1950年代に現代児童文学がスタートした時に、「児童文学の書き方」の基準としては次の二つが設定されました。
ひとつは、早大童話会の「少年文学宣言(正しくは少年文学の旗の下に)」における「近代的な小説精神を持った少年文学(ここにおける少年という用語は、幼年、青年、壮年、老年と同じたんなる年齢区分で男の子だけをさすのではありません)」を目指そうとするものでした。
もうひとつは、石井桃子たちの「子どもと文学」で示された、世界基準(実際には英米児童文学だけにすぎません)としての「おもしろく、はっきりわかりやすく」でした。
どちらも抽象的すぎて、実際に創作する上ではいろいろな混乱を引き起こしました。
前者は、政治的な立場との混同により、より狭い社会主義リアリズムによる書き方のみが過大に評価されていきました。
後者は、「おもしろくて単純な」お話と曲解されて、特に幼年文学において安直なステレオタイプな作品が量産されるようになりました。
そんな時に、児童文学者の安藤美紀夫などが、より具体的なガイドラインとして示したのが「アクションとダイアローグで書く文学」です。
この方法は、1970年代から1980年代までは、かなり有効に働きました。
登場人物の行動(アクション)と会話(ダイアローグ)で書く方法は、それまでの日本の児童文学に不足していたストーリー性を獲得するのに適していたからだと思われます。
1980年代(正確には1978年から)に台頭した新しい書き方は、漫画的リアリズムです。
これは、現実そのものを描写するのではなく、読者たちがすでに共有していた漫画的な世界を描写することで、漫画が広く読まれている日本においては、エンターテインメント作品を書くのには適した方法でした。
その最初の成功例は、那須正幹の「ズッコケ三人組」シリーズでしょう。
その一方で、1980年代から1990年代にかけて、児童文学の読者の女性化や高年齢化(大人も含めて)に対応する形で、「描写」を重視した新しい書き方が女性作家を中心に生まれ、一般文学との境界があいまいになってきました。
最後に21世紀になってからは、ストーリーよりもキャラクターを優先する書き方がライトノベルを中心に台頭して、その低年齢化により従来の児童文学の領域を侵食する形になりました。
現状は、今まで述べてきたいろいろな書き方に、それ以前の近代童話の詩的な書き方の復権も含めて、混在していると思われます。
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