ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

紅葉が

2012年11月30日 | 自然

紅葉が
歯医者の帰り道、いつも通る道沿いの公園です。紅葉した木々を都内で見ることができるなんて、ヾ(@⌒ー⌒@)ノ素敵。 週の初めに行った信州はすでに初冬の景色。翌日には山では吹雪のようでした。

ことしは信州の紅葉を見そびれガッカリしていましたが、 自宅のベランダから見る大きな桜の木が随分きれいに色づいて、二日前と色が変化していたのに驚き、さらにこの紅葉の微妙な変化が何とも言えず、神様は何て素敵をされる方と思ったのです。いつでも季節の変化をおしえてくださいます。ドルカス

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老眼鏡

2012年11月30日 | PC モノ 便利

  これは両親が愛用?していた老眼鏡です。これを使う姿の親を見て、「うーん、年をとるとそんなに見えにくくなるのか。自分にはまだ先のことだ」しか思っていなかった。

   ところが数年前田舎でこれを見つけ、以来、夫婦で愛用せざるをえなくなっている。ふと老眼鏡探しをしている自分に気づき「うーん、あの親の年になってしまったのか」と無理矢理年齢を自覚させられてしまう。

老眼鏡  私たちの愛すべき某牧師は、自分は二十五歳だ(実はその2,5倍以上)と説教の中でよく言っていた。それでみなが笑っても私は、これは冗談でなく、実際の気持ちはそうなのだと共感していた。しかし、事実はこの老眼鏡のごとし、容赦無く「それは違う!」と教えてくれる。

 かく言う私はこの老眼鏡で
年齢を自覚させられながら「神さま、信仰をあなたが私に与えてくださって、本当に有り難うございます」と思うのである。なぜなら、この老いゆく体と、灯心の短くなった先が短い命しかなかったのであれば、どんなに心細く不安であるかと。しかし今や永遠の命の保証があり、天への希望にあふれている。どんなにこの先の世界に、私の心は躍っていることか!これは私の力ではなく、ただ神のあわれみと恵みによったので、ただ感謝をしているのだ。   ケパ

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(ふつうは)リンゴの実はなぜ赤い

2012年11月28日 | 自然

Tree_apple  信州の秋は美しい。紅葉は温度差が大きく赤が綺麗だ。当然と思って意外と気づかないことの一つに、柿やリンゴの実の色づきがある。これらはみな、実が熟す季節になるとそれまでの緑から一斉に赤くなる。

 紅葉ほどではないが、赤くなるにはわけがある。赤は鳥たちに「ことしも美味しくみができました。今が食べ頃ですから、どうぞ食べてください」と教えているマーカーだというのである。葉の陰に隠れていた時期はまだ実も種も未熟で緑色で判別が難しい。ところが時期になると空を飛ぶ鳥に発見してもらうため赤くなる。紅葉は木々の排泄作用だと言うが、この手の実はちょいと違って、一流の仕組みがある。鳥にはごちそうを、ついでに種を飲みこんでもらって子孫を肥料込みセットで、足のない植物には及びもつかないはるか遠くへ運んでもらう、植物と動物との相互扶助精神あふれる産物なのだ。

Dorcus_vs_apple  このような自然界の知恵が小学校の教科書には、いくつも出ている。しかし決して天地万物の造り主である、計り知れない神のわざとしては決して書かない。ただただ、読み手に自然を感心させている。驚くことにつきつめれば未だに、「進化」という偶然の累積でこのようになったと思っている。

 馬鹿も休み休みにしてもらいたい。これだけ精緻なシステムが偶然でできるはずがない。自然の石や木材が材料であっても、すてきな家が建っているのを見て、「あれは偶然にできた」「何万年かの過ぎた時と、適者生存の仕組みで家ができた」と言っているようなものだ。

