのことだかわからないようで、しばらくポカンとしていた。
「……、フ、……、フアッハハッハー」
やがて先生は、たいこばらをつきだして、大声でわらいだした。
「何を言い出すのかと思ったら、ばかばかしい。そんなことで、みんなさわいでいたのか。だれかの家にDVDレコーダーかブルーレイレコーダーがあるだろ。そいつに録画してもらって、ダビングしてもらえ」
先生は、またさもおかしそうにわらいだした。
(まったくわかってないなあ)
ぼくは席にこしをおろしながら、そう思った。
もちろんぼくだって、最終回はブルーレイにとって、永久保存版にするつもりだった。そのためのディスクだって、もう用意してある。
でも、放映されたその時に見なきゃ、ぜんぜん意味がないのだ。
十月三日、午前十時。
それが、ぼくたちが、マスクマンとサヨナラするときなんだ。これを見のがしたら、ファンだなんていえやしない。
(くそーっ、よりによって、最終回の日が、授業参観日だなんて)
ぼくは、くやしくってたまらなかった。
(先生たちが子どものときには、アニメってなかったのかなあ)
ぼくは、授業をはじめた佐藤先生をながめながら、そんなことをかんがえていた。
(いや、待てよ。そんなことはない)
いつか佐藤先生は、ゆでたまごの「キン肉マン」について話してくれたことがあったのだ。そのとき、子どものころにキン肉マンがどんなに人気があったか、先生は目をキラキラさせながら熱心にしゃべっていた。
ぼくは、
(キン肉マンって、ちょうどぼくたちにとってのマスクマンのようなものなんだな)
って、思ってその話を聞いていた。
(佐藤先生は、そのころの自分の気もちを、もう忘れてしまったのだろうか)
最終回までの二回の放送で、マスクマンのストーリーは、バタバタとかたづいていった。
ついに宿敵デビルマスクをたおし、世界の平和は守られた。
世界マスクチャンピオンの座は、親友のロビンキッドにゆずられることになった。
あこがれのプリンセスリリーには、ふられつづけたままでおわるようだ。
そして、さいごにして最大のなぞが残った。
それは、マスクマンのすがおだ。予告編によると、どうやら最終回であきらかになるようだった。
マスクマンのすがお。これについては、いろいろな説がある。
アイドルなみのイケメン説。これはやっぱり少ない。マスクマンのひょうきんな性格には、ハンサムな顔はあまりにあわない。
ギャグまんが風のおもしろい顔。この説を支持する友だちは多いけれど、それではあたりまえすぎておもしろくない。
そのほか、「子どものころに悪人にさらわれて、ふためと見られない顔にされた」とか、「マスクの下もマスク、その下も、そのまた下もマスクで、ラッキョウみたいになっている」とか、「実は、マスクマンは女で、体だけが男に作りかえられた」とか、さまざまなうわさ、おくそく、デマなどが流れている。
そのマスクマンのすがおが、最終回のラストシーンであきらかになるというのだ。
(あーあ、せめてラストシーンだけでも、見られないかなあ)
ぼくは、思わずためいきをついた。
マスクマンの最終回、そして、授業参観日がいよいよ明日にせまった。
「ヒロちゃーん、電話よお」
トイレに入っていたら、おかあさんがよぶ声がする。
「ここだよ」
ドアをちょっとだけあけてこたえた。
「あら、まだ入っていたの。長いわねえ」
おかあさんが、あきれたような声を出した。
我が家では、ぼくのトイレは長いので有名だ。ぼくは、この狭いところで漫画や本を読んだりして、ゆっくりするのが好きだった。
「井上くんからよ」
おかあさんは、すきまから子機をわたしながらいった。井上くんというのは、ブンちゃんのことだ。
「もしもし」
「ヒロちゃん、もう絶望だ」
いきなり、ブンちゃんの泣き声がきこえてきた。
「どうしたんだい?」
「もうマスクマンが見られない」
「………」
「ママにばれちゃったんだ」
ブンちゃんの声は、悲鳴のようにかんだかくなっていた。
とぎれとぎれにいう、ブンちゃんの話をまとめるとこうだ。
どうしても最終回を見たかったブンちゃんは、仮病をつかって授業参観日を休む決心をしていたようだ。そのために、二、三日前から、コンコンとセキのまねをしたり、「あーあ、なんだか熱があるみたい」と、つぶやいたりしていたらしい。
でも、さっきブンちゃんのママに、ズバリいわれてしまったのだ。
「文彦(これがブンちゃんの本当のなまえだ)。仮病をつかって、マスクマンを見ようったって、だめだからね。明日は、絶対に学校へ行かせるよ」
(ブンちゃん、そこまで思いつめていたのか)
でも、それも無理はない。ブンちゃんのニックネームは、「マスクマン博士」。ぼく以上に、マスクマンに夢中なのだ。
なにしろ、マスクマンの今までの放送を、すべてブルーレイにとって保存していて、「マスクマンがバッファローマスクにけがをさせられたのは第47回」だとか、「ロビンキッドがマスクマンと仲間になったのは第63回」だとか、めったやたらと記憶している。
ぼくたちは、ときどきブンちゃんの家で、「マスクマン一挙上映大会」をやって、盛り上がっていた。
すっかり泣き声になっているブンちゃんをなぐさめながら、ぼくは頭のかたすみで別のことを考えていた。
(そうか、仮病という手があったか?)
