主体性をもつ、ということは自分の頭で考えるということです。
素直な気持ちを持つ、ということは大切なことですが、何でも指導者の言いなりになって自分で考えようとしない選手は大成しません。
特に、最近気になっていることなのですが、自分で考えようとしない選手が多い傾向にあるようです。
例えば、試合の前は自由練習にすることがあります。
私たちの世代は自由練習はうれしいものでしたが、近年、それを喜ぶよりというより何をしてよいかわからないという選手が増えたように感じています。
試合の前のウォーミングアップも同様の傾向があるようです。
高校生ぐらいになれば、これまでに何千回という練習をしてきたはずです。
それにもかかわらず、試合の前のウォーミングアップすらまともにできないというのは不思議としかいいようがありません。
試合会場は込み合っていることが多く、まともに泳げないことも多いです。
それであればなおさら工夫して身体を温めなければならないはずなのに、ただのウォーミングアップ不足でレースに臨んでいる状況もあるようです。
これは自分で自分のことを考える力というのが不足しており、主体性が欠如しているとしか思えません。
競泳というのは基本的に個人競技であり、レースでは自分との闘いになります。
それがすべて指導者側の指示がなければ動けないというのは、一体誰のために、何のために競泳をやっているのか、問いかけたくなるようなことが見受けられるのです。
「問題には即座に対応する」でもお伝えしましたが、すべて周囲の人にお世話になりっぱなしで、自分で考えてくる機会がなかったのでしょう。
考えるということは疲れることです。
何でも言いなりになっていれば楽であると思います。
しかし、自ら考えるということをしなければ本当に強い選手とはいえないものと思います。
できれば小学生や中学生ぐらいから考えるということをしていなければ、大きく成長してから考えなさいといっても難しいことでしょう。
素直な気持ちを持つのと同時に、自分で考えて自分を鍛えられるような強い選手を育成したいものです。
竹村知洋