     ******************************

 信州はもう晩秋である。今回リンゴはすごいと思った。どうしてか?Apple

 熱帯や亜熱帯にはたくさんの種類のくだものがある。しかし緯度が上がるにつれてくだものの種類が少なくなり、北限がリンゴなのではないか?極上の蜜リンゴをほおばりながら、昨日の朝、このリンゴを収穫している時、薄氷を葉や実の上に載せていたことを思い出した。北限のくだもの、リンゴ。人間にもっとも健康をもたらしてくれるくだものリンゴ、これを造物主である、神様に感謝した。   ケパ

※まったく余計なことだが、エデンの園にあった木の実は「リンゴ」と考えない方が良ろしいかと・・・・。その理由。北限のくだものリンゴがとれる地域は、裸暮らしではちょいと無理だから(^_^;)・・・・でも神さまは何でもおできになるから、否定するほどでもないかも・・・・・と、ほんとに余計なことでした。

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林檎採りo(^-^)o

2012年11月27日 | 自然

林檎採りo(^-^)o林檎採りo(^-^)o

 昨日の雨とうって変わり晴天です。風は冷たいけれど~ね。動いていたら平気。30分も作業知るとケパさんもだいぶ馴れた手つきです。この大きなりんごに私はかぶりつきたいね。昔はよくさわって落ちちゃったと言ってはかぶりついたものです。でもこれ一つ食べたら、おやつ抜きね。完全に満腹です。ドルカス

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晩秋の景色と中毒、そして勝利

2012年11月26日 | 教会のこと

Photo_4  今日は信州はドルカスの実家に朝から来ている。
 道は東京の杉並から環七で練馬ICへ。関越道をまっすぐに走ると、いつもながら関東平野の広さに驚いてしまう。時速100kmで1時間以上走っても平野は尽きない。郷里の広島はデルタや盆地の町ばかりで、市街地をのろのろ数十分走ったらおしまいの私には、どうしてもこの広さには驚く・・・・のだ。
 埼玉を過ぎ、群馬の高崎に入ってすぐに長野方面に分かれるが、写真はこの辺りの高速道路沿線の風景で、晩秋の風景である。盛りを過ぎかけた紅葉がきれいだった。これでは碓氷峠を越えると冬景色だと予想したが、まさにその通りだった。

Photo_6  二枚目の写真はタバコの写真だ。今は見事に禁煙している方の、お飾り品を拝借して撮った。近頃はこんなにもでっかく「健康への重大な害」「中毒への警告」が刷られているのかと、これも驚いた。

  過去喫煙者として私も相応の経験をしたので言うのだが、正しい判断として止めなければならないことを、止めることができないのが中毒。ならば、この自分を支配するものに対して、「ゆるせない思い」、戦うファイトはわかないものだろうか。それともあきらめたのだろうか。情けないことにわたしはやめる時、他人が吸った紫煙、吸い残した吸いモクにまで吸おうとした。そしてその自分がますます情けなく、ゆるせなく思った。やめられない気持ちもよく分かる。自分がやめることができたのは、決して自分だけの力でもない。人は弱いと、その時思い知らされた。


 それならまして、自分を支配している罪(Sin・・・・宗教的な意味の罪であって、Clim・・・・法的な犯罪、罪ではない)に対して多くの人が戦えないのも無理はないのかも知れない。だから気づかないふりをして、たましい(霊)を放棄するか、あるいは勝てる手立てというか、勝算が立たないのでClimの意味で自己正当化をして
Church_icon良しとする、これが現実だろう。
 確かに罪は、喫煙者のタバコと同じように、自分の力では勝てない。逆説的だが、自分を支配する罪に気づき、自分の力では勝てないことを自覚することから、実は勝利が始まる。
 座して
永遠の命、霊の死を待つのでなく、イエス・キリストの十字架に、真実の勝利があることを何とかして知っていただきたい。
 思いきってキリスト教会のドアを開ける、そこに真の開放、勝利が
あるのだが。私たちは、あなたが教会のドアを開ける、そのことを祈り続けている。  ケパ