ぼくはよくおかあさんに、「ヒロキは元気だけがとりえね」と、いわれている。
なにしろぼくは、入学以来、一度も学校を休んだことがないほどなのだ。だから、仮病をつかって休むなんて、ぜんぜん思いつかなかった。
でも、かえってそんなぼくだったら、この手は使えるかもしれない。
(いかん、いかん)
ぼくはだれも見ていないのに、あわててひとりで首をふった。こんなに悲しんでいるブンちゃんを裏切って、ひとりだけでマスクマンの最終回を見るわけにはいかない。それに、他の友だちだって。
そのとき、ぼくは体の中に、ムクムクとファイトがもりあがってくるのを感じた。
(よーし、絶対に、マスクマンの最終回を、みんなで見てやるぞ)
『マスクマン最終回対策本部』
黒のマジックでそう大きく書かれた紙が、ドアにはってある。
ドアをあけると、そこは、……。
マスクマン一色の世界だった。
壁という壁には、マスクマンのポスターやペナント、ステッカーなどがびっしりとはられていた。
部屋のすみには、マスクマン人形、変身セット、ぬいぐるみなどがずらりとならんでいる。
そして、机の上にも、マスクマンけしゴム、下じき、クリップ、ふでばこ、ものさし、…。
マスクマンのキャラクターがついているものが、ごっそりとのっていた。
そう、マスクマン博士こと、ブンちゃんの部屋は、マスクマンのキャラクター商品にうずまっていたのだ。
ぼくは、あのあとトイレから、クラスの男の子たちに電話をかけまくって、みんなをブンちゃんの家に集めていた。
なんにでも名前をつけたがるブンちゃんいわく、『マスクマン最終回対策本部』。
たしかに、この部屋ほどそれにふさわしい場所を、ぼくは他に知らない。
あつまったメンバーは、クラスでも熱心なマスクマンファンばかり。
まずは、部屋の主のブンちゃん。学級委員で、クラスで一番でかいリョウくん。キャンキャンと、声のかんだかいクリちゃん。いつも物静かな加瀬くん。女の子みたいにかわいい顔をしているユウたん。それに、どういうわけか、細谷くんまでがきていた。「マキハウス」の、ピンクときいろと赤のはでなトレーナーをきて、すわっている。
でも、細谷くんに電話したおぼえは、ぼくにはない。
(へんだなあ。だれが連絡したんだろう。でも、まあいいか)
「これでも、飲んでよ」
ブンちゃんが、2リットル入りのペットボトルのコーラと人数分の紙コップをもってきてくれた。
「おい、つぐぞ」
「押すなよ、こぼれるぞ」
「ほーら、こぼれた」
「ブンちゃん、ティッシュ、ティッシュ」
ぼくたちは、それを飲んだりこぼしたりしながら、さっそく作戦を考えはじめた。
「こんなの簡単、簡単」
そういって、最初に提案したのはリョウくんだ。クラスでいちばん背が高く、まだ四年生だというのに、鼻の下にはうっすらひげまではやしている。いったい何を食べれば、こんなにでっかくなれるんだ。
リョウくんの作戦というのはこうだ。
一時間目が終わったら、だれかが仮病を使って、佐藤先生を保健室へ連れ出す。そのすきに、みんなで学校から逃げ出そうというのだ。
どうせ後で大目玉をくうだろうけれど、
「みんなでおこられりゃ、こわくない」
ってのが、リョウくんの意見だった。
「うーん、『マスクマン大脱走作戦』だな」
ブンちゃんが、すぐに作戦の名前を考えた。
「でも、うまく逃げ出せるかなあ」
クリちゃんが、首をひねってる。
「うん。おとうさんやおかあさんたちが、もう学校に来てるころだよ」
ぼくにも、この作戦がうまくいくようには思えなかった。授業参観は二時間目からだけど、もう校門のあたりや廊下は、おとうさんやおかあさんたちで、ごったがえしているだろう。とても、そのあいだをすりぬけて、学校から逃げ出せそうにはない。
「それに、最初に仮病を使うのは、だれがやるんだよ?」
細谷くんがそう言うと、みんなが隣の子を見ながら、もじもじしだした。
たしかに、『マスクマン大脱走作戦』がうまくいったとしても、その子だけは、マスクマンの最終回を見られない。ただおこられるだけの、損な役目だ。
「おれ、やだよ」
「おれだって」
みんなが口々に言っている。
「いいだしたのは、リョウくんだろ。だったら、リョウくんがやるべきだよ」
すかさず細谷くんが言った。
「なんだとお」
細谷くんになぐりかりそうになったリョウくんを、なんとかみんなで押しとどめた。
「いい考えがある」
次に提案したのは、放送委員のクリちゃんだった。ただでさえかんだかい声が、興奮のせいか、完全にキンキン声になっている。
「ヨーレリホー」
すかさずリョウくんが、裏声をまねてからかった。
「放送室にテレビがあるだろ。あれと全校放送用のマイクを、つないじゃえばいいんだよ。そうすりゃ、画面はだめでも、音だけならOK。前にもやったことあるよ」
