この作品については、賢治の生前の自費出版の本に関する記事ですでに述べたので、内容についてはそちらを参照してください。
ここでは、この本(講談社版少年少女世界文学全集)が出版された頃(1962年)のこの作品の受容について述べたいと思います。
ご存知のように、賢治は1933年に37歳の若さで亡くなったのですが、その死後、児童文学関係者や弟の宮沢清六氏(関連する記事を参照してください)たちの尽力により、次第に世間に知られるようになり、その他の作品も出版されるようになりました(私の持っている「風の又三郎」は1939年、「グスコーブドリの伝記」は1941年の出版です)。
死後30年近くたったこの本の出版時には、近代童話の大御所たち(小川未明、坪田譲治、浜田廣介など)を凌駕する人気になっていたものと推察されます。
この本でも、賢治のように複数作品が収録されているのは、前日した大御所のいわゆる「三種の神器」を除くと、他に一名いるだけです。
現代児童文学が出発する時の理論的原動力のひとつになった、1960年に出版された「子どもと文学」(その記事を参照してください)でも、瀬田貞二(関連する記事を参照してください)によって、ベタ褒めに近い評価を受けています。
ただし、この時点では、賢治作品の読者は大人が中心だったようで、子ども読者への紹介はまだ過程にあったのかも知れません。
なお、この本の巻末にある読書指導で行った小学校六年生による人気投票では第一位に選ばれていますから、賢治の多くの作品の中からこの作品(生前唯一の童話集の表題作ですから、賢治にとっても自信作でしょうが)を選んだ編者たち(福田清人、山室静など)の慧眼に敬服します。