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雨ですが

2012年11月26日 | 生活

雨ですが
久しぶりに信州に向かっています。りんご採りの予定ですが、雨降りでがっかり。 明日の予定と入れ替え、今日はパソコHPの更新の学びをしようと移動中ですが、コールは昨日までの船橋泊まりでしたので、どうも今日は落ち着いく場所が見つからない様子ですが、この場所でやっと決まり落ち着いて丸くなりました。(後部席と運転席の間の荷物の間)です。感謝します。 実は今日は留守番 させようかと迷ったのですが。いっしょにきました。

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派遣への示しと謎解き

2012年11月24日 | 示されたこと

 イスラエルに行く前に、実はいくつか示されていたことがあPhoto_3った。その中でも<「ペテロとケパの違い」と「ドルカス」の、いわばクリスチャンネーム由来の使命を確認し、全うするように。>というものがあった。

 これははて?どういうことなのだろうか・・・・と思いながらイスラエルに行って、「ナルホド・・・・・こういうことだろうか」と言うことがあった。それは最後に寄ったヨッパでのことだった。

 実は私たち は、最終日(木曜)のこの日のツアーは、(ドルカスが疲れていたので)ホテルでゆっくり休むつもりで参加を断っていた。しか
Photo_2し前日の夜遅く、ツアーのミッション側随行員になったA姉妹から、参加者のバランス事情により、私たちに参加の要請が入った。「う~ん、要請とあらば行かずにはおれまい」と私たちはヨッパのツアーに加わることになった。

 ヨッパはテルアビブと隣接していて(上写真はヨッパからテル・アビブを見た景色)、感覚としてはテルアビブの下町、旧市街地といった風を呈している(写真2枚目)。さて私たちが到着した時、明らかにヨッパでは異変が起こっていた。と言うのは、ヨッパの公園に向けて、古い町のあちこちから、ウェディングドレス姿の花

Photo

嫁とばっちり決めた花婿がぞろぞろ、数えただけで6、7カップルいたのである。「な、なんだコレ!」、「ひょっとして撮影用の偽カップル集団?」と思いきや、明らかに二人は仲睦まじく、ホンモノ

のカップルであった。別に日本のように、大量生産方式の結婚式場があるわけではない。ほんとうに町のあちこちから、カップルが湧き出て、丘のあちこちでは二人の撮影をはじめていた。どうやらプレ結婚写真撮影らしきと想像したが、理由は最後まで分からなかった。

 それで思い出したのだが、ヨッパは聖書ではなんと、ドルカスが住んでいた町(使徒9:36)で、生前人々に女性的な多くの施しをし、惜しまれながら死んでしまった町だ。ヨッパの弟子たちは、ちょうど近くの町ルダにペテロが来ていたので、人を送って呼んできて、ドルカスのよみがえりを頼んだ。ヨッパはドルカスがペテロによって「よみがえさせられた」町なのだった。
Photo_4 こんな奇跡中の奇跡を見て、多くの人々が神を信じることになった。それでこのヨッパでは、ペテロは皮なめしのシモン宅に滞在することになったのだが、今回はその2個所あると言われるシモン宅に行くことはなかった。

 ヨッパでの結婚式、ドルカスが住んで、ペテロによって生き返らされ、救いのわざが多く起こされた町。そしてそのシモンの家の近くに来ながら、行けなかった今回。

Wedding_14  謎解きのようだが、実は私はペテロの名の時、ドルカスと結婚した。その時は二人とも完全に忘れていたが、前もってドルカスには「あなたがほんとうに感謝できるように、生きれるようになるには、あなたのこの地を出て・・・・献身し・・・・」と示しが与えられていた。そしてそれは、なんとドルカスが山奥から東京に、牧師と結婚して暮らすという形で成就することとなった。強弁すると、「ドルカスはペテロによって生き返った」と言えるかも知れない。しかも、私たちは当初このヨッパに行く気はなかったのに、この結果である。これがヨッパ・結婚・ペテロ・ドルカスの謎解きである。