「グッドアイデア。『マスクマン放送室ジャック大作戦』と呼ぼう」
ブンちゃんが、また名前をつけた。
「ふふん。そんなの、すぐに先生にとめられちゃうよ」
細谷くんが、馬鹿にしたように口をはさんだ。
「だから、放送室にだれかがたてこもってさ」
「だれかって、だれだよ」
「………」
また、みんなはおたがいの顔を見まわしているだけで、自分から名乗り出ようとするものはいなかった。どうやら、この中には、みんなのために自分を犠牲にするような、りっぱな人はいないようだ。
「あーあ、休み時間に学校から抜け出せればなあ。少しだけなら、走っていって見てこられるのに」
今までだまっていた加瀬くんが、ポツリといった。
「なんで?」
ぼくがたずねると、加瀬くんはあっさりと答えた。
「だって、ぼくんち、学校のとなりだよ」
(そうかあ)
忘れていたけれど、加瀬くんのうちは、学校の東側にある二階だての新しい家だった。校庭に面して、大きなベランダがある。
と、その時、ぼくの頭の中に、すごいアイデアがうかんだ。
「みんな、いい考えがある。加瀬くんの家のベランダにテレビを出して、マスクマンをうつしてもらうんだ。それを見ればいい」
「すげえ。『マスクマン中継大作戦』かあ」
またまた、ブンちゃんが名前をつけた。
「でも、教室から見えるかなあ?」
クリちゃんが、首をひねりながらいった。
「そりゃ無理だよ。でも、二時間目の休み時間があるだろ。その時、校庭に出て加瀬くんちのそばまで行けば、ぜったい見えるよ」
「うん、そりゃそうだな」
リョウくんも、めずらしく感心したようにうなずいている。
二時間目は九時四十五分におわる。それから十五分間が休み時間だ。それなら、「マスクマン」の後半からは見られることになる。
「九時四十六分ごろから、後半がはじまるんだよ」
マスクマン博士のブンちゃんは、さすがにくわしい。
「やったあ。それならラストシーンは見られるじゃないか」
リョウくんは、立ち上がってガッツポーズをしてみせた。
「そうそう。マスクマンのすがおが、ばっちり見れるよ」
クリちゃんも、うれしそうなキンキン声を出している。
「よーし、たとえ雨がふっても、ぜったいに見にいくぞ」
ぼくは、はりきって大声で叫んだ。
「待ってよ、待ってよ。だれがベランダでテレビをうつすの? おとうさんもおかあさんも、学校へ来ちゃってるんだよ」
あわてて加瀬くんが、口をはさんだ。
「はははっ、やっぱりだめか」
細谷くんが、なんだかうれしそうに言った。
「えーっ、だれもうちにいないの?」
細谷くんを無視して、ぼくは加瀬くんにたずねた。
「中三のアニキがいるけど、いつも日曜は昼ごろまで寝ているし、………」
なぜか、加瀬くんは口ごもっている。
「だいじょうぶだよ。おにいさんの方がかえっていいんだよ。頼めば、きっと手伝ってくれるよ」
ぼくがはげますように言ったのに、
「ダメダメ。すげー、いじわるな奴なんだ」
加瀬くんはそう言うと、顔をしかめた。いつも兄弟げんかで、よっぽど痛めつけられてるらしい。
「そこんとこ、なんとか頼めないかなあ」
ぼくは、ねばって言った。
加瀬くんはまだ首を振っていたけど、ぼくたちはおにいさんに頼みにいくことにした。
トントン。
ドアをノックしても、中からは返事がない。
トントン。
またノックしてみた。
「ダメダメ、そんなやさしいやり方じゃ。きっと昼寝でもしてるんだよ」
加瀬くんはそう言うと、フーッとひとつ大きく息を吸い込んだ。
「起きろーーっ。ショウやろーーっ」
いきなりすごい声でどなり始めた。
ドンドン、ガンガン。
家がこわれるんじゃないかと思うぐらいのいきおいで、ドアをたたいている。
「起きろーーっ!」
たしかに、おかあさんたちが留守で、家には他に誰もいない。
でも、これじゃあ、外からだって聞こえるかもしれないほどの大声だった。
いつもはおとなしい加瀬くんからは、とても想像できないようなどなり方だ。
ぼくたちは感心して、真っ赤になってどなっている加瀬くんの横顔を見つめていた。
それでも、部屋の中からはまったく反応がなかった。
「いないんじゃないのか?」
五分ぐらいして、リョウくんがそう言いかけた時だった。
ガチャリ。
ようやくドアの鍵を開ける音がした。
中から顔を出したのは、冬眠中を起されたクマ。
じゃなかった。加瀬くんのおにいさんだった。
ボサボサの髪の毛に、薄汚いぶしょうひげ。 目はまだ半分閉じたままだ。
「うっせえなあ。チビスケ」
すごくふきげんそうに、加瀬くんをにらみつけた。
「ショウちゃん、頼みがあるんだ」
驚いたことに、加瀬くんはさっきとはうってかわってていねいな口調だ。もしかすると、おにいさんの復讐を恐れているのかもしれない。
