鯨漁の様子を、大人たちから禁止されているのに小舟で見物しようとして、漂流する羽目に陥った五人の少年たちを描いています。
漂流譚と救助されるいきさつまでは、漂流の恐怖もリアリティをもって描かれていますし、五人の少年の性格の描き分けなどが巧みで、良質の児童文学のエンターテインメントと言えます。
しかし、取ってつけた様な後日談が運命論めいていて、伊東の主な読者である年配者にはこの方がうけるのかもしれませんが、児童文学者の立場でいえば完全な蛇足に思えます。
また、方言の表し方も気になりました。
会話文の中で方言を使った後で、地の文でしゃべったのが誰でどんな意味かをいちいち繰り返すのですが、かなりわずらわしく感じられました。
あるいは、これも高齢者に分かりやすくする配慮なのかもしれませんが、日本語の小説においては誰がしゃべったかは普通はもっとスマートに処理(必要な時だけに語り手を明示します)しますし、方言においてもできるだけ語り手によって言葉自体で区別できるようにし、意味はカッコ内に書く方がスムーズに読めます。
児童文学の世界でも、会話が方言で書かれた作品はたくさんありますが、この作品のような処理の仕方をしている作品は、私の経験ではありません。
漂流譚と救助されるいきさつまでは、漂流の恐怖もリアリティをもって描かれていますし、五人の少年の性格の描き分けなどが巧みで、良質の児童文学のエンターテインメントと言えます。
しかし、取ってつけた様な後日談が運命論めいていて、伊東の主な読者である年配者にはこの方がうけるのかもしれませんが、児童文学者の立場でいえば完全な蛇足に思えます。
また、方言の表し方も気になりました。
会話文の中で方言を使った後で、地の文でしゃべったのが誰でどんな意味かをいちいち繰り返すのですが、かなりわずらわしく感じられました。
あるいは、これも高齢者に分かりやすくする配慮なのかもしれませんが、日本語の小説においては誰がしゃべったかは普通はもっとスマートに処理(必要な時だけに語り手を明示します)しますし、方言においてもできるだけ語り手によって言葉自体で区別できるようにし、意味はカッコ内に書く方がスムーズに読めます。
児童文学の世界でも、会話が方言で書かれた作品はたくさんありますが、この作品のような処理の仕方をしている作品は、私の経験ではありません。
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