日本児童文学者協会の機関誌「日本児童文学」に、三回にわたって連載される評論の一回目(2015年1・2月号掲載)です。
ここで著者が論じようとしているテーマ自体は非常に興味深いのですが、その書き方が対象とする読者の実相と大きくかけ離れているといわざるを得ません。
まずタイトルに掲げている「脱成長」という用語が、児童文学の世界のいわゆる成長物語における「成長」とは関係なく、フランスの経済学者セルジュ・ラトゥーシュの経済用語であることを、引用も含めてかなりの紙数を割いてくどいくらいに説明しています。
この時点で、多くの読者は読むのをやめてしまったのではないかと危惧します。
現在の「日本児童文学」誌は、かつての月刊誌として一般書店にも広く流通していた時代と違って、日本児童文学者協会の会員とその周辺の人たちに細々と読まれている隔月刊の日本児童文学者協会の機関誌にすぎません。
その多くは、現役の児童文学作家や編集者及びその予備軍と推測されます。
このような読者に向って、冒頭からアカデミックすぎる書き方(内容的には正しいのですが1970年ごろに途絶えたとされる教養主義のしっぽのようなものを引きずっています)をしては、大半の読者はついていけません。
ためしに、私の周辺にいる日本児童文学者協会の会員の作家たちに聞いてみたところ、一様に読んでおらず、その理由として「佐藤さんのは難しすぎて」と口をそろえています。
他の記事にも書きましたが、狭義の「現代児童文学」の不幸のひとつは、実作と評論の遊離にあります。
私は、「現代児童文学」は1990年代に終焉したという立場を取っていますが、「児童文学評論」もまた同じころに終焉しています。
著者はそのころの論客の一人でしたが、現在でもまじめに発言を続けているのは彼女ぐらいになってしまいました。
また、著者は日本児童文学学会の会長を務めており、当時の他の論客、宮川健郎、石井直人、村中李衣(彼女は実作としては近年「チャーシューの月」(その記事を参照してください)を出して日本児童文学者協会賞を受賞しました)などがほとんど発言しなくなったことを考えると、彼女の継続した活動は尊敬に値するものです。
しかし、彼らが「日本児童文学」誌上などでさかんに発言しているころでも、それらの評論は実作者たちにほとんど影響を与えませんでした。
一例をあげると、彼ら「現代児童文学」の研究者や評論家が「現代児童文学」の変曲点とする1980年前後において、その理由のひとつにアリエスの「子どもの誕生」や柄谷行人の「児童の発見」の影響を一様にあげますが、寡聞にして児童文学の作家でそれらを読んだことがある人に未だに会ったことはありません。
これから、児童文学の評論家が実作者たちに影響を与えたかったら、発信量を飛躍的に増やし(もちろん紙媒体だけにたよっていてはだめです)、教養主義を捨ててもっと分かりやすい評論を書くしかありません。
なにしろ、この評論で「我田引水」的に述べている「2010年を現代児童文学の終焉とする」という著者の説(「「一つの終焉、そのあとに」日本児童文学2013年5―6月号所収」の記事を参照してください)でさえ、大半の「日本児童文学」の読者は知らないのですから。
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日本児童文学 2015年 02 月号 [雑誌]クリエーター情報なし小峰書店