「なんだよ、チビスケ、…」
その時になって、おにいさんは、ぼくたちが一緒にいることにようやく気がついた。
「入れよ」
おにいさんはそう言って、ドアを大きく開いた。
おにいさんの部屋は、南と西に窓のある、四畳半ぐらいの明るい部屋だった。ベッド、勉強机、本棚などが、所狭しとならんでいる。
でも、うまいことには、南側の窓から例のベランダへ出られるようだ。
(うん、テレビはここから出せばいいな)
ぼくは、窓からベランダの様子をうかがった。
おにいさんは椅子に腰をおろすと、みんなの方にあごをしゃくった。
「まあ、かけろよ」
ぼくたち七人のうち五人は、ベッドにぎゅうぎゅう詰めにならんでこしかけた。すわりきれなかったユウたんと加瀬くんは、床に直接こしをおろしている。ただでさえ狭い部屋に大勢入ったものだから、満員電車の中みたいになってしまった。
「それで、おれに頼みって、なんだい?」
おにいさんは、ようやく完全に目がさましたようだ。
でも、まだふきげんそうな顔をしている。
「おにいさん、マスクマンって、知ってるでしょ」
ぼくが、みんなを代表して話し出した。
十月三日が、マスクマンの最終回だということ。
その日に、運悪く授業参観があること。
でも、どうしてもみんなで見たいこと。
そして、二階のベランダからの、『マスクマン中継大作戦』について。
ぼくはベッドから立ちあがって、身ぶり手ぶりをしながら、つばきをとばすようないきおいで、一気にしゃべりまくった。他のみんなも、ぼくを助けるように、一緒にうなずいている。
「………、フフ、フワッハッハッ」
はじめはまじめそうに聞いていたおにいさんが、突然笑い出した。
「なんだよ、大げさだなあ。録画して後で見ればいいじゃないか」
おにいさんは、あきれたようにみんなを見まわした。
(だめだ、おにいさんも佐藤先生と一緒だ。いったい男の子はいくつぐらいになったら、こんなにわからずやになってしまうのだろう)
ぼくはがっかりして、またベッドにこしをおろした。
と、そのとき、机の横に、大事そうにかざられている古い人形が、目にとびこんできた。そして、それと同時に、さっき加瀬くんがおにいさんのことをショウって言っていたことを思い出した。
(ショウ、加瀬ショウ。そうかあ!)
ぼくはパッとまた立ちあがると、おにいさんの前に顔をつき出した。
「な、なんだよ」
おにいさんは、ビクッとして少しうしろに体をひいた。
ぼくは両手でゆっくりと、前がみをうしろへかきあげていった。そこには、ひろいひろーいぼくのおでこが。
「えっ?」
キョトンとしていたおにいさんの顔が、ゆっくりと笑顔に変わっていく。
「なんだあ、おまえ。『デコヒロオくん』だったのか」
(やっぱり、覚えてた)
ぼくが幼稚園のころ、近所の公園で、いつも遊んでくれたおにいさんたちがいた。そのころはとってもとっても大きく感じられたけど、今のぼくたちとちょうど同じ四年生だった。中でも、おでこが広いのと名まえのヒロキをひっかけて、ぼくのことを『デコヒロオくん』ってよんで、かわいがってくれたのがショウくんだった。
ぼくは、だまって机の横の人形を手にとった。まっかなコスチュームに、必殺のブレインソードを手にしている。
レッドレンジャー。
ぼくは小さかったからよく覚えていないけれど、あのころ、一番人気があったヒーローだ。ちょうど今のマスクマンのように。
ショウくんが、『デコヒロオくん』こと、ぼくと遊んでくれた時も、いつもレッドレンジャーごっこだった。
「わかった、わかったよ。でも、準備はおまえらでやれよ」
とうとうおにいさんは、少してれくさそうにそう言ってくれた。
「ふーっ」
みんなはためいきをついた。
居間にあった40インチの大型液晶テレビは、大きすぎてとてもベランダまで運べそうにない。
「それに、今から運び上げたんじゃ、おかあさんたちが帰ってきたらばれちゃうよ」
加瀬くんがいった。
「それもそうだな。加瀬くんちに他にテレビはないの?」
ぼくは、他の部屋をキョロキョロさがしながらいった。
「うん、勉強のじゃまになるって、一台だけしか使ってないんだ。でも、物置に、昔使ってたっていう古いブラウン管のならあるはずだけど」
ぼくたちは、ドヤドヤと玄関に向かった。
外に出ると、ものおきはカーポートの向こう側にある。
ギギギッ。
さびついた扉を、力持ちのリョウくんがなんとか開けた。
(うわーっ)
物置の中は、いろいろなものがつまっていた。
廃品回収に出される古新聞紙やダンボール、使わなくなった三輪車やバギー、…。
ぼくたちは、入り口近くにあるものをどかして、物置の中をさがしていった。
(あった!)
