仕事、練習、学習、人間関係、日常生活など疲労につながることは山のようにあります。
「疲れない」とは、疲労につながるようなことがあっても、それを疲れたと感じないことです。
疲労することがあることは当然であって、それを疲れたと感じなければ何があっても「疲れない」わけです。
同じことに取り組んでいてもそれを疲労と感じるか、充実感と感じるかで成果は異なってくるでしょう。
練習をしていて疲労するのは当然ですが、高い目標があればそれを疲労とは感じないはずです。
それは指導者側にも同じことがいえるでしょう。
仏陀が悟ったことのひとつに「一切皆苦」という真理があります。
この世のすべては苦である、という教えです。
仏陀は苦しみそのものを消すことはできないので、そのうえでどのような心の持ち方をすれば安らかな心をもてるか、ということを説きました。
仏陀の生きた時代から現在まで変わらない苦しみである「四苦八苦」はその一例です。
四苦とは、生・老・病・死です。
生きること、老いること、病気になること、死を迎えることは誰もが避けられない苦です。
八苦とは、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦です。
愛する人と別れる苦しみ、憎しみを持つ人に会わなければならない苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、五感など感覚から生まれる苦しみは、2千年以上前から変わっていないのです。
競泳コーチとして活動していれば、ゴールデンウィークやお盆などの休みがないのは当然であり、教員をやっていればあらゆる問題行為に対応しなければなりません。
問題はそれに対しどう感じるか、ということだけです。
仏陀は「八正道」という正しい修行方法によって欲望を抑えることを説きました。
私たちは仏陀の教えを実践して欲望をおさえるようなことはできませんが、学校業務やクラブ活動はすべて必要な仕事であると考えていますので、疲労につながるようなことだとは感じていません。
好きだからということで行っていることではなく、与えられた仕事として必要なことを行っているわけです。
日常的に疲れを感じていれば、おそらく今頃は仕事を変えているものと思われます。
目標を高く持っている人であれば、苦しいことがあってもそれを苦しいとは感じないだけです。
逆に疲れたとか苦しいと感じるのは、それをやることに意義を見出していないからであると思います。
「疲れない」ことは、物事に対する心の持ち方を教えてくれます。
竹村知洋