 私たちの群れでは「使命婚」という言葉ある。それは神からの使命を果たすべく、神が男女を一体として召していく、その導きに肉的な自分の思いを捨て、神の導きに全面的に従い切った、いわばみこころの結婚という意味である。私はドルカスを自分で選んでのではない。神が「この人だ」とされた使命婚だった。だから「ドルカスへのあらかじめの示しも、だいぶん経って、後から思い出した」のだ。神は不思議をなしてくださる。そしてその召しに従い、応えて行く時、神に委ねた人生の、真の幸せを知る。  ケパ


 ps:なぜ「皮なめしのシモン」の家に行けなかったのか?は、まだわかってはおりません。

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祈祷会

2012年11月23日 | 教会のこと

祈祷会
 今夜は祈祷会です。今車で向かっているのですが、湾岸線で来ると夜はさらに目立って見える大観覧車。 

 大人げなくf^_^; ケパさんが「ディズ二ーランド来たことないなあ」と、独り言です。「はいはいそのうちに来ましょうか」と、無責任な返事のドルカス。いっけない。きちんと神さまに祈って決めましょう。ってでした(@_@)・・・・・・ドルカス

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テロの非情な論理~イスラエルの今

2012年11月21日 | 随想

 だいぶ昔、これは先の大戦における中国戦線で戦ってきた方から聞いた話である。日本が中国に侵攻し、中国共産党軍と戦いをはじめてしばらくすると、異常な経験をするようになった。それは共産党軍が敗走すると、なんと彼らは市中に逃げ込み、容易に軍服を脱ぎ、平服を着て市民に紛れ込む。これは戦時条約であるジュネーブ条約違反(私は詳しく知らない)であるが、その上になんと民衆の垣根の間から追走してきた日本軍を標的に射撃してきたと言う。これに反撃する日本軍はもちろん、平服を着、市民の間から撃ってくる彼らの見境がつかないから、結果として無関係な多くの民間人(中国人)を巻き添えに殺すことになった。
 このような共産党軍の戦い方は、決して正規軍同士の戦いというものでなく、テロリズムであり、軍は本来自国民を守るためのものだが、その民を盾にし、犠牲にしての非情な戦いであったと述べていた。

Gaza  最近のイスラエルはガザの情勢を聞いて、この昔話を思い出した。おそらくは内通者によって、ハマスの軍事部門(おそらくテロ部門)の最高責任者の所在が明らかになった。ビン・ラディンではないが、彼はただちにイスラエルによって爆殺された。するとハマスとしては当然報復する。このハマスのVIP責任者がどれほど重要であったかが、イスラエルに対しての報復によくわかる。最高度の人物であって、彼を失ったハマスはまとまりが欠け、迷走しているように見えるからだ。(写真は最近のガザへの空爆)

 イスラエルへの報復~無論、イスラエルがどれほど反撃してくるかを承知しながら、それまで使ったことのない射程距離の長いミサイルを、イスラエルの中心部であるテル・アビブに打ち込んだ。その時私たちの知り合いも、警報が鳴って地下のシェルターに避難させられたと聞いた。これはイスラエルにとって到底容認できない、国家の根幹を揺るがす事態である。

 ※これまでハマスは射程距離の短いミサイルで、さして重要でもないガザの周辺部の半砂漠地帯に打っていた。

 ・・・・イスラエルの強硬な報復の報復が始まった。誤爆もあるだろうが、狙うのはハマスのミサイルであり、軍事(テロ)部門である。しかし百人を越える余りにも多くの一般人が犠牲になっている。以前映像で公開されたこともあるが、これはテロリズムのせいだと私は疑っている。

 その図式は、「ハマスにさして協力的ではない家の片隅からミサイルを発射」(もちろん家族はそんなことは知らない)し、発射した彼らはたちまちに逃げてしまうので、イスラエルの速攻反撃で被害に遭うのは、「結果としてその家の、何も知らなかった人々」というパターンである。