テレビは、古いゴルフバッグやバーベキューセットなんかと一緒に、一番奥に置かれていた。
加瀬くんが生まれる前に使われていたという、29インチのブラウン管テレビは、さすがに古ぼけていた。
でも、きちんとビニール袋にくるまれていたおかげで、すこしもほこりをかぶっていない。
ブラウン管テレビは重かったけれど、なんとか七人がかりで、おにいさんの部屋まで運び上げた。こんなときには、力持ちのリョウくんがいたので助かった。
どこかへ出かけてしまったのか、おにいさんはいつのまにかいなくなっている。
「端子、端子と」
さっそく、窓際にあったテレビの端子に、ケーブルをつないでスイッチを入れた。
七人がのぞきこむ。
ザザザー。
雑音と、たくさんのななめの線がうつっただけだ。
「あれっ?」
あわてて他のチャンネルに変えてみた。
でも、やっぱり同じだ。
「ちぇっ、ぶっこわれてるのかな」
リョウくんが言った。加瀬くんが、さっきのドアと同じように、テレビをガンガンたたきはじめた。
「まって」
そう言って、みんなをとめたのは、ユウたんだった。すごくおとなしい子で、『マスクマン対策本部』でも、今までいるのかいないのか、わからないぐらいだった。
「このテレビ、きっとアナログしかうつらないんだよ」
「アナログ?」
「うん。テレビ放送は今はディジタルだけど、昔はアナログだったんだ」
「さすがあ。電器屋の息子ーっ!」
リョウくんがからかうように言うと、ユウたんの顔がレッドレンジャーみたいに真っ赤になった。たしかにユウたんの家は、「技術と信頼の店」、鈴木電器店だ。
「それじゃ、このテレビじゃ、だめなのかあ」
ぼくががっかりしてそういうと、
「大丈夫だよ。アナデジ変換用のチューナーがあればいいんだ」
ユウたんは自信たっぷりにいった。
「そんなの、どこにあるんだよ」
「うちにいっぱいころがっているよ。昔、ディジタル放送がスタートするときにたくさん仕入れすぎて売れ残っちゃったんだって。すぐに、取ってくるよ」
ユウたんはそう言うと、小走りに部屋を出て行った。
「これでOK」
ユウたんは壁のテレビ端子とブラウン管テレビの間にアナデジ変換用のチューナーをつないだ。
そして、アナデジ変換用のチューナーとテレビの電源を入れた。
みんなは期待してのぞきこんだ。
でも、やっぱり映像はうつらなかった。
その代わりに、『接続が悪い』とか『電波が弱い』という表示が出た。
「やっぱり、だめかあ」
細谷くんが、なぜかうれしそうにいった。
「チェックしてみるよ。加瀬くん、プラスのドライバーかして」
ユウたんは細谷くんを無視すると、壁のテレビ端子からケーブルをはずして、なれた手つきでコネクタをはずして、中をチェックしはじめた。
「ケーブルはだいじょうぶみたい」
ユウたんはもとどおりにコネクタをとりつけると、照れたように、そして、少し誇らしげに言った。
今度は、ケーブルをアナデジ変換用チューナーにだけつないで、反対側を窓の方向に向けた。
「あっ、うつった」
テレビに一瞬、かすかに絵がうかんだ。
でも、すぐに消えて電波が弱いことを示す表示に変わった。ユウたんがケーブルのむきをかえるたびに、かすかにうつったり、もとの表示に戻ったりしている。
「テレビもOKみたい」
「へーっ。なんで、つないでないのにうつるの?」
ぼくは、すっかり感心してたずねた。
「電波は、どこにでも飛んでるんだよ。でも、それじゃ弱すぎるわけ。それを屋根の上のアンテナでキャッチして、増幅、えーっと、強くしてるってわけ」
ユウたんが、みんなにもわかるように説明してくれた。
「うえーっ。おれたちのまわりにも、電波が飛んでるのかあ」
リョウくんが、気味わるそうに大きな体をすくめた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。すっごく弱いから、体には影響ないんだよ」
ユウたんが、少しじまんそうに言った。
「加瀬くん。きみんち、屋根裏部屋ってある?」
ユウたんがたずねた。
「うん、あるよ」
加瀬くんはみんなをつれて部屋の外へ出ると、ろうかの天井を指差した。そこには、アルミの枠で囲われた、長方形のふたのような物がついてる。加瀬くんは、先にT字型の金具がついた棒をもってくると、天井のふたの取っ手に引っかけて、グルッとまわしてからひっぱった。
「おっ!」
おもわず、みんなから声がでた。そこから、スルスルと、おりたたみのはしごがおりてきたからだ。
「忍者屋敷みたい」
ブンちゃんが、うしろでうれしそうに言っている。
加瀬くんは屋根裏部屋のあかりをつけると、先頭にたってはしごをのぼりはじめた。ユウたん、リョウくんにつづいて、みんながのぼっていく。
「ぼくは、ここでまってる」
細谷くんだけは、はしごの下のままだ。どうやら、自慢のトレーナーが、ほこりで汚れるのが嫌らしい。
ユウたんは屋根裏部屋にあがると、しばらくキョロキョロしていた。そこには、ふとんの大きなつつみや、ホットカーペットの箱、それに加瀬くんたちが小さいころに使っていたベビーチェアやチャイルドシートなんかが、所狭しとおかれている。
「ここかな?」
ユウたんは、はしごをのぼった正面のかべの前につまれた箱を、かたづけだした。
「やっぱり、あった」
そこには、人ひとりがかがめばとおりぬけられるぐらいの大きさに、ベニヤ板のかべが切りとってあった。
でも、切りとられた板は、そのままたくさんのネジで、しっかりととめてある。
「加瀬くん。プラスとマイナスのドライバー。それに懐中電灯持ってきて」
ユウたんが、おちついた声で言った。
