昭和二十七年に出版された将棋の十四世名人である著者の自伝「将棋一代」を、将棋観戦記者の天狗太郎が、遺族の了解のもと、将棋関係者以外には難しいないしは興味が持てないと思われる部分は梗概にして読みやすくし、巻末に著者の息子で将棋八段の木村義徳の「父の思い出」という小文を付け加えて、著者の家庭人の様子を補足して、平成2年に出版したものです。
一読して、著者の文章の酒脱さと抜群の記憶力に驚かされます。
高峰秀子「わたしの渡世日記」の記事にも書きましたが、どんな分野でも一芸に秀でた人は、例えいわゆる高等教育は受けていなくても、文章力と記憶力に優れているので、ゴーストライターを使っていない自伝ならば、面白い読み物であることが保証されているようです。
特に、著者の場合は、将棋界初の実力名人(それまでは世襲だったり、実力者が推挙されたりして決まっていました)なのですから、記憶力が抜群なのも当たり前かもしれませんが。
後半の将棋史に関わる重大事件も将棋ファンである私には興味深いのですが、前半は大正から昭和初期にかけての庶民の暮らしが、子どもの視点で克明に描かれていて興味深いです。
貧困、子沢山の職人一家の暮らし、長屋の様子、母や兄弟との死別、父子の愛情、口べらしで養子や奉公でいなくなる幼い弟妹、貴族の館での奉公などが、将棋修行と共に、淡々とそしてそれゆえに痛切に描かれています。
それは、同時期の代表的な児童文学である「赤い鳥」にはもちろん、その裏舞台で書かれていた「プロレタリア児童文学」にも描かれなかった、本当の庶民の子どもたちが描かれている、優れた児童文学作品といってもいいと思われます。
ある勝負師の生涯―将棋一代 (文春文庫) | |
木村 義雄 | |
文藝春秋 |