江戸時代、この辺りは大名屋敷や的場(射的場)が散在しており人通りの少ない、静かで寂しい場所だったようです。
谷や台地、川が広がる地域のため学校周辺は坂が多いのですが、坂の名前もさみしげな光景に由来するものが多いです。
目白台にある「薬寒坂(やかんざか)」のやかんは、キツネのことです。
目白台に2つもある「幽霊坂」は寺や墓地が多いところから名付けられたもので、近くの本住寺には亡くなった姉妹の幽霊にまつわる悲しい話もあります。
不忍通りと目白通りが交差するところには樹木が生い茂り日の光が差さないためについた「日無坂(ひなしざか)、音羽通りから大塚方面には「ねずみ坂」、護国寺から池袋方面は竹笹が生い茂るところから「小篠坂」などさみしいものばかりです。
そもそも鉄砲の射撃場があったということは人けがなかったいうことで、江戸時代はキツネやねずみ、幽霊がでるようなところだったのでしょう。
雑司ヶ谷の由来ははっきりしませんが、朝廷に使える「雑色職」=雑用係がこのあたりに住んでいたといわれています。
雑司ヶ谷霊園には、夏目漱石やジョン・万次郎など著名人のお墓がたくさんあります。
池袋の地名の由来を伝える石碑が池袋西口メトロポリタンのすぐ横にある「元池袋史跡公園」にあります。
多くの池があり、清らかな水は雑司ヶ谷の用水として利用されたということです。
今では多くの人でにぎわう大変栄えた駅となっています。
サンシャイン通りと東武デパートです。
都内に唯一残っている都電荒川線です。
竹村知洋