十六個もついていたネジをぜんぶはずすと、ユウたんはゆっくりとふたをはずしていく。何かが飛び出してきそうで、みんなはジーッと穴を見つめていた。
「わっ!」
とつぜんうしろから、大声を出した奴がいた。リョウくんだ。
「うわあーっ、ビビったーっ」
ブンちゃんが、ふるえながら言っている。
ユウたんは、身体を穴の中に半分つっこんで、懐中電灯をつけた。みんなもうしろからのぞきこむ。
丸い光の輪にてらされた天井裏は、意外なほどきれいだった。直角に交差した太い柱やはりは、白くピカピカしているし、かべのうらにはられた断熱材も、新品そのものに見える。いちばん太い柱には、神主さんがもつ白いおはらいのようなものが、しばりつけてあった。二階の各部屋の天井には、あちこちにすきまがあって下から光がもれてくるので、意外にもまっくらではなかった。
「さすが、新築の家はちがうなあ」
リョウくんが、感心したようにいった。
「あったあ!」
いきなりユウたんが叫んだ。懐中電灯に照らし出されて、奥の方に銀色のボックスが光っている。
ユウたんは穴から中へ入り込むと、はりを伝わってボックスの方へ行こうとした。
「あーっ!」
外からのぞきこむみんなが、おもわず大声をあげた。
ユウたんが足をすべらせて、おっこちそうになったのだ。両手両足ではりにぶらさがって、「ブタのマルヤキ」みたいになっている。手をはなしたら、天井をつきやぶって、下へ落ちてしまうかもしれない。
「しっかり、つかまってろよぉ」
リョウくんがすばやく中に入って、ユウたんを助けにいった。
ユウたんのトレーナーを片手だけでつかんで、はりの上にひっぱりあげた。やっぱりすごい力もちだ。
「ユウたん、気をつけろよ」
うしろから声をかけたぼくにVサインを出して、ユウたんは、こんどはハイハイしながら、銀色のボックスへ近づいていった。
「やっぱり」
ユウたんは、こちらへむかってケーブルのようなものをさしあげている。
「アンテナからの分配器に、同軸ケーブルがつながってないんじゃ、うつるはずないよ」
ここぞとばかりに、むずかしいことばをポンポンいいながら、ユウたんはなれた手つきで、ケーブルを銀色のボックスに取りつけている。
「おーい、うつるかどうか、見てくれーっ」
「うつってるよお」
下の部屋で待機していたクリちゃんが、うれしそうなボーイソプラノで答えた。
「分配されて電波が弱くなってるかもしれないから、全部のチャンネルをチェックしてくれ」
ふしぎなもので、いつもはクラスでもまったく目立たないユウたんが、いつのまにかりっぱな電気の専門家に見えていた。
いよいよ日曜日、マスクマンとさよならする日がきた。
ぼくは朝おきると、まっさきに部屋のカーテンをあけて、空を見た。いい天気だ。十月の空は、まっさおにはれあがっている。
昨日、みんなで最後にひとつずつ作った、七人のマスクマンてるてるぼうずが、今ごろ加瀬くんちのベランダで、得意そうな顔をしてぶらさがっていることだろう。
これなら、『マスクマン中継大作戦』はうまくいきそうだ。いや、明るすぎたときに備えて、画用紙を切り抜いてテレビの画面のまわりにはりつけておいた特製サンバイザーが、力をはっきしそうなくらいだった。
ぼくは、いつものように朝ごはんを超特急でかっこむと、はりきって登校班の集合場所へいそいだ。
「おはよう」
「おい、ヒロキ。休み時間に、マスクマンのテレビが見られるんだって」
先にきていた班長の斉藤さんが、ぼくの顔を見るといきなり言った。
「えっ!」
ぼくは、すっかりびっくりしてしまった。
(だれがしゃべってしまったんだろう)
先生たちにじゃまされると困るから、休み時間になるまでは、他の人たちには言わない約束だったのに。
斎藤さんだけではない。登校班の人たちは、みんな知ってるようなのだ。
学校へつくと、『マスクマン中継大作戦』のうわさは、学校中にひろまっていることがわかった。
「だれがしゃべったんだい?」
『マスクマン最終回対策本部』のメンバーを集めて、ぼくはたずねた。
「となりのクラスの吉川くんには言ったけど、ぜったいに他にはしゃべらないって、約束させたんだぜ」
まっさきにいばっていったのは、リョウくんだ。
「えーっと、近所のケンちゃんと清水くんには、言っちゃった」
クリちゃんも、いつもと違う小さな低い声でいった。
つづいて、加瀬くんも、ユウたんも、そしてブンちゃんまでが、
「……くんだけだよ」とか、「絶対いわないって、男の約束をしたんだよ」とか、口々にいいだした。
「ふふん。男の約束ってのが、あてにならないんだよなあ」
細谷くんが、馬鹿にしたようにいった。
「なら、おまえはだれにもしゃべらなかったのかよ」
リョウくんが、細谷くんにくってかかった。
「ぼく? もちろんだれにも言わないよ」
細谷くんはそういばっていったけれど、つづけて小さな声でつけくわえた。
「うちのおにいちゃんは、のぞいてね」
「ばかやろー。おまえのアニキだって、うちの学校の六年じゃねえか。それなら、おれたちとおんなじだろ」
そういってリョウくんは、プロレスのヘッドロックという技で、細谷くんをしめあげはじめた。
なんのことはない。ぼく以外は、みんながだれかにしゃべっちゃったんだ。『マスクマン中継大作戦』には、すごくたくさんの男の子たちが集まるにちがいない。もうこうなったら、なんとか始まるまでにじゃまがはいらないことを祈るしかなかった。
一時間目が終わった。ショウくんとの約束では、もうベランダで『マスクマン中継大作戦』の準備がはじまっているはずだ。
ぼくは、教室の窓から校庭ごしに加瀬くんの家を見た。
(えっ?)
