20才の女子大生マーちゃんには、四才年上の知的障害者の兄イーヨーがいます。
マーちゃんは、お嫁に行く時にはイーヨーも一緒に連れていかねばならないと、思いつめています。
作家である父が外国の大学に招聘され、母も一緒に行くことになったので、マーちゃんが留守宅を守ることになります。
イーヨーは成人に達しているので、身体的な性的反応を示すことがあります。
そんな時、自宅の近くで連続して痴漢騒ぎがおこります。
マーちゃんは、時々外出先から寄り道することがあるイーヨーがその犯人じゃないかと、心配しています。
ところが、ひょんなことからマーちゃんは真犯人が少女を襲っているところに遭遇し、近所の人たちの助けを借りて犯人を捕まえます。
ラストシーンで、イーヨーが寄り道するのは好きな音楽が聞こえてくる家のそばに寄っていたためだったことが判明して、マーちゃんは晴れ晴れした気分を味わいます。
作者には、「二百年の子供」のような年少の読者を意識した作品もありますが、私は「静かな生活」の方がより児童文学に近いと考えています。
マーちゃんは江国香織や吉本ばななの初期作品の主人公と同年輩ですし、イーヨーは知的障害者なので子どものようなところが多く、結果としてこの作品は若者や子どもたちを描いています。
作者の他の作品と違って、マーちゃんの視点で書かれていて文章も平明なので、若い読者にも読みやすいと思います。
両親の不在、父親が著名な作家であるために偏執的な人たちから受ける脅迫、精神障害者である兄への周囲の偏見などから、イーヨーと弟のオーちゃんとの三人の「静かな生活」を守るためにマーちゃんは頑張ります。
確かに、この家は一般の障害者がいる家庭よりも、経済的には恵まれているでしょう。
ご存知のように、イーヨーこと大江光は、その後、音楽家として世の中に認められます。
それは、この家族の物心にわたる援助がなければ実現しなかったでしょう。
いくら障害者本人に音楽的才能があっても、それを育む環境が与えられなかったら、十分に開花できなかったと思います。
そういう点で、イーヨーは恵まれた「障害者」なのかもしれません。
乙武洋匡の「五体不満足」を読んだ時にも、同じことを感じました。
そういう点があったとしても、精神障害者の兄を持つ事を引き受けていくマーちゃんの決意は並大抵ではありません。
特に、両親が年老いて、やがて亡くなることも見据えているのでしょう。
イーヨーとの二人だけ(本当は弟のオーちゃんもいるのですが)になる日が来ることを意識しています。
その時に、イーヨーとの「静かな生活」を守っていくことは大変に違いありません。
もっとも、実際の大江健三郎の家族の場合には死後も遺族にある程度の印税が入り続けるでしょうから、経済的には心配はないかもしれませんが。
障害者の家族の負担、障害者と健常者の共棲、思想信条の自由など、児童文学でももっと取り上げていかねばならないいろいろな問題を、この作品は内包していると思います。
静かな生活 (講談社文芸文庫) | |
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