現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

岩瀬成子「ぼくが弟にしたこと」

2017-08-12 10:29:22 | 作品論
 主人公の六年生の少年は、ささいなこと(主人公のカラーボックスから蝶の模様のジグソーパズルを勝手に取り出して作っていた)に激高して、四才も年下の弟を何回もなぐりつけてしまいます。
 それ以来、主人公は自分の中の恐ろしい部分(心の中の黒い穴のように思えています)について考え続けています。
 主人公は、三年前に両親が離婚するまで、父親からささいなことで暴力(殴ったりけられたりするなど)や体罰(クローゼットに閉じ込められたり、不登校の時に無理やり学校へ連れていかれたりするなど)を受けていました。
 はっきり書かれてはいませんが、そうした父親の気性を自分が受け継いでいるのではないかの恐怖もあったでしょうし、昼の介護と夜のコンビニの仕事をかけもちして苦労している母親を労わってすすんで手伝いをしている弟に対する引け目のようなものもあったかもしれません。
 三年ぶりに、離婚後初めて父親と再会し、暴力をふるったことへの謝罪を求めますが、父親の方では暴力をふるったことをほとんど覚えていませんし、悪かったとも思っていません(これは加害者側と被害者側の記憶の違いで、ほとんどの「いじめ」の事件でも同様ですが、もっとも有名な例は強制収容所における収容されていたユダヤ人の記憶と殺したり虐待したりしていた看守や幹部たちとの記憶の著しい違いでしょう)。
 主人公は、改めて父親と決別し、三人で生きていくことを決意します。
 主人公が、弟が好きな蝶々(そのために、つい兄のジグソーパズルの蝶の絵を確認したくなったようです)の木を、二人で見に行くラストシーンが美しく感動的です。
 親による虐待、離婚、再婚家庭(クラスメイトの黒田くんは、新しいおかあさんの勧めに気兼ねして、気のすすまない中学受験(国立の付属が目標なので受かりそうもない)のために塾へ通っています)、シングルマザー家庭の経済的苦境などの今日的なテーマを、少ない紙数の中でまとめあげた作者の筆力には相変わらず感心させられます。
 特に親による虐待(この作品では父親ですが、幼少のときには母親によるケース(ネグレクトも含む)が多いようです)は深刻な問題です。
 私自身は、幸いに両親から体罰を受けた経験も、子どもたちに体罰をしたこともありませんが、現代の格差社会において余裕のない状況で暮らしている家族では、こうした衝動を抑えられない親たちもますます増えていくことでしょう。
 そして、この作品で示唆された負の連鎖(子どものときに虐待を受けた親たちが、自分の子どもたちを虐待してしまう)も断ち切っていかなければなりません。
 そのためには、この作品で描かれたような親との決別(過激な言葉で書けば「精神的な親殺し」)が必要だと思われます。
 さらに、この作品では、こうした厳しい環境の中では、家族で励ましあって生きていくだけでなく、前の学校で主人公を気遣ってくれた友だちの想い出や主人公自身が黒田くんに「いっしょに公立に行こうよ」と呼びかけるシーンを描くことによって、仲間たちとの連帯が大事なことを巧みに描いています。
 確かに、この作品は困難な状況にいる子どもたちにとって、大きな励ましになることでしょう。
 ただし、主人公たちは、同様の状況にいる実際の子どもたちよりは、まだ恵まれているように思えたことも事実です。
 主人公には、より状況が悪くなる前に離婚した賢明な母親(働きすぎで疲れてはいますが)がいますし、母親や主人公のことをいつも気遣ってくれる心優しい弟もいます。
 父親も離婚前と変わってはいませんが、本人の言葉を信じるならば、離婚した時に少しまとまったお金を母親にわたし、定期的ではないものの養育費も時々振り込んでいて、転勤で売ることになった自宅のお金もいくらか渡そうとしています(作者は批判的なタッチで描いていますが、こうした最低限の義務を果たさない父親が大半です)。
 全体を通して、「運命(虐待や離婚や再婚)をただじっと受け入れているのが子どもなのか」と問いかけて、「否!」と主人公たちの行動を通して答えている作者のメッセージは、読者にはしっかりと届いたと思います。
 この本は2015年に出版されましたが、エンターテインメント全盛の、現在の日本の児童文学の出版状況の中で、このような社会的なテーマを取り上げた作品を書いた作者と、世に出した出版社(理論社)に敬意を表したいと思います。

ぼくが弟にしたこと
クリエーター情報なし
理論社

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