ベランダにはテレビどころか、ショウくんの姿さえ見えない。七つのマスクマンてるてるぼうずたちが、さびしそうにぶらさがっているだけだ。そして、すぐにそれどころではないことがわかった。ショウくんの部屋は、まだ「雨戸」さえピタッと閉められていたのだ。
「やばい、ショウやろうめ、またねぼうしてやがるな」
となりで、加瀬くんがうなり声をあげた。昨日の、冬眠中を起こされたクマみたいなねぼけ顔がうかんでくる。
他のメンバーも、心配そうに集まってきた。
「これは、たいへんなことになりましたねえ」
細谷くんが他人事みたいに言って、うしろからリョウくんにどやされていた。
二時間目が始まるまで、あと六分。とても、加瀬くんの家までいって、おこしてくるひまはない。
「だれか、テレカ持ってる?」
学校にはスマホや携帯を持ってくることは禁止されている。そのため、今でも公衆電話があった。
「よしきた」
タイミングよくブンちゃんが渡してくれたテレフォンカードを握りしめて、ぼくは教室を飛び出した。
廊下は、いつもよりおめかししたおかあさんやおとうさんたちで、すでにごったがえしていた。
「ヒロキ」
いきなりおかあさんに、声をかけられてしまった。エメラルドグリーンのワンピースに、金のネックレス。とっておきのよそゆきのかっこうだ。
「だめだめ、いそがしいんだから」
ぼくは、むねの前で両手をバッテンにしてすりぬけた。
「どこにいくの?」
うしろで、おかあさんがどなっている。
「文彦」
こんどはブンちゃんのママだ。もう腕をつかまれてしまっている。
でも、助け出しているひまはない。ぼくたちは、そのまま走り続けた。
「ユウジ、どこへいくんだ」
ユウたんのおとうさん、「技術と信頼の店」、鈴木電器店のおじさんが立ちふさがっている。今度は、ユウたんがつかまってしまった。
こうして、ぼくに続いた『マスクマン最終回対策本部』のメンバーは、次々に「敵」の手に落ちていく。
大人たちをかきわけかきわけ、公衆電話にたどりついたとき、ぼく以外に残っていたのは加瀬くんとリョウくんの二人だけだった。
ルルルル、ルルルル、……、……、……。
なかなか出ない。やっぱりショウくんは、まだねむっているようだ。加瀬くんにしっかりおこしておくようにたのむのを、わすれたことがくやまれる。
ガチャ。
あきらめかかったとき、とつぜん電話がつながった。
「あっ、ショウくん。よかった、起きてくれて」
「バカヤロー、こっちはとっくに起きてるんだぜ。それより、うちのそばの校庭を、先生たちがウロウロしてるのは、どういうことなんだ」
「えーっ!」
「これじゃ、あぶなくって準備ができないぜ」
「うーん、そうだったのか」
ぼくは、『マスクマン中継大作戦』のうわさが、学校中にひろまってしまったことをショウくんに話した。
「そうかあ。でも、このまま準備をやろうとすると、きっと先生たちにとめられてしまうぜ」
「うーん」
くちびるをかみしめて考えてこんでいるぼくを、リョウくんと加瀬くんが期待をこめてみつめている。
「そうだ!」
とうとうさいごの作戦を思いついたぼくは、それをショウくんに説明をはじめた。
「それでは、今日のところで、質問のある人はいませんか?」
佐藤先生はそう言って、二時間目の授業をしめくくった。教室のうしろやろうかに、二、三十人のおとうさんやおかあさんたちがならんでいるので、先生のことばづかいはふだんとちがってていねいだった。
(しめた!)
まどの外をよこ目で見ると、校舎にかかった時計は、まだ九時四十二分だ。このままいけば、終了のチャイムと同時に、教室を飛び出せる。ぼくは少し離れた席のブンちゃんと、笑顔をかわした。
と、そのとき、
「はい、先生」
なんと手をあげて、わざわざ質問をした奴がいた。
細谷くんだ。いったい何を考えているんだろう。
(くそーっ、しめころしてやりたい)
せっかく授業をおわりかけた先生が、また説明を始めてしまった。
(うーっ)
ぼくはじりじりしながら、先生と細谷くんを交互ににらんでいた。
ぼくだけじゃない。『マスクマン最終回対策本部』のみんなが、まるでマスクマンが、宿敵のデビルマスクをにらみつけるときのような、おそろしい顔をしている。
キーンコーン、カーンコーン、…。
とうとう二時間目終了のチャイムが、なってしまった。先生の説明は、まだ終わらない。
ワーッ。
他のクラスの子たちが、校庭に走り出てきた。
「うーっ!」
とうとうみんなは、本当にうなりごえを出しはじめた。ブンちゃんなんかは、もうなみだぐんでいる。
「そ、それでは、これで二時間目の授業を終わります」
佐藤先生はそう言って、急に説明をきりあげてしまった。もしかすると、身の危険を感じたのかもしれない。
「きりつ、れい、ちゃくせき」
リョウくんの超特急のかけ声であいさつをすると、ぼくたちはいっせいに席を立った。
「わーっ!」
すごいいきおいで飛び出していくぼくたちを、先生とおとうさんやおかあさんたちが、あっけにとられて見送っていた。
ぼくたちは全速力で走っていた。両どなりにはブンちゃんとクリちゃん、すぐうしろには加瀬くんとユウたんもつづいている。
廊下をつっぱしり、階段を一気に飛び降りた。
「このやろう。おまえのおかげで五分も損したんだぞ」
細谷くんも、リョウくんにこづかれながらけんめいに走っていた。
校庭をつっきって、一直線に加瀬くんの家へむかっていく。ほんとうはバラバラにさりげなく集まるつもりだったけど、もうそんなことはいってられない。
(止められるもんなら、止めてみろ)
もうすっかりひらきなおった気分だった。
「ヒロキーっ、ガセネタだったじゃねえか」
校庭の中ほどで声をかけてきたのは、斉藤さんだった。他の人たちと、長なわとびをやっている。
でも、ぼくは何もいわずにそのそばをかけぬけていった。斉藤さんは、しばらくの間、ぼくたちをキョトンとして見送っていた。
「あっ、そうか!」
ようやく斉藤さんも気づいたようで、なわをなげすてて走り出した。ほかの人たちも、すぐにそのあとにつづく。
あっという間に、ぼくたちを先頭に、レミングのむれのような男の子たちの集団ができあがった。みんな、いっせいに加瀬くんの家をめざして進んでいく。
校庭のはずれ、鉄棒とジャングルジムの間。ついにぼくたちは、目的の場所に到着した。
ガラッ、ガラッ。
すぐに、ベランダのガラス戸がいきおいよくひらいた。あの古ぼけた29インチテレビを一人で懸命にかかえて、ショウくんがとびだしてきた。すごい力持ちだ。
すでに画面には、マスクマンの最終回がうつっている。
ショウくんは、ベランダの手すりの上にテレビをドーンとのせた。そして、うしろからしっかりとささえてくれている。
まわりには、ぞくぞくと男の子たちが集まっている。あとからきた子たちは、鉄棒の上にこしかけたり、ジャングルジムによじのぼったりしている。
でも、先生たちのすがたはまだあたりには見えなかった。これなら、終わるまではじゃまはできないだろう。
ショウくんにはあらかじめ家の中で準備してもらい、ぼくたちが到着したらパッととびだしてうつす。このゲリラ戦法が、最後に思いついたぼくの作戦だったのだ。
「『マスクマン電撃奇襲大作戦』、大成功」
となりで、ブンちゃんが小さな声でつぶやいていた。
画面は、すぐにラストシーンになった。ぼくたちのマスクマンは、夕陽にむかって一人で去っていく。それを見送っているのは、かつてのライバルで今は親友のロビンキッド、マスクマンがずっとふられつづけていたあこがれのプリンセスリリー、そしていつも忠実な部下だったラブラドル犬のチャッピーだ。
「マスクマン、いかないで!」
リリーが前へ進み出て叫んだ。
マスクマンはふりむくと、ゆっくりと自分のマスクに手をかけた。
(いよいよだ)
とうとうマスクマンのすがおが、明らかになるのだ。ぼくはいきをとめて、画面を見つめた。まわりのみんなも、シーンとしずまりかえっている。
ゆっくりとマスクがはずされていく。
しかし、夕陽を背にしているので、画面が逆光になっていてよく見えない。
ぼくたちは、おもわず目を細めて画面を見つめた。
ついに完全にマスクがはずされた。
しかし、そのしゅんかん、画面はピカーッと強く光って、何も見えなくなった。つづいて、画面いっぱいに大きく『END』とでてしまった。
「あー、あっ!」
みんなは大きなためいきをついた。
マスクマンのすがお、それは永遠になぞのままになってしまったのだ。
「なーんだ」
ふたたびシーンとしずまりかえった中で、細谷くんがつぶやくのがきこえた。そして、ききなれたマスクマンのエンディングテーマが流れ出しても、だれひとりとしてその場を立ち去ろうとしなかった。気がつくと、いつのまにか百人以上にもふくれあがっている
パチパチパチ、…。
そばで、小さく手をたたく音がきこえた。ブンちゃんだった。ふっくらしたほっぺたには、涙が流れている。
パチッ、パチッ、パチッ、…。
ぼくも、力いっぱい拍手をした。
パチパチパチパチ、…………。
すぐに拍手は、加瀬くん、ユウたん、リョウくん、クリちゃんに、そしてみんなへと、ひろがっていく。
(とうとうマスクマンのラストシーンを、見ることができた)
たしかに、マスクマンのすがおがわからなかったのはすこし残念だったが、これでよかったのかもしれないという気もしていた。
エンディングテーマが終わって、画面がコマーシャルにかわったとき、みんなはいっせいに立ち上がった。
ぼくは、ハーフパンツのおしりについた砂をポンポンとはたいた。
「ラストシーンが見られてよかったね」
ブンちゃんが、もうニコニコしながらぼくに言った。
「うん」
ぼくも笑顔をうかべてうなずいた。あんなに苦労して準備したのに、ぼくたちが見られたのは、たったの三分間だけ。
でも、これまで三年以上もぼくたちと共にいた、マスクマンの最後の姿を見送ることができた。それもひとりでではなく、ブンちゃん、リョウくん、加瀬くん、ユウたん、クリちゃん、おまけに細谷くんの、『マスクマン最終回対策本部』のメンバーたちと。いや百人近くの男の子たちと一緒に、マスクマンを見送ることができたのだ。
「それじゃあ、もういいね」
ショウくんが、ベランダからテレビを動かしはじめた。
「どうも、ありがとうございました」
ぼくたちは、声をそろえてお礼を言った。
「おーい、こらあ。早く教室へ入れえ。三時間目が始まったんだぞお」
遠くの方から、先生たちがどなっている。
いつの間にチャイムがなったのか、ぼくたちは少しも気がつかないでいた。
マスクマン、最後の日 | |
平野 厚 | |
平野 厚 |