ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

愛することを問う

2015年07月13日 | いやし
私はこの歳になって思うことがある。それは自分を愛せない人についてである。自分すら愛せない人に、まして他人を愛せるはずがない。だから結婚しても、愛し合い、与え合うのではないから、ただ愛を奪うのであるから、期待はずれの冷めた結婚になる。そのくせ、原因は全部相手のせいにするので、気づくこと、直ることがない。

自分を愛せない人はまた、心の病気になりやすい。私の理解では、最低の自分を自分の真の姿として受け入れることが「在りのままの自分を愛する」ことだと思うのだが、多くの人は、それでは卑屈過ぎると思うようである。
そうではない。受け入れられる自分と受け入れられない自分があっては、それ自体、心のバランスを取りようがないではないか。プライドは自分を愛せなくさせている元凶である。

残酷であまりにも惨めな十字架に架かってまで愛してくださったキリストの愛に、私たちははじめて最低の自分を受け入れることができる。おそらく、キリストの愛なしには、私も最低の自分を受け入れ、愛せなかったと思う。

ところでなぜ愛せないか?その原因の一つに親にも責任がある。我が子の良い所をほめ、「あなたはできる、あなたは良い所がある子」などと我が子の優秀さ、良い所を喜んでいはしなかったか?だから子は親に愛されようと、必死になって頑張ってしまう。「あなたが、ただそこに居てくれることが、一番の喜び」と存在としての愛を、ちゃんと伝えていたのだろうか? それがなければ、子は頑張ること、取り柄があることでしか、自分の存在意義を見出せないだろうし、それが無い自分は愛せないのだ。

深い所で親にも、子が自分自身を愛せなくさせている責任がある。 乱暴な言い方だが、親も生きている間に、子に伝えなければならないことがある。 ケパ
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パソコンの学びも

2015年01月13日 | いやし
連休中で、連絡とれず来たのですが、今朝連絡すると(^O^)/オッケーでした。午後からパソコンの学び。ホームページ更新です。


久しぶりに寄った教室。あら❗️
可愛い子がいるじゃない。インコのピーちゃんです。
とても人に慣れていて、私たちの肩にも腕にも足にも、どこへも来てくれます。只今私の方で一休み。



時々お喋りもしてくれます。女の子であまりお喋りしないようですが、
唯一覚えた言葉〈ピーちゃん〉ですって
今も時々耳元で、囁きます。「ピーちゃん、ピーちゃん」
完全に癒し系ですね~。


しかし「私ピーちゃんっ」ておぼえてね。と、特訓してるわたしですが、難しそう…
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茶房・金木犀(きんもくせい)でみた夢

2014年10月20日 | いやし

 姉の夢は、茶房(喫茶店)を開くことだった。それもただの茶房ではなく、庭園を望んだ徹底的にクラシックな店である。Mokusei5Mokusei3Mokusei2

 

 写真はその夢を実現させたもので、金木犀・銀木犀という。金木犀は茶房の方で、銀木犀はその夫の工房(自然素材で参加者はおもちゃを作る)のことである。

 

 建物は根の谷川という、すべて泉から流れ実に清らかな流れの川の傍にあって、まるで絵のような光景である。また2階は、Mokusei1 アーティストのためのギャラリーになっている。

Mokusei6

 しかし、の茶房で私はお昼をご馳走になりながら、自分の語られたビジョンは日本のリバイバルという、壮大な夢であることに、心を熱くされていた。

 互いに夢がある。姉はこの世で実現させたが、私の夢はこの世のものではない。  ケパ

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うーん、かわいい

2014年10月16日 | いやし
ケパの姪の子、生まれたばかりの女の子です。
広島での用事のもう一つが、この子と会うこともありました。
Image_3


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梅雨空におもう

2014年06月11日 | いやし

Mizu  みなさんはこういつも雨空で、じめじめして洗濯物も乾かず、わずらわしい傘や外での運動が出来ずにこもらざるを得ない梅雨を、お嫌でしょうか?

 私は中国山地の盆地の生まれ、上流にダムができてからは変わりましたが、二本の大小の川に挟まれた土地で、育った頃は霧の町でした。年中朝九時過ぎまでは、数メートル先しか見えない濃霧に覆われるのです。ほぼ水の中状態で、歩くと服はみんな濡れます。明るい瀬戸内地方とはまったく別な気候が特徴で、山々が厚い雲に覆われ、よく雨が降ります。今住んでいる平坦で、海洋性気候の千葉とはまるで反対です。

 そんな地方の出身なので、梅雨が苦にならないどころか、ホッとするのです。考えてもみてください。雨のおかげですべての植物は成長し、それを土台にして動物が生存できているのです。高度ある山に空気は冷やされ、雨を降らせ、川となり、用水として全地をうるおしてくれるのです。慈雨をうっとおしいとか、外に出れないなどと厭うのは、考えてみれば人間の傲慢と言うべきではないでしょうか?

 このすばらしい自然と天地を造られたのは神です。誰か無作為に、偶然にできたと思っているかもしれませんが、意図し設計し、実際に造ることなしにこれほど緻密に営まれていくシステムができるはずがありません。何億年、何兆年かけようと、不可能であることは自明のことです。私は雨のような自然にふれる度に、この神を感じ、心から感謝してしまいます。「神さま、この命を、育む自然を、あなたの故にありがとうございます。」   ケパ

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