 何も知らず、被害に遭わせたハマスは、すぐさま世界中の報道マンを集め、現場に案内する。そして映像やインタビューでイスラエルの非道ぶりを世界中にアピールしてもらう。力に劣る者がどうやって勝つか・・・・世界中のマスコミを味方につけて戦うわけである。これは先の中国共産党軍と同様、守るべき民を犠牲にして戦う、いわばテロリズムの王道である。


 このようにして犠牲者が日増しに増え、イスラエルへの憎しみが高まったところで、内通者の処刑である。今回は6名の者が公開処刑されたと報じれている。彼らは路上に投げ捨てられ、そばに居た人々が集まって、蹴ったり踏んだりしたと報じられている。しかしそれをしなければ、ハマスに忠誠を疑われ、自分たちの身を守れないからかも知れない。

 長射程のミサイルがハマスにある限り、もうイスラエルは安心できないので、ガザに地上部隊を進軍させ、しらみつぶしに探したいイスラエルの目的を世界は阻止できるであろうか?そうなればどれほどの犠牲者が出るか、想像もつかない。ハッキリ言えることは、これは脇が甘く、一人のVIPを失ったことから始まった事態であり、ハマスというテロリストの戦いであり、前門の虎、後門の狼であることである。なぜ彼らはパレスチナ自治政府のように、自治政府という平和共存路線をとらないのか。それまでにどれだけ仲間内の犠牲者を出す気なのか。それは他ならぬ彼ら、ハマス自身が決めることであることは明らかである。


 聖書に拠れば、イスラエルはこうして世界中から憎まれるが、終わりの世にはやがて反キリストが現れ、その超人的な力でいったんは中東和平条約が結ばれ、イスラエルが安心して暮らせるようになると述べられている。しかしすぐにイスラエルは世界中から攻められ、滅亡の危機に陥る。これらは世界の終末が来る前兆であり、必ず起こるべきこととされている。神を信じるべき時が、近づいている。  ケパ

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助け手・・・がほしい

2012年11月20日 | 聖書

信州に帰るよりはるかに近い横浜の姉の家に、訪ねる機会があまりないのだけれど、今日は久しぶりに姉の家を訪ねた。二つ違いの姉は、信仰の上においても、田舎に居る頃、私のよき導き手あり、慰め、励まし、わたしのよき助け手でした。

 そんな姉の苦手のパソコン。今日は先月に頼まれ購入しておいたパソコンをもって・・・もちろんケパさんがすぐ使える状態に設定して届けたのです。

古いパソコンは・・・すでにパンク状態だったらしく、何とかバックアップした姉はほっとしていた。
新しいパソコンは・・・実は据え置きのデスクトップを希望していたのだけれど、イスラエル派遣前にケパさんが見つけて購入したノートパソコンは、思った通り抜群に良いらしい。さくさくと起動するパソコンを前に、納得した顔のケパさんでした。
 WIFI環境も整えたパソコンの前で、もちろん姉も喜んで、うきうきの訪問でした。
いつのまにか、教会用ノートパソコンも整理してあげている、
にあきれている私です。
なぜって、私はそんなどころではないでしょう。仕事しようとmyパソコン持参して居るのに、何も出来てないですよ。と、ガックリの帰宅でした。

聖書にこのような内容が書かれています。

使徒達によって按手を受けたピリポが御霊の導きで馬車の隣に走って行くと、エチオピアの女王の高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピア人が(預言者イザヤの書)を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは読んでいることがわかりますか?」と言った。すると「導く人がいなければどうしてわかりましょう」と言い、馬車に乗り座るようにピリポに頼んで・・・・

その後に、このエチオピア人宦官はイエスキリストのことを知り、ピリポから水のバプテスマを受けたのです。(使徒の働き8章26節~)

日常の生活においても、いろいろなことに私たちは助けでが必要で、その必要な時そのことを求めたら、助け手は(道は)与えられます。とも聖書に書かれているので、私はいつもそのように祈って行こうと思います。

ところで・・・・興味を持たれた方、聖書開いてみてね^^ドルカス

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