1980年代中ごろから1990年代中ごろまでに書かれた短編のアンソロジーのまえがきです。
日本の児童文学の成立、現代児童文学(定義などは関連する記事を参照してください)の成立、現代児童文学の変質、などについて、それぞれ要領よくまとめられていて、最後に現在の著者の問題意識が語られて、その観点でこのアンソロジーが編まれています。
1.「子ども」の発見と日本児童文学の成立
一般的な1891年の巌谷小波「こがね丸」刊行を起源とする説(初めての子どものための創作文学)の他に、1910年の小川未明「赤い船」刊行を近代児童文学の起点を見る意見(童話というジャンルを確立した)も紹介しています。
どちら(前者は「富国強兵」の人材、後者は純粋でけがれのないものとして理想化した「童心主義」)においても、「子ども」という概念が近代(日本においては明治以降)において発見されたもの(アリエス(「子ども」の誕生)や柄谷行人(児童の発見))(その記事を参照してください)であることと結びつけている著者の意見は納得できるものです。
2.「童話伝統批判」と現代児童文学の出発
小川未明や浜田広介たちの近代童話に対する、1950年代における批判や論争の上でもっとも代表的な、「「少年文学」の旗の下に!」に始まる早大童話会(後に少年文学会に改名)を中心とした批判(関連する記事を参照してください)と、石井桃子たちのグループISUMI会の「子どもと文学」による批判と評価(宮沢賢治、千葉省三、新見南吉)(関連する記事を参照してください)と佐藤忠男の「少年の理想主義について」による批判と評価(少年倶楽部)(その記事を参照してください)を紹介して、それぞれ異なる点はあるものの「子どもの立場に立つ」という点では共通しているとしています。
そして、1959年に、有名な二つの小人物語(佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家の小人たち」)が出版されて、「現代児童文学」はスタートしたとしています。
その上で、著者がまとめて、少なくとも研究者の間では共通理解になっている、「現代児童文学」における以下の三つの問題意識を紹介しています。
①「子ども」への関心 ― 児童文学が描き、読者とする「子ども」を生き生きとしたものとしてつかまえなおす。(ややわかりにくい表現ですが、ようは前述した「子どもの立場に立った」児童文学を創造するということでしょう。)
②散文性の獲得 ― 童話の詩的性格を克服する。(未明が童話を「わが特異な詩形」と称したことに対応しています)
③「変革」への意志 ― 社会変革につながる児童文学をめざす。(これは拡大解釈されて、子ども自身の変革を目指す児童文学、いわゆる「成長物語」が現代児童文学の大きな特徴になります。)
上記の著者のまとめは、どちらかというと早大童話会(少年文学会)グループよりで、忘れてならないのが、「子どもと文学」グループが世界基準として提唱した「おもしろく、はっきりわかりやすく」というどちらかというと技術論的な主張です。
「現代児童文学」は、これら二つのグループの主張が、混ざり合いせめぎあいながら、発展ないしは変質していきます。
両者の主張は、初めは早大童話会グループの方が優勢でしたが、しだいに「子どもと文学」グループの主張が広く書き手の間にひろまり(技術論なので分かりやすいからでしょう)、今のエンターテインメント全盛の状況が形作られることになります。
3.現代児童文学の変質
1978年説(児童文学研究者の石井直人の説で、それを代表する作品は、那須正幹「それいけズッコケ三人組」(エンターテインメント作品の台頭)と国松俊英「おかしな金曜日」(それまで現代児童文学でタブーとされていた離婚を取り扱った作品、その記事を参照してください))もしくは1980年説(著者の説で、それを代表する作品は、那須正幹「ぼくらは海へ」(ラストでそれまで現代児童文学でタブーとされていた主人公たちの死を暗示させる作品(はっきりとは書かずに読者の想像にゆだねる書き方も含めて、それまでの現代児童文学とは異なっているとされています。)詳しくはその記事を参照してください)と同じく那須正幹「ズッコケ㊙大作戦」(エンターテインメント作品のシリーズ化(遍歴物語化(定義などは石井直人の論文に関する記事を参照してください))と矢玉四郎「はれときどきぶた」(ナンセンス童話))を紹介しています。
そして、ここでも、著者は自説の理由として、同じ年に翻訳や発表されたアリエス(「子ども」の誕生)や柄谷行人(児童の発見)によって「「子ども」という概念の歴史性が説かれた」こともあげていますが、他の記事にも書きましたが作品とは直接の関係はないでしょう。
4.そして、児童文学は、いま
ここの文章は、「「児童文学」という概念消滅保険の売り出し」現代児童文学の語るもの所収」とほぼ同じですので、そちらの記事を参照してください。
しいて違いをいえば、現代児童文学が変質した状況においても、新しい状況を描いた成長物語も書かれている例として、梨木香歩「西の魔女が死んだ」(1994年)(その記事を参照してください)と森絵都「宇宙のみなしご」(1994年)が紹介されています。
以上の日本の児童文学および現代児童文学の流れを理解したうえで、「現代児童文学」以降について考えるために、この12編からなるアンソロジーが編まれたとして、個々の作品について著者が解説を書いています。
掲載された作品は、以下のとおりです(それぞれの記事を参照してください)。
ときありえ「森本えみちゃん」(1993年)
那須正幹「六年目のクラス会」(1984年)
森忠明「楽しい頃」(1985年)
村中季衣「たまごやきとウィンナーと」(1992年)
岩瀬成子「ダイエットクラブ」(1993年)
大石真「光る家」(1990年)
薫くみこ「はじめての歯医者さん」(1994年)
天沢退二郎「赤い凧」(1976年)
牧野節子「赤い靴」(1995年)
上野瞭「ぼくらのラブ・コール」(1995年)
あまんきみこ「かくれんぼ」(1990年)
よもぎ律子「遊太」(1994年)
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