受験競争に明け暮れる学校に嫌気がさした主人公は、仮病を使って立川病院に入院し長期に学校を休むことになります。
病院で知り合った友だちの死や別れ、さらには長期欠席のための留年によるクラスの人たちとの別れなどを通して、「人生なんてサヨナラだけだ」と自覚しつつも、絵を描くことに自分のアイデンティティを見つけようと、主人公は決意します。
このあたりの芸術至上主義的な考え方は、森が師事していた寺山修司の影響がかなり感じられます。
あとがきでは、15年前(初版が1975年12月なので1960年ごろ)の自分の事を描いたと書かれていますが、この作品では出版されたころの年代にアレンジされているように感じられました。
それが、出版当時の高い評価と、多くの読者をつかむことに成功した一因になっているのではないでしょうか。
他の森作品と同様に、異常ともいえるほどの子ども時代の鮮明な記憶(子どものころの記憶を持っているということは児童文学作家にとっては重要な資質で、特にエーリヒ・ケストナーの「わたしが子どもだったころ」や神沢利子の「いないいないばあや」(その記事を参照してください)が有名ですが、森はそれに匹敵するほどです)によって、ディテールがくっきりと描かれているのが、この作品でも大きな魅力になっています。
ただ、現代の目で眺めてみると、小熊英二が「1968」(その記事を参照してください)で指摘していた、団塊の世代(森はその中心の年である1948年生まれ)の直面した「現代的不幸」を作品化した典型を見る思いがしました。
彼らは、義務教育のころは戦後民主主義教育を受け、その後激烈な受験戦争に巻き込まれ、大学の大衆化に直面し、アイデンティティの喪失、生きていくリアリティの希薄化などの「現代的不幸」に直面した最初の世代でした。
ここで「現代的不幸」とは、戦争、貧困、飢餓などの「近代的不幸」との対比で使われている用語です。
彼ら団塊の世代の大半は、十代後半になってこの問題を自覚するようになって、全共闘世代となって学生運動に突入していきました。
しかし、異常なまでに早熟だった森は、小学生時代にこの問題に直面していたのでしょう。
また、この本が出版された1970年代には、小中学生でも森と同じ問題に直面するようになっていたので、少なからぬ読者に受け入れられたものと思われます(今回読んだ本は1983年11月で12刷です)。
一方で、ネグレクト、世代間格差、少子化、虐待、貧困などのさらに新しい問題に直面している現代の子どもたちとは、すでに大きなギャップが生まれているのではないでしょうか。
追記
作品論からは離れますが、森忠明とは一度だけ会って直接話を聞いたことがあります。
彼の「へびいちごをめしあがれ」が出た後で、彼が「蘭」のおかあさんと共に立川を去る前ですから、おそらく1987年だったと思います。
児童文学の同人誌の仲間たちと、「注目の書き手に会いに行こう」シリーズの第一弾として、立川まで彼に会いに行きました(実際にはこのシリーズは、第二弾として村中李衣に高田馬場で会っただけで打ち切りになってしまいましたが)。
このシリーズの第一弾に森忠明を選んだのは、同人の一人に森の熱狂的なファンがいたためで、彼女は後に森の「グリーンアイズ」の編集を担当しました。
待ち合わせをした喫茶店から、その後行った寿司屋(おごってもらったのがみんな一律に並寿司の盛り合わせだったのが、いかにも彼の世界っぽくていい思い出になっています)、名残惜しそうにわざわざ送ってくれた立川駅の改札口まで、間が空くのを恐れるように一人でしゃべり続けていたシャイな彼の姿が今でもはっきりと思い出されます。
今振り返ってみると、「注目の書き手に会いに行こう」シリーズは大成功で、私は今まで会った中で、一番感受性の豊かな男性(森忠明)と一番聡明な女性(村中李衣)に出会えたことになりました。
きみはサヨナラ族か (現代・創作児童